2013年09月20日

小説と映画の違い

小説をとりあえず一本書いてみて、あまりの映画脚本との違いにびっくりした。
それについては、小説のススメに詳しく書いた。
表面的な違いを書いたけど、もう少し物語の根幹の構造の差を、書いていきたい。
僕はあまり小説は読まない、映画や漫画は沢山見る、という偏った経験なので、
「分ってない」レベルの話かも知れないが、参考意見程度に思ってくれれば幸いである。

「映画はDoの連鎖で、小説はwasの連鎖である」と言ってみる。

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posted by おおおかとしひこ at 20:05| Comment(0) | TrackBack(0) | 脚本論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

感情移入とはなにか3: 主人公のアイデンティティークライシス

主人公は危機に陥らねばならない。
命の危険、社会的立場の危険、地球滅亡の危険、このままだと○○が駄目になる危険。
その危険を乗り越えることが映画の中心である。
事件の解決は、危険を伴うからこそハラハラが起こる。
完璧な男がただ処理をする話には起伏がない。

しかしハラハラだけでは感情移入は起こらない。
金のかかったビッグシーンを見たり、新しい技術によるすごいシーンを見たり、
どんでん返しに次ぐどんでん返しや、伏線であっと言わせたり、知的ゲームを存分に楽しんでも、
それは「面白いショウ」を見ただけだ。「タイムスクープハンター劇場版」のように。
テレビスペシャルで十分、と言われるその脚本には何が足りないのか。
それが「映画」の格に至るのは、何が必要なのか。

僕は、主人公のアイデンティティークライシスである、という説を出そうと思う。

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posted by おおおかとしひこ at 14:29| Comment(0) | TrackBack(0) | 脚本論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする