まず、白紙を用意する。
ノートは駄目。あとあと並び替えたりするため、
ルーズリーフや、コピー紙+ファイルなどの形式がいい。
(ノートに書いてあとでちぎってもいいが)
そこに、見た映画のプロットを書いてみる。
プロットが何か掴めないなら、あらすじと思ってもいい。
最初からラストまで、必ず書く。
一枚以内に必ずおさめること。400から1500字ぐらいだろう。
手書きを推奨する。これは文章力を鍛えるトレーニングでもある。
手で書くことは考えることで、文字うちは言うことに近い。
あなたは、考えるために手書きでプロットを書く。
なるべく名作がよいが、たまに駄作があるとよい。
名作と駄作はプロットの時点で違うことを、身をもって知るために。
これを、100本ぶんやること。
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2014年05月31日
好きという感情は、点に起こり線には起こらない
人を好きになったり、
何かのビジュアルを好きになったり、
何かのジャンルを好きになったりする瞬間は、
点である。
一旦好きになれば、それが裏切らない限り、
飽きない限り、好きなものである。
裏切るとか飽きるとかは、変化であり、線である。
つまり、「好き」は状態であり、物語ではない。
「好き」が物語になるとしたら、その変化の過程、
つまり、好きになる瞬間の変化、嫌いになる変化のことだ。
変化を描かず、状態だけを描くのなら、それは物語ではない。
何かのビジュアルを好きになったり、
何かのジャンルを好きになったりする瞬間は、
点である。
一旦好きになれば、それが裏切らない限り、
飽きない限り、好きなものである。
裏切るとか飽きるとかは、変化であり、線である。
つまり、「好き」は状態であり、物語ではない。
「好き」が物語になるとしたら、その変化の過程、
つまり、好きになる瞬間の変化、嫌いになる変化のことだ。
変化を描かず、状態だけを描くのなら、それは物語ではない。
2014年05月30日
プロットの要素
見える要素:
時間、場所、登場人物、台詞、行動、小道具。
見えない要素:
因果関係(理由)、焦点、ターニングポイント。
プロットは、これらの要素でストーリーを描く。
時系列順で並べてもよい。(古典的)
シャッフル、逆順、同時進行、省略してもよい。
いずれにせよ、シーケンシャルに並べ、
一気見するのがムービーの前提だ。
時間、場所、登場人物、台詞、行動、小道具。
見えない要素:
因果関係(理由)、焦点、ターニングポイント。
プロットは、これらの要素でストーリーを描く。
時系列順で並べてもよい。(古典的)
シャッフル、逆順、同時進行、省略してもよい。
いずれにせよ、シーケンシャルに並べ、
一気見するのがムービーの前提だ。
2014年05月29日
カードによる整理メソッド
短いワードをカードにかき並べかえたり、
足したり引いたりする方法は、
ごちゃごちゃになったアイデアを整理したり、何が足りていないか把握する方法だ。
ブレストや発想法など、脚本以外でも使われる方法論である。
脚本でも、カードで考えを練る方法が伝統的にある。
日本では「ハコ書き」として8つの段落にわけ、一行ずつプロットを書く方法がある。
一行をカードして考えれば、これはカード方式と本質的に同じだ。
シド・フィールドは14枚で30分、計4ブロック、
ブレイク・シュナイダーは10枚で30分、計4ブロックをそれぞれ推奨している。
以下、ぼくなりのやり方を紹介してみる。
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足したり引いたりする方法は、
ごちゃごちゃになったアイデアを整理したり、何が足りていないか把握する方法だ。
ブレストや発想法など、脚本以外でも使われる方法論である。
脚本でも、カードで考えを練る方法が伝統的にある。
日本では「ハコ書き」として8つの段落にわけ、一行ずつプロットを書く方法がある。
一行をカードして考えれば、これはカード方式と本質的に同じだ。
シド・フィールドは14枚で30分、計4ブロック、
ブレイク・シュナイダーは10枚で30分、計4ブロックをそれぞれ推奨している。
以下、ぼくなりのやり方を紹介してみる。
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2014年05月27日
2014年05月26日
正しい予告と、正しいコンセプト
予告詐欺は昔からあるが、
最近とみに増えてきた気がする。
映画の予告をつくる人達の才能も不足しているのだろうか。
ダメな作品の予告を面白そうにつくるのは、
昔からあった。面白そうなカットを全部繋ぐ方法だ。
最近のダメ予告は、パターンが決まってきた。
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最近とみに増えてきた気がする。
映画の予告をつくる人達の才能も不足しているのだろうか。
ダメな作品の予告を面白そうにつくるのは、
昔からあった。面白そうなカットを全部繋ぐ方法だ。
最近のダメ予告は、パターンが決まってきた。
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2014年05月25日
おはなしをつくる事と、脚本を書くことは違う
僕も書いているとき、ごっちゃになるのだが、
話をつくる事と、脚本を書くことは、
厳密には違う行為である。
同じ話から、いくつかのバージョンの脚本は書ける。
(同じ楽譜で複数の演奏がありえることと同じ)
脚本を書く前に、話をつくるべきだ。
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話をつくる事と、脚本を書くことは、
厳密には違う行為である。
同じ話から、いくつかのバージョンの脚本は書ける。
(同じ楽譜で複数の演奏がありえることと同じ)
脚本を書く前に、話をつくるべきだ。
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2014年05月24日
アイデアは、「新しいこと」の別名
あなたの書くおはなしに、アイデアはあるか。
色々な面白ポイントがあることだろう。
色々な仕掛けや連鎖があることだろう。
色々な深い感情があることだろう。
その中に、アイデアはあるか。
なるほどこれは面白い、といえる何かが、
アイデアである。
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色々な面白ポイントがあることだろう。
色々な仕掛けや連鎖があることだろう。
色々な深い感情があることだろう。
その中に、アイデアはあるか。
なるほどこれは面白い、といえる何かが、
アイデアである。
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2014年05月21日
表現することは、こわい
表現することはこわい。
誤解されることもこわい。
反発されることもこわい。
伝わりきらないこともこわい。
価値のないものを作り上げて、自分の小ささを知るのもこわい。
それが知れ渡ることもこわい。
伝わっても、ぼろくそに言われるのがこわい。
無視されるのもこわい。
理解されないのもこわい。
何かをまとまって話すこと、しかもオチまでつけること。
これでなにがしかの評価を下され、好き嫌いが決まるのがこわい。
単発だけでなく、連続して評価されるのもこわい。
これは、表現全てにまつわることだ。
これを凌駕するほどの意欲がない限り、表現は出来ない。
こわさにびびって何もしないのら、
生きる前に死ぬことを考えて、何もしないのと同じだ。
死んだと思って生きればいい。
その覚悟からが、ようやくはじまりだ。
どうせ川原乞食だ。
代表作はネクストワン、
そう信じて死の覚悟ほどの表現を続ける一生だ。
誤解されることもこわい。
反発されることもこわい。
伝わりきらないこともこわい。
価値のないものを作り上げて、自分の小ささを知るのもこわい。
それが知れ渡ることもこわい。
伝わっても、ぼろくそに言われるのがこわい。
無視されるのもこわい。
理解されないのもこわい。
何かをまとまって話すこと、しかもオチまでつけること。
これでなにがしかの評価を下され、好き嫌いが決まるのがこわい。
単発だけでなく、連続して評価されるのもこわい。
これは、表現全てにまつわることだ。
これを凌駕するほどの意欲がない限り、表現は出来ない。
こわさにびびって何もしないのら、
生きる前に死ぬことを考えて、何もしないのと同じだ。
死んだと思って生きればいい。
その覚悟からが、ようやくはじまりだ。
どうせ川原乞食だ。
代表作はネクストワン、
そう信じて死の覚悟ほどの表現を続ける一生だ。
面白いものと面白くないものを、見分けられるか?
正月にやっているスペシャル、「芸能人格付けチェック」などを見ると、
いかに本物とそうでないものを、見分けられないかが露呈する。
どんなにイケテる芸能人だろうが、
本物とそうでないものを見分けられないのは、一流ではない。
見分けるには何が必要だろう。
豊富な知識だろうか。
それも必要だが、僕は主観的評価と客観的評価を、
自分の中で自覚することだと思う。
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いかに本物とそうでないものを、見分けられないかが露呈する。
どんなにイケテる芸能人だろうが、
本物とそうでないものを見分けられないのは、一流ではない。
見分けるには何が必要だろう。
豊富な知識だろうか。
それも必要だが、僕は主観的評価と客観的評価を、
自分の中で自覚することだと思う。
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2014年05月20日
二時間と構成
構成とはリズムだ、と前に書いた。
二時間という疲労度や、
集中力15分サイクルを考えた上での経験的な構成が、
三幕構成であるといえる。
世の中には三幕構成をもたない映画や、
1:2:1の比でつくられていない三幕構成の映画や、
三幕でない映画もある。
(ぱっと思いつかないが、最近見たなかでは、
「偉大なる、しゅららぼん」「ガッチャマン」には三幕構成はなかった)
映画の面白さと三幕構成は、必ずしも関係しなくてもよいと、
原理的には思う。
が、それがないものは、なんとも間が悪い感じがする。
それは、二時間の疲労による満足や、15分サイクルを考えていないからではないか。
二時間という疲労度や、
集中力15分サイクルを考えた上での経験的な構成が、
三幕構成であるといえる。
世の中には三幕構成をもたない映画や、
1:2:1の比でつくられていない三幕構成の映画や、
三幕でない映画もある。
(ぱっと思いつかないが、最近見たなかでは、
「偉大なる、しゅららぼん」「ガッチャマン」には三幕構成はなかった)
映画の面白さと三幕構成は、必ずしも関係しなくてもよいと、
原理的には思う。
が、それがないものは、なんとも間が悪い感じがする。
それは、二時間の疲労による満足や、15分サイクルを考えていないからではないか。
2014年05月19日
脚本の面白さは「起こる」こと
例えば野球の試合を考えよう。
ファウルチップでキャッチャーが後逸したり、
甘い球がきて三遊間ぬいたり、
タッチアップしたら返球が凄く良かったり、
ピッチャーの球が走っていたり、
とにかく、現実の世界で1プレイごとに何かが「起こる」。
机上の空論やバーチャルでない、現実の世界でだ。
ボールは風に流され、土埃は舞い、それでもそれなりに適応して、
プレイは進んでいく。
何かが「起こり」ながら。
物語もおなじである。
何かが「起こる」ことがつづく。
その連鎖が物語だ。
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ファウルチップでキャッチャーが後逸したり、
甘い球がきて三遊間ぬいたり、
タッチアップしたら返球が凄く良かったり、
ピッチャーの球が走っていたり、
とにかく、現実の世界で1プレイごとに何かが「起こる」。
机上の空論やバーチャルでない、現実の世界でだ。
ボールは風に流され、土埃は舞い、それでもそれなりに適応して、
プレイは進んでいく。
何かが「起こり」ながら。
物語もおなじである。
何かが「起こる」ことがつづく。
その連鎖が物語だ。
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2014年05月17日
おはなしの原型4:第三者の内側には入れない
第三者文学では、
視点(カメラ)は登場人物の中に入れない。
その人の内面や感情や思考を覗くことはできない。
が、その人の発言、表情、行動を見ることで、
その人の内面を、こちらが「察する」ことが出来る。
観客は、登場人物の内面を察する。
演者は、外に出すことで察してもらう。
(外人なら特に、演説したり露骨に要求することもある)
話の作者は、このスタイルでしか内面を表現できない。
登場人物の気持ちは、外に出すことで表現する。
続きを読む
視点(カメラ)は登場人物の中に入れない。
その人の内面や感情や思考を覗くことはできない。
が、その人の発言、表情、行動を見ることで、
その人の内面を、こちらが「察する」ことが出来る。
観客は、登場人物の内面を察する。
演者は、外に出すことで察してもらう。
(外人なら特に、演説したり露骨に要求することもある)
話の作者は、このスタイルでしか内面を表現できない。
登場人物の気持ちは、外に出すことで表現する。
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「つづく」詐欺の三つのパターン
世の中には沢山の「つづく」がある。
連載もの、続き物の一連で、強烈な謎を残し「つづく」で終わると、
その謎の解明が気になり、つづきを見たくなる、
という仕組みは、どんなものでもあるだろう。
しかし、その謎を解明せずに、引っ張り続け、
ついに解明されなかったものを、
「つづく」詐欺と呼ぶことにしよう。
これには、みっつのパターンがある。
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連載もの、続き物の一連で、強烈な謎を残し「つづく」で終わると、
その謎の解明が気になり、つづきを見たくなる、
という仕組みは、どんなものでもあるだろう。
しかし、その謎を解明せずに、引っ張り続け、
ついに解明されなかったものを、
「つづく」詐欺と呼ぶことにしよう。
これには、みっつのパターンがある。
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おはなしの原型3:第三者
おはなしとは、
時と場所を特定し、
登場人物を使って、
事件とオチを語ることである。
これは僕の仮説だ。
さて、僕の興味は映画のことだから、
ここから映画に寄せていく。
自分の体験談を誰かに話すという「おはなしの原型」では、
主人公は話者である。
これが、話者ではない「誰か他の人の話」になるのが映画だ。
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時と場所を特定し、
登場人物を使って、
事件とオチを語ることである。
これは僕の仮説だ。
さて、僕の興味は映画のことだから、
ここから映画に寄せていく。
自分の体験談を誰かに話すという「おはなしの原型」では、
主人公は話者である。
これが、話者ではない「誰か他の人の話」になるのが映画だ。
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2014年05月16日
大岡俊彦監督作CM群
手の内さらしておきます。お前はどないやねん、と言われるのもあれなので。
CMの著作権は誰か、に妥当な答はないです。
僕一人でつくったのではなく、
クライアントの皆さま、広告代理店とプロダクションの、
全員でつくったものというのが業界の慣例です。
なので、スタッフはあまり公開しないのが原則です。
以下は、僕が普段言っていることが、
根拠のないただの文句でないことを示すための、
一応ちゃんとしたものをつくってますよ、というリストです。
最近のCM:出演者は敬称略で。
IDC大塚家具「受け継ぐ」「来店」ほか。
(田辺誠一大塚寧々夫婦、草刈民代出演)
ダスキン50周年「みんなでつくるありがとう」(作詞作曲も)
ほけんの窓口「イイトコドリ」「カネガ問題」
(速水もこみち、薬丸裕英石川秀美夫妻出演)
第一三共認知症啓蒙「誕生日」「ノート」(樹木希林出演)
NHKドラマ「メイドインジャパン」内、架空企業「タクミ」の企業CM
CM代表作:
クレハNEWクレラップシリーズ「私もできた」〜「ゆうやけ」電通賞、ACC銅
ABCマート「前進する靴」ACC銀、編集賞
松下電器(当時)Nのエコ計画「明日香ちゃん」シリーズ、フジサンケイ広告賞グランプリ
などなど。自分の色が出ているストーリーものだと、
ヒガシマル醤油ちょっとどんぶり「ちょっといい・女」「同・男」TCC新人賞
かな。
「狂気とやさしさのストーリーテラー」が
今年のCMディレクターとしてのキャッチコピー。
CMの著作権は誰か、に妥当な答はないです。
僕一人でつくったのではなく、
クライアントの皆さま、広告代理店とプロダクションの、
全員でつくったものというのが業界の慣例です。
なので、スタッフはあまり公開しないのが原則です。
以下は、僕が普段言っていることが、
根拠のないただの文句でないことを示すための、
一応ちゃんとしたものをつくってますよ、というリストです。
最近のCM:出演者は敬称略で。
IDC大塚家具「受け継ぐ」「来店」ほか。
(田辺誠一大塚寧々夫婦、草刈民代出演)
ダスキン50周年「みんなでつくるありがとう」(作詞作曲も)
ほけんの窓口「イイトコドリ」「カネガ問題」
(速水もこみち、薬丸裕英石川秀美夫妻出演)
第一三共認知症啓蒙「誕生日」「ノート」(樹木希林出演)
NHKドラマ「メイドインジャパン」内、架空企業「タクミ」の企業CM
CM代表作:
クレハNEWクレラップシリーズ「私もできた」〜「ゆうやけ」電通賞、ACC銅
ABCマート「前進する靴」ACC銀、編集賞
松下電器(当時)Nのエコ計画「明日香ちゃん」シリーズ、フジサンケイ広告賞グランプリ
などなど。自分の色が出ているストーリーものだと、
ヒガシマル醤油ちょっとどんぶり「ちょっといい・女」「同・男」TCC新人賞
かな。
「狂気とやさしさのストーリーテラー」が
今年のCMディレクターとしてのキャッチコピー。
2014年05月15日
動かさないと、面白いかどうかは分からない
「奇跡の一枚」という言葉がある。
写真一枚なら、レタッチやアングルの工夫も含めいかようにでもなる、
が、いざ動かすと、リアルがばれる、というような意味だ。
素人の写真から芸能人の写真まで、それは何枚もある。
橋本環奈の例の一枚も、奇跡の瞬間の一枚の例だ。
これらから言えることは、
一枚の写真では現実と違う嘘がつける、ということである。
一枚までなら、嘘をつきとおせる。
逆に言えば、動かしてみればその本来の良さが判断出来る、ということだ。
(我々男子は、AVのパッケージや風俗の写真指名でおなじみの現象である)
これは、脚本でも同じである。
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写真一枚なら、レタッチやアングルの工夫も含めいかようにでもなる、
が、いざ動かすと、リアルがばれる、というような意味だ。
素人の写真から芸能人の写真まで、それは何枚もある。
橋本環奈の例の一枚も、奇跡の瞬間の一枚の例だ。
これらから言えることは、
一枚の写真では現実と違う嘘がつける、ということである。
一枚までなら、嘘をつきとおせる。
逆に言えば、動かしてみればその本来の良さが判断出来る、ということだ。
(我々男子は、AVのパッケージや風俗の写真指名でおなじみの現象である)
これは、脚本でも同じである。
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炎上のしくみ
一年以上書いてきた。更新頻度は結構あると思う。
突然読者が増えるときが何回かあった。
僕の書いていることは、そうそう変化していない。
だからスタートして半年は、アクセスは一日10なかった。
逆に誰が見ていたのやら。(ヤフーなどの検索ロボットかも)
何かの潜在層に当たったとき、突然アクセスが増える。
風魔ファンに発見されたとき、風のように噂が広がり、
アクセスは一日100を超えた。
ガッチャマン公開時は、怒りのあまり批評まつりをして、
アクセスは300ベースになった。
その後風魔記事を追加して500ベースになり、
桃太郎について書いたら1000ベースが続いている。
加速度的だ。
Yahoo!やGoogle検索では、ペプシ桃太郎あたりのワードでかなり上位に出ている。
金を払って順位を上げてくれと頼んでもいないのに。
絶賛している人や酷評している人も、もっと他にいるだろうに、
俺以上に強く言いたい人も他にいるだろうに、
俺だけ突出しているかのようになっている。
(しかも脚本論という線の文脈でなく、記事単体の文脈。
一連の議論のリンクへ飛ぶ人は1割に満たない)
デジタルの利便でもあるコピペとリンクと、
頻度のある経路を自動的に太くする仕組みが、
これらの現象を支えていると思う。
ひとつのリンクが複数のリンクを生むから連鎖反応が起きやすい。
自然現象では、それを止める反応があるから安定する。
摩擦や抵抗などの熱力学的減衰が主だ。
ネットには自然減衰はない。だから連鎖反応は止まらなくなる。
炎上を止めるのは、別のところで炎上を起こすことぐらいだ。
(経済不況の内乱を打破するために戦争を起こすのは、
太古の時代からあることだ。世界は侵略出来なくなってしまったから、
