2013年09月30日

「山無し、落ち無し、意味無し」に潜む秘密

僕ぐらい古い世代(80年代初期のローディストとか)では、ヤオイと言えばこのことで、
(今のBLと同義の801ではない)二次創作のこと、しかもダメな二次創作を自虐的に言う言葉だった。
山、落ち、意味、この三つがないことをヤオイと言ったのである。

とあるアニメなどの、世界の人物や世界を借りて、何かの掌編を創作するのを二次創作というのだろうが、
創作とは、山も落ちも意味もあるようにつくらなければならない、という暗黙の了解が、
たいしたことのない掌編をヤオイと自虐させたのである。

魅力的な人物や世界を借りているのにも関わらず、ヤオイになってしまうのには、
物語の創作に潜む秘密に、向き合う必要がある。
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posted by おおおかとしひこ at 16:24| Comment(0) | TrackBack(0) | 脚本論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2013年09月25日

「成長」はどういう形をしているか

物語では必ず必要と言われる主人公の成長。
これは、どのような形をしているのか。
身長がのびるように、木が育つように、「そのままの形が相似形で大きくなる」と
イメージするのは誤りだ。
つっかえ棒で成長が阻害されていて、それをのければ、
抑えつけられていた部分がのびはじめるような、
「足りない所がのびて、本来のあるべき形を取り戻す」と
イメージするのも誤りだ。

物語で描かれる成長とは、そのようなものではない。

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posted by おおおかとしひこ at 15:55| Comment(0) | TrackBack(0) | 脚本論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2013年09月24日

ガッチャマンプロット(再録)

「作品置き場」のほうにも置いときます。以下3月の記事再録:

2006年ごろ企画してた、実写版ガッチャマンのプロットをあげてみます。
この時点では、にっかつ版ガッチャマンの撮影はアップしたと聞きます。
内容については、予告含めまったく公開されていません。
なので、同等の条件で、僕もこうだったらいいな、というガッチャマンを発表します。
大岡の実力の参考にどうぞ。

以下よりダウンロードできます: ガッチャマンプロット.pdf
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風魔ファンの皆様へ。

突然アクセス数が伸びてびっくりしました。
細々と脚本論を書いていて、日に10アクセスもない辺境ブログが、
9/19から突然、306、633、471、954、1835アクセスに。
どなたかが風魔監督メモを発見してくれて、ネットで拡散しているようです。
(最初は某ch、次はツイッター。拡散の様子がわかって面白かった)
有難いことです。
丁度9/21が僕の誕生日だったので、このアクセス数が、望外の誕生日プレゼントになりました。

長いので、たたみます。

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posted by おおおかとしひこ at 14:42| Comment(3) | TrackBack(0) | 実写版「風魔の小次郎」 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2013年09月20日

小説と映画の違い

小説をとりあえず一本書いてみて、あまりの映画脚本との違いにびっくりした。
それについては、小説のススメに詳しく書いた。
表面的な違いを書いたけど、もう少し物語の根幹の構造の差を、書いていきたい。
僕はあまり小説は読まない、映画や漫画は沢山見る、という偏った経験なので、
「分ってない」レベルの話かも知れないが、参考意見程度に思ってくれれば幸いである。

「映画はDoの連鎖で、小説はwasの連鎖である」と言ってみる。

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posted by おおおかとしひこ at 20:05| Comment(0) | TrackBack(0) | 脚本論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

感情移入とはなにか3: 主人公のアイデンティティークライシス

主人公は危機に陥らねばならない。
命の危険、社会的立場の危険、地球滅亡の危険、このままだと○○が駄目になる危険。
その危険を乗り越えることが映画の中心である。
事件の解決は、危険を伴うからこそハラハラが起こる。
完璧な男がただ処理をする話には起伏がない。

しかしハラハラだけでは感情移入は起こらない。
金のかかったビッグシーンを見たり、新しい技術によるすごいシーンを見たり、
どんでん返しに次ぐどんでん返しや、伏線であっと言わせたり、知的ゲームを存分に楽しんでも、
それは「面白いショウ」を見ただけだ。「タイムスクープハンター劇場版」のように。
テレビスペシャルで十分、と言われるその脚本には何が足りないのか。
それが「映画」の格に至るのは、何が必要なのか。

僕は、主人公のアイデンティティークライシスである、という説を出そうと思う。

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posted by おおおかとしひこ at 14:29| Comment(0) | TrackBack(0) | 脚本論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2013年09月19日

「ドラマとは葛藤である」は誤訳である

「ドラマとは葛藤である」は、脚本の教科書ではまず最初に教えられることのひとつだ。
コンフリクトconflictを辞書通り葛藤と訳したのだろう。
これは誤訳である。
「ドラマとはコンフリクトである」のコンフリクトは、
対立、衝突(アメリカ的)、確執、因縁(日本的)と
文脈に応じて訳し分けるのが正しい。conflictにはそのような意味が内臓されている。
一方、日本語の葛藤には、
「心の中で二者または三者以上のことで悩むこと」のニュアンスが強い。
コンフリクトを葛藤と教えられると、「そうか、悩むことかがドラマなんだ」と思って、
主人公が悩む場面ばかり書いてしまう。
これは誤りである。詰まらない日本映画は主人公が一人で悩んでばかりだ。

コンフリクトは、一人の中ではなく、
一人と他の一人、即ち「他者」との間で描かれるべきだ。
何故なら、映画とは、三人称文学だからである。

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posted by おおおかとしひこ at 19:05| Comment(0) | TrackBack(0) | 脚本論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2013年09月18日

感情移入とはなにか2: 「タイムスクープハンター劇場版」で検証

「タイムスクープハンター劇場版」はなかなかの佳作脚本である。
練りこまれたプロット、名もなき人達のドラマ(ちょっと名がある侍と豪商だが)、
必要十分に練られた人物配置、ラストの安土城焼失の結局謎が解けてないけど解けている感じ。
謎の犯人を追い、茶器という小道具をめぐるという焦点を保つ上手さ、
ちょっとしたどんでん返し(内部犯行はパターンだけど)、
技術的に相当練られた脚本だと思った。

だが、ひとつだけ、一番大事な所が足りなかった。
それは、主人公への感情移入なのだ。

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posted by おおおかとしひこ at 18:33| Comment(0) | TrackBack(0) | 脚本論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2013年09月17日

感情移入とはなにか

「主人公を好きになること」が感情移入ではない。
「主人公のおちいった状況に関心を持ち」、
「主人公の行動の行く末が見たくなること」が感情移入である、という話。

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2013年09月15日

日本映画の空洞化を憂う。

キャプテンハーロックをどうしても見なくてなはいけなかったので、見た。
ガッチャマンを見ているだけに、日本映画の脚本軽視の風潮に、
そろそろ誰かが警鐘を鳴らすべきではないか。
ハーロックは、絵の完成度や音が良かっただけに、
あとはストーリーさえよければ、と思う。
それは間違いだ。ストーリーが根本の中身の筈だ。
外面だけ金をかけて、空洞化している。

脚本のことについて、さわり方が分からなくなってきた、としか思えない。
あまりにも情けないので、次回から脚本の最低限やるべきことについて、
書いていくとする。
まずは、「感情移入」の誤解について。
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2013年09月14日

脚本論について。

ガッチャマン特需も終わり、アクセス数も落ち着いてきました。
最近は、脚本論の小ネタを思いついた時に書いていますが、
以外とブックマークに登録して読んでくれている方が多くて、びっくりです。
脚本論を読む人は、最初から読むことをおすすめします。
異物論あたりから全体の話を見ると、最近の各論がつかみやすいかなと。
日記というよりは、本の下書きみたいな感じなんで。
質問等もコメント頂ければ返します。
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2013年09月13日

障害の突破は、見た目は複雑に本質をシンプルに

映画の中盤は、障害競争のように、次々に来る障害を主人公(達)がのりこえる。
あれをするためにはこれをしなければならない、
人を説得する、話を聞きに行き謎をとく、あるものを手に入れる、
やつらより先に○○する必要がある、などが代表的だろう。
障害をうまく越えるには、一見複雑に思えるミッションをつくっておき、
それを、シンプルな本質で突破するのがよい。

「ゲートを守る門番を突破する」という古典的例題で、これを示そう。
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2013年09月12日

みっつのシーン

シーンには三種類ある。
次に動く予感のシーン、動くシーン、動いたあとに来るシーンだ。

物語を「動き」で考えると、この三つ以外ありえない。

例外はラストシーンのみだ。もうこれ以上動かないからこそラストシーンとなる。
さて、この三種のシーンを、詳しく見ていこう。

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2013年09月10日

構成のしかた:前半と後半の役割

大きな構成で、そんなには悩まない。
大雑把な構成ぐらいは、まだ書いていないなら、誰だって書ける。
問題は、書いている途中だ。
「ここで何を書くべきか」ということは、大きな構成には書いていない。
よく全体を見失う。見失って、何を書くのがいいのか悩んでしまう。
一幕のカタリスト明け、二幕の前半部、ボトムポイントから逆転へのリバーサルポイントに多い。

全体を前半と後半に分けたとき、それぞれの役割は、どう考えておくべきだろうか。

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2013年09月09日

一番書きたいシーンはどこか?

