2014年05月14日

大岡俊彦の脚本論インデックス2014.1月-5/14

★★★★★★★★★ 人気記事まとめ ★★★★★★★★★

☆脚本添削スペシャル「ねじまき侍」:応募脚本を俺理論で生まれ変わらせる、スーパー実戦編。
   企画内容
   (1)まず脚本形式にする (2)そこに潜む病を自覚する (3)テーマについて考える
   (4)タイトルとテーマから、プロットへ
   (5)サブプロット (6)別の可能性はあるか? (7)キャラ立ち
   (8)完成脚本 (9)解説 (10)作品の立ち位置
   (11)おまけ:細かい分析 (12)おまけ:資料


☆ペプシ「桃太郎」:
   そもそもの前提:クリエイティブの反対
   最初の批判:ダメなCMを、名指しで否定してみる
   文句を言うぐらいなら、自分でつくってみる:ペプシ「桃太郎」の映画化には、何が必要か
   コメントに答えて:ツカミと感情移入は違う
   コメントに答えて:CMの