ネットの世界が侵略すべき土地になっているのではないか)
こういうときは燃料補給すればいいのかね。
狙ってやれないのがネットの難しいところ。
中身のないものでここまでいくと思えないから、
それなりに意味があることを書いている、と思うことにしている。
(IDまでは分からないので、リピーターがどれくらいいるかも分からない。
一日200人が桃太郎検索でたどり着く。平均もう1記事見ているとして、
それでも他に600人が見ている計算になる。
以前書いたが、新記事をアップすると一両日中に15人ぐらいが見る。
コアなファン? いや、検索ロボットかも知れない)
ということで、今年の記事まとめつくりました。
全リンクを貼るのはちょっと手間なので、
とりあえず、「記事名コピー→検索窓にペースト」用に使ってください。
突然読者が増えるときが何回かあった。
僕の書いていることは、そうそう変化していない。
だからスタートして半年は、アクセスは一日10なかった。
逆に誰が見ていたのやら。(ヤフーなどの検索ロボットかも)
何かの潜在層に当たったとき、突然アクセスが増える。
風魔ファンに発見されたとき、風のように噂が広がり、
アクセスは一日100を超えた。
ガッチャマン公開時は、怒りのあまり批評まつりをして、
アクセスは300ベースになった。
その後風魔記事を追加して500ベースになり、
桃太郎について書いたら1000ベースが続いている。
加速度的だ。
Yahoo!やGoogle検索では、ペプシ桃太郎あたりのワードでかなり上位に出ている。
金を払って順位を上げてくれと頼んでもいないのに。
絶賛している人や酷評している人も、もっと他にいるだろうに、
俺以上に強く言いたい人も他にいるだろうに、
俺だけ突出しているかのようになっている。
(しかも脚本論という線の文脈でなく、記事単体の文脈。
一連の議論のリンクへ飛ぶ人は1割に満たない)
デジタルの利便でもあるコピペとリンクと、
頻度のある経路を自動的に太くする仕組みが、
これらの現象を支えていると思う。
ひとつのリンクが複数のリンクを生むから連鎖反応が起きやすい。
自然現象では、それを止める反応があるから安定する。
摩擦や抵抗などの熱力学的減衰が主だ。
ネットには自然減衰はない。だから連鎖反応は止まらなくなる。
炎上を止めるのは、別のところで炎上を起こすことぐらいだ。
(経済不況の内乱を打破するために戦争を起こすのは、
太古の時代からあることだ。世界は侵略出来なくなってしまったから、
ネットの世界が侵略すべき土地になっているのではないか)
こういうときは燃料補給すればいいのかね。
狙ってやれないのがネットの難しいところ。
中身のないものでここまでいくと思えないから、
それなりに意味があることを書いている、と思うことにしている。
(IDまでは分からないので、リピーターがどれくらいいるかも分からない。
一日200人が桃太郎検索でたどり着く。平均もう1記事見ているとして、
それでも他に600人が見ている計算になる。
以前書いたが、新記事をアップすると一両日中に15人ぐらいが見る。
コアなファン? いや、検索ロボットかも知れない)
ということで、今年の記事まとめつくりました。
全リンクを貼るのはちょっと手間なので、
とりあえず、「記事名コピー→検索窓にペースト」用に使ってください。
2014年05月14日
大岡俊彦の脚本論インデックス2014.1月-5/14
★★★★★★★★★ 人気記事まとめ ★★★★★★★★★
☆脚本添削スペシャル「ねじまき侍」:応募脚本を俺理論で生まれ変わらせる、スーパー実戦編。
企画内容
(1)まず脚本形式にする (2)そこに潜む病を自覚する (3)テーマについて考える
(4)タイトルとテーマから、プロットへ
(5)サブプロット (6)別の可能性はあるか? (7)キャラ立ち
(8)完成脚本 (9)解説 (10)作品の立ち位置
(11)おまけ:細かい分析 (12)おまけ:資料
☆ペプシ「桃太郎」:
そもそもの前提:クリエイティブの反対
最初の批判:ダメなCMを、名指しで否定してみる
文句を言うぐらいなら、自分でつくってみる:ペプシ「桃太郎」の映画化には、何が必要か
コメントに答えて:ツカミと感情移入は違う
コメントに答えて:CMの志
コメントに答えて:桃太郎続論
抽象的にまとめてみた:主人公とテーマとクライマックス
エピソード1:武蔵のバージョン
ペプシ「桃太郎」エピソード1、これ正気?
桃太郎Ep.1続論:脇役とサブプロット
桃太郎批評続き:中身のなさは、タイトルに現れる
続きを読む
☆脚本添削スペシャル「ねじまき侍」:応募脚本を俺理論で生まれ変わらせる、スーパー実戦編。
企画内容
(1)まず脚本形式にする (2)そこに潜む病を自覚する (3)テーマについて考える
(4)タイトルとテーマから、プロットへ
(5)サブプロット (6)別の可能性はあるか? (7)キャラ立ち
(8)完成脚本 (9)解説 (10)作品の立ち位置
(11)おまけ:細かい分析 (12)おまけ:資料
☆ペプシ「桃太郎」:
そもそもの前提:クリエイティブの反対
最初の批判:ダメなCMを、名指しで否定してみる
文句を言うぐらいなら、自分でつくってみる:ペプシ「桃太郎」の映画化には、何が必要か
コメントに答えて:ツカミと感情移入は違う
コメントに答えて:CMの志
コメントに答えて:桃太郎続論
抽象的にまとめてみた:主人公とテーマとクライマックス
エピソード1:武蔵のバージョン
ペプシ「桃太郎」エピソード1、これ正気?
桃太郎Ep.1続論:脇役とサブプロット
桃太郎批評続き:中身のなさは、タイトルに現れる
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2014年05月13日
2014年05月12日
目をつぶり、耳をふさごう
それが脚本だ。
それがストーリーだ。
俳優やロケ地や衣装や美術やその他の素晴らしいビジュアルは、脚本ではない。
台詞のニュアンスや言い方、素晴らしい歌声や音楽や音の魅力も、脚本ではない。
映画からそれを引き算して、残ったものがストーリーであり、
それを書くのが脚本である。
続きを読む
それがストーリーだ。
俳優やロケ地や衣装や美術やその他の素晴らしいビジュアルは、脚本ではない。
台詞のニュアンスや言い方、素晴らしい歌声や音楽や音の魅力も、脚本ではない。
映画からそれを引き算して、残ったものがストーリーであり、
それを書くのが脚本である。
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2014年05月11日
「世界観」は物語と真逆の言葉である
ファンタジーなどの現実と遠い世界を舞台にしようが、
(たとえばドラクエの世界観、ラピュタの世界観など)
現実と近いが微妙に異なる世界だろうが、
リアルベースの世界だろうが、
その世界のビジュアルデザインや、
その世界のルールや運行ぶりを、世界観といったりする。
(外国が舞台の作品は、別の世界観に触れることでもある)
このブログを長いこと読んでいれば予想はつくと思うが、
世界観は物語と関係ないどころか、真逆の言葉だ。
続きを読む
(たとえばドラクエの世界観、ラピュタの世界観など)
現実と近いが微妙に異なる世界だろうが、
リアルベースの世界だろうが、
その世界のビジュアルデザインや、
その世界のルールや運行ぶりを、世界観といったりする。
(外国が舞台の作品は、別の世界観に触れることでもある)
このブログを長いこと読んでいれば予想はつくと思うが、
世界観は物語と関係ないどころか、真逆の言葉だ。
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2014年05月10日
桃太郎批評続き:中身のなさは、タイトルに現れる
桃太郎CMをちょろっと調べると、
それぞれのタイトルが、「Episode 0」「Episode 1」であるそうだ。
これは典型的な駄目タイトルだ。
意味をなしていないからだ。
例えば、「家来集合編」「師匠の剣編」と仮にタイトルをつけてみたとしよう。
そうすると、問題が起こる。
続きを読む
それぞれのタイトルが、「Episode 0」「Episode 1」であるそうだ。
これは典型的な駄目タイトルだ。
意味をなしていないからだ。
例えば、「家来集合編」「師匠の剣編」と仮にタイトルをつけてみたとしよう。
そうすると、問題が起こる。
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桃太郎Ep.1続論:脇役とサブプロット
そいる様コメントありがとうございます。
アイデア拝見しました。
そのダジャレを言って怒られない、高田純次あたりが適役でしょうか。
しかしこれは、どれだけ魅力的であろうとも、
点のキャラクターデザインであり、
線のキャラクターデザインではありません。
線とは時間のことです。
時間とは、変化のことです。
最初と最後で、人間の中身が変化することが、
時間軸をもつ、おはなしという芸術です。
(中身が変化するには、影響を与えあう必要がある。
これを絡みといい、人格が溶け合うことを含む)
それに対し、「キャラ」は時間変化をしません。
キャラを考えるのは楽しいですが(ワンピのウソップが元ネタ?)、
それは線(時間)を考えていることにはなりません。
逆に言うと、キャラが変わってしまう(ほど凄いこと)ことを描くのが、
おはなしです。
僕がペプシ「桃太郎」を批判しているのはまさにそこで、
それはプロットの未熟さです。点ばかりで線がないことです。
続きを読む
アイデア拝見しました。
そのダジャレを言って怒られない、高田純次あたりが適役でしょうか。
しかしこれは、どれだけ魅力的であろうとも、
点のキャラクターデザインであり、
線のキャラクターデザインではありません。
線とは時間のことです。
時間とは、変化のことです。
最初と最後で、人間の中身が変化することが、
時間軸をもつ、おはなしという芸術です。
(中身が変化するには、影響を与えあう必要がある。
これを絡みといい、人格が溶け合うことを含む)
それに対し、「キャラ」は時間変化をしません。
キャラを考えるのは楽しいですが(ワンピのウソップが元ネタ?)、
それは線(時間)を考えていることにはなりません。
逆に言うと、キャラが変わってしまう(ほど凄いこと)ことを描くのが、
おはなしです。
僕がペプシ「桃太郎」を批判しているのはまさにそこで、
それはプロットの未熟さです。点ばかりで線がないことです。
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2014年05月09日
ペプシ「桃太郎」エピソード1、これ正気?
目を疑うつまらなさだ。エピソード1。
えっと、0しばりはもういいんでしたっけ。
(5/19追記:検索でピンポイントでたどり着く方が多いので。
このブログは、「ストーリーとは何ぞや」という脚本論について書いています。
前回の桃太郎エピソード0では、そのストーリーの無さを批判し、
じゃあ映画にするなら何が必要かを、ためしにプロットをつくることで示しました。
そもそもの議論は、クリエイティブの反対語は「イミテイティブ」だ、
という所からはじまっています。
一連の議論は、トップページ最初の記事「脚本論」からリンクをたどれます)
ダメなCMの特徴は「出落ち」だと以前書いた。
だからその続きは、「新キャラを出すことで出落ちループを続ける」
という特徴がある。
今回の「ゲスト」も、その駄目パターンの王道に陥った。
エピソード2でも同じことをやるか、見物である。
既視感しかない映像の、底の浅さはなんだこりゃ。
おそらく今回のパクリ元は、前回分に加え、
「キルビル2」(五点掌を語る場面)と、
パルクール剣道「ウルヴァリンサムライ」である。
その系譜のバットマンビギンズやSW1なども参考にされているだろう。
桃太郎の動機のなさ、宮本武蔵の動機のなさ。
物語はそこにはなく、表面的なファッションだけがそこにある。
イミテイティブ。これはクリエイティブの反対語だ。
せめて二刀流のファッショナブルな殺陣ぐらい、提案して欲しかったところである。
(宮本武蔵の父、無二斎は十手術の継承者で、
左手に短い十文字槍のような特殊な十手、右手に太刀を持つ使い方をしていた。
武蔵はそれを小太刀と太刀に改変したのだ。
昭和の撃剣興行という剣道の興行には、頻繁に竹刀二刀流がいたし、
今でも公式試合でたまに見かける。その型を使えば良いのに。
そういう基礎的な事実を、なぜ調べないのだろうか。
ついでに、「桃太郎」の話は鬼門=丑寅の方角:だから鬼は牛の角と虎のパンツ、
を、反対側の申酉戌で封じるという話である。
呪術的な話もふくみ、古代の異民族支配史にも触れる内容だ。
それを何故無視したのか。SFというには時代も違いすぎる。単なる無知?)
一連の桃太郎批判と再構築の過程は、トップページの記事、
「脚本論」内のまとめへどうぞ。
えっと、0しばりはもういいんでしたっけ。
(5/19追記:検索でピンポイントでたどり着く方が多いので。
このブログは、「ストーリーとは何ぞや」という脚本論について書いています。
前回の桃太郎エピソード0では、そのストーリーの無さを批判し、
じゃあ映画にするなら何が必要かを、ためしにプロットをつくることで示しました。
そもそもの議論は、クリエイティブの反対語は「イミテイティブ」だ、
という所からはじまっています。
一連の議論は、トップページ最初の記事「脚本論」からリンクをたどれます)
ダメなCMの特徴は「出落ち」だと以前書いた。
だからその続きは、「新キャラを出すことで出落ちループを続ける」
という特徴がある。
今回の「ゲスト」も、その駄目パターンの王道に陥った。
エピソード2でも同じことをやるか、見物である。
既視感しかない映像の、底の浅さはなんだこりゃ。
おそらく今回のパクリ元は、前回分に加え、
「キルビル2」(五点掌を語る場面)と、
パルクール剣道「ウルヴァリンサムライ」である。
その系譜のバットマンビギンズやSW1なども参考にされているだろう。
桃太郎の動機のなさ、宮本武蔵の動機のなさ。
物語はそこにはなく、表面的なファッションだけがそこにある。
イミテイティブ。これはクリエイティブの反対語だ。
せめて二刀流のファッショナブルな殺陣ぐらい、提案して欲しかったところである。
(宮本武蔵の父、無二斎は十手術の継承者で、
左手に短い十文字槍のような特殊な十手、右手に太刀を持つ使い方をしていた。
武蔵はそれを小太刀と太刀に改変したのだ。
昭和の撃剣興行という剣道の興行には、頻繁に竹刀二刀流がいたし、
今でも公式試合でたまに見かける。その型を使えば良いのに。
そういう基礎的な事実を、なぜ調べないのだろうか。
ついでに、「桃太郎」の話は鬼門=丑寅の方角:だから鬼は牛の角と虎のパンツ、
を、反対側の申酉戌で封じるという話である。
呪術的な話もふくみ、古代の異民族支配史にも触れる内容だ。
それを何故無視したのか。SFというには時代も違いすぎる。単なる無知?)
一連の桃太郎批判と再構築の過程は、トップページの記事、
「脚本論」内のまとめへどうぞ。
2014年05月08日
2014年05月07日
プロットと実際の表現の差
プロットで書くことと、実際の脚本表現(芝居とカメラによる表現)には、
結構な差異がある。
例えば、
・AとBは険悪な仲。
・新たな事実Cが発覚。
・やらなければならないことDの把握。
など、プロット段階ではつい抽象的に書いてしまうことは、
脚本段階では具体表現にしなければいけない。
具体表現は、抽象を表現できない。
映画は、具体表現で抽象を表現する。
プロット段階では、ストーリーそのものを練るため、
そこまで具体で書く必要はない。
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結構な差異がある。
例えば、
・AとBは険悪な仲。
・新たな事実Cが発覚。
・やらなければならないことDの把握。
など、プロット段階ではつい抽象的に書いてしまうことは、
脚本段階では具体表現にしなければいけない。
具体表現は、抽象を表現できない。
映画は、具体表現で抽象を表現する。
プロット段階では、ストーリーそのものを練るため、
そこまで具体で書く必要はない。
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2014年05月06日
笑顔には二種類ある
争いや緊張状態を避ける為の笑顔と、
本心から笑う笑顔だ。
前者は営業スマイルだけではない。
赤ん坊の笑顔も本質的にはこれだ。
特に女の子は大人になるまでに、
色々な場面を笑顔で事なかれにしてきた経験がある。
(「嫌われたくない」から笑顔でいる。つまり笑顔は楽しいことが第一ではない)
長子より末っ子の方がうまい。
年季の入ったそれを見分けることは難しい。
しかし人間の基本的性質のひとつである。
あなたが書く登場人物は、
二種類の笑顔をいつどう使い分けるか、考えたことはあるか。
ないのなら、人間に対する理解か、人物造型のどちらかが足りない。
本心から笑う笑顔だ。
前者は営業スマイルだけではない。
赤ん坊の笑顔も本質的にはこれだ。
特に女の子は大人になるまでに、
色々な場面を笑顔で事なかれにしてきた経験がある。
(「嫌われたくない」から笑顔でいる。つまり笑顔は楽しいことが第一ではない)
長子より末っ子の方がうまい。
年季の入ったそれを見分けることは難しい。
しかし人間の基本的性質のひとつである。
あなたが書く登場人物は、
二種類の笑顔をいつどう使い分けるか、考えたことはあるか。
ないのなら、人間に対する理解か、人物造型のどちらかが足りない。
2014年05月04日
「○○使い」という発想
○○には、人外の魔物がはいる。能力バトルものもその変形だ。
召喚とか契約とか使役とかパシらせるとか、
「自分の実力以上のものに、やらせる」系のものが嫌いだ。
僕は70年代のスポコンで育ったから、
「基本全部自分でやる」「修行の末獲得する」発想である。
アウトソーシングやら外注やら、
出来る人にやってもらうやら、
金を払ってサービスを買うやら、そういう発想は、
伝統的映画の根本的発想(言い出しっぺが責任を取って、
一番向き合いたくなかった弱点を克服し、内面的成長を遂げる)
と異なると思う。
○○使いは、楽をしたい者の発想だ。
全てのサービス産業は、あなたは苦労しなくてよいのですよ、
ということで発展したが、それはその能力を育てる必要をなくしたため、
結果的にその能力が育たなくなっている。
(もうめんどくさくて、急須で日本茶を入れる人はいないだろう。
あのお茶は旨かった。あれが茶の旨さだった。
糠漬けの習慣も失われ、裁縫や家庭の味もそろそろ失伝の危機だ。
おせちはもう作らないだろう。論文や感想文代行サービスすら、ある)
そんな「誰か他のものを持ってくる」世代が脚本を書き始めているから、
映画は詰まらなくなったのではないか?
これは年寄りの戯れ言か?
召喚とか契約とか使役とかパシらせるとか、
「自分の実力以上のものに、やらせる」系のものが嫌いだ。
僕は70年代のスポコンで育ったから、
「基本全部自分でやる」「修行の末獲得する」発想である。
アウトソーシングやら外注やら、
出来る人にやってもらうやら、
金を払ってサービスを買うやら、そういう発想は、
伝統的映画の根本的発想(言い出しっぺが責任を取って、
一番向き合いたくなかった弱点を克服し、内面的成長を遂げる)
と異なると思う。
○○使いは、楽をしたい者の発想だ。
全てのサービス産業は、あなたは苦労しなくてよいのですよ、
ということで発展したが、それはその能力を育てる必要をなくしたため、
結果的にその能力が育たなくなっている。
(もうめんどくさくて、急須で日本茶を入れる人はいないだろう。
あのお茶は旨かった。あれが茶の旨さだった。
糠漬けの習慣も失われ、裁縫や家庭の味もそろそろ失伝の危機だ。
おせちはもう作らないだろう。論文や感想文代行サービスすら、ある)
そんな「誰か他のものを持ってくる」世代が脚本を書き始めているから、
映画は詰まらなくなったのではないか?
これは年寄りの戯れ言か?
2014年05月03日
2014年05月02日
別れ話をちゃんと書けるか
主人公論で述べた、人を好きになること、
の逆を考えよう。
男女の別れ話をきちんと
(納得いくように、リアリティーがあり、話としても面白く)
書くのは、人が人を好きになる話より、
おそらく数倍難しいと思う。
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の逆を考えよう。
男女の別れ話をきちんと
(納得いくように、リアリティーがあり、話としても面白く)
書くのは、人が人を好きになる話より、
おそらく数倍難しいと思う。
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サブプロットの書き方
サブと名前がつくものの、
それはメインプロットとやり方は同じだ。
そのサブプロット内の主人公(メインの主人公ではない)について、
セットアップ、展開、結末の三幕を構成し、
ストーリーラインを考え、
その人物の果たすテーマを設定し、
その人物への感情移入を出来るようにしていくのだ。
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それはメインプロットとやり方は同じだ。
そのサブプロット内の主人公(メインの主人公ではない)について、
セットアップ、展開、結末の三幕を構成し、
ストーリーラインを考え、
その人物の果たすテーマを設定し、
その人物への感情移入を出来るようにしていくのだ。
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同時進行とストーリーライン、サブプロット
カットバック(二つ以上の場所で同時進行するドラマを、
適宜切り替えること。敵軍と味方軍の状況を刻々と中継など)は、
映画の編集というものが現れた、ごく初期からの、
映画の醍醐味のひとつだ。
物語とは対立であるという、西洋的コンフリクト論との相性もいい。
それぞれのストーリーラインを、本で数える。
2本が、古典的カットバックだ。
1本のストーリーラインには複数の登場人物が関係し、
それぞれの人物のストーリーラインが重なりあうという、
入れ子構造なのはよくある。
最近の流行りは、この大きなストーリーラインが、
2本ではなく3本以上ある、同時進行タイプだ。
これらの、ストーリーラインについて考えよう。
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適宜切り替えること。敵軍と味方軍の状況を刻々と中継など)は、
映画の編集というものが現れた、ごく初期からの、
映画の醍醐味のひとつだ。
物語とは対立であるという、西洋的コンフリクト論との相性もいい。
それぞれのストーリーラインを、本で数える。
2本が、古典的カットバックだ。
1本のストーリーラインには複数の登場人物が関係し、
それぞれの人物のストーリーラインが重なりあうという、
入れ子構造なのはよくある。
最近の流行りは、この大きなストーリーラインが、
2本ではなく3本以上ある、同時進行タイプだ。
これらの、ストーリーラインについて考えよう。
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結末からつくるエクササイズ
何故みんな、結末から話をつくらないのか。
慣れてないだけだろうか。それとも知らないのだろうか。
冒頭からつくったって、次々に発散していくカオスに飲み込まれ、
秩序としてのテーマ(ラストシーン)にたどり着ける訳がない。
特に短編なんて、結末からつくるものである。
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慣れてないだけだろうか。それとも知らないのだろうか。
冒頭からつくったって、次々に発散していくカオスに飲み込まれ、
秩序としてのテーマ(ラストシーン)にたどり着ける訳がない。
特に短編なんて、結末からつくるものである。
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