何年ぶりかに帰省したとき、
知らない建物に変わっていて、
ここも知らない、あそこは◯◯だったはずだ、
と思う感情。
悲しい、まではいかず、違和感だけが残る。
記憶ではこの角に◯◯があって、それはずっとあるものだと思っていて、
それがなくなって20年近く立つのに、俺だけが知らない。
浜村淳が死んだのだって、まだ違和感がある。
俺のいない大阪では、まだあの故郷を出た日々が続いてる筈なのに。
故郷の町では、次々に俺の知る所から日々遠ざかっている。
年寄りは、こういう気持ちなのかも。
自分の知ってる町が、そこにない感覚。
年寄りが神社仏閣にテンションがあがるのも、それは知ってる、という感覚ではないか。
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2014年01月03日
ダメなCMの典型から良いCMまで
正月帰省したこともあり、随分と正月CMをみた。
松の内が明けて平常運転に戻った週明けが、
今年のCM業界の趨勢を示すだろう。
業界に長いこといると、
ダメなパターンと良いパターンが、自動的に見分けられるようになる。
典型的な例をあげて説明しよう。
これは、表現と内容という、脚本論の一部の議論である。
例が多いこと、典型的な成功と失敗がわかりやすい為、CMを考えることは勉強になる。
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松の内が明けて平常運転に戻った週明けが、
今年のCM業界の趨勢を示すだろう。
業界に長いこといると、
ダメなパターンと良いパターンが、自動的に見分けられるようになる。
典型的な例をあげて説明しよう。
これは、表現と内容という、脚本論の一部の議論である。
例が多いこと、典型的な成功と失敗がわかりやすい為、CMを考えることは勉強になる。
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