物語を書くときに、あなたが一番書きたいシーンはどこであるべきか。
最も工夫を凝らし、もっとオリジナリティがあり、最もテンションが高い、
最もあなたのモチベーションになるシーンとは。

それは、ラスト直前の「問題が解決する瞬間」であるべき、という話。

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2013年09月06日

引きつけるのは、「まだ終わっていない」という感覚(ガッチャマン批評10含む)

何故我々は、物語を最後まで見るのか。
それは、「まだこの話が終わっていない」からである。
今この語りが中断したら、どう終わるかが気になるからこそ、
我々は席を立たずに、最後まで物語の行く末を、固唾を飲んで見守る。
テレビや連続もの、小説は、少し楽である。
区切り(CM前やその話のラスト、章の終り)に、「次どうなる?」というヒキで終われるからだ。

映画は、一度も中断せずに最後まで見る娯楽である。
途中の退屈とは、この話の終わりに興味が持てなくなった、気にならなくなった、ということだ。
この「未解決で引きつけること」を、サスペンド(宙ぶらりん)という。
サスペンス、とは宙ぶらりんのハラハラのことが原義である。
何も殺人やトリックだけがサスペンドではない。
おはなしの「行く末に没入する」だけの要素は、すべてサスペンドだ。

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2013年09月04日

退屈の反対。

脚本で時折訪れる、「退屈」という問題。
実際、どこで退屈するか、の発見が実は難しい。読み手が観客と同じ目線を持たないとダメだ。
おすすめは、しばらく寝かせて、一気読みする方法である。
必ず、何度か退屈ポイントがやってくる。
それは、焦点と焦点の間にあることがほとんどだ。
「書き手としてテンションが落ちた所」がまず第一チェックポイント。
「説明おおすぎ」が第二チェックポイント。
「説明不足」が第三チェックポイント。

リカバー法その1。「退屈」の逆の感情とは何か、書き出してみる。
映画を見ている時における、観客の「退屈と真逆の感情」は、どれくらいあるか、書き出してみよ。
(僕と勝負だ。続きを読む、以降に書き出してみる)

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2013年09月03日

焦点とストーリーラインと伏線

批評でも触れたが、面白い映画とはつまるところ、
いかに面白い焦点をつくりだし、いかにそれをうまくツイストして、
次の面白い焦点へ渡すか、だと思う。
焦点には、以下のような構造があると思う。

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梗概のススメ

ガッチャマンの話も飽きてきたので、脚本論、つづけます。

小説の梗概、というのをはじめて書いてみて、
これはよいと思ったので、オススメ、という話。

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2013年09月02日

「パシフィックリム」「ガッチャマン」比較論(批評9)2

パシフィックリムの評価において、予算の規模を問題にしていないことに注意されたい。
静止画的な、ビジュアル表現(ロボット、コクピット、ハンガー、怪獣、
戦闘、海中、海上の表現)の予算規模の差は、どうしようもないことぐらい、みんな知っている。

それとは関係のない、「脚本」、すなわち「動き」という物語について、僕は言及している。
実際には、CGがこれだけ使えてこの世界が構築できるからこの話がいける、
ということもあるのだが、出来るだけ、そこに左右されない部分を論評しているつもりだ。

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「パシフィックリム」「ガッチャマン」比較論(批評9)

ようやく見れました。「パシフィックリム」。秀作です。
あまりのガッチャマンとの脚本の基本の落差に苦笑いしたので、
比較して論じようかと思います。
これでガッチャマン批評は終わりにして、通常運転に戻るでしょう。


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2013年09月01日

今日、ほんものの芸能を見た。(ガッチャマン批評8含む)

今日の暑い日は、自由が丘の熊野神社の祭りであった。
目黒ばやし、という無形文化財と看板した方々が祭囃子を奏でていた。
笛というのはこんなに遠くからでも聞こえるのかと思う。
大太鼓1小太鼓2(イヨッというボーカルこみ)、金太鼓2、
メインの横笛1という編成だ。
全ての要素が必要で、全ての要素に無駄がなく、全ての要素が一斉に連携していた。
本物というのはこういうことだ。

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センタークエスチョン(ガッチャマン批評7含む)

短編なら迷わないけど、長編だと見失いがちなこと。
それは、センタークエスチョンを見失うことだ。
ガッチャマンの脚本の致命的問題点
(普通致命的欠陥は一個ぐらいなのだが、
この歴史的欠陥脚本にはいくつもある)もそこにある。

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posted by おおおかとしひこ at 02:27| Comment(0) | TrackBack(0) | 脚本論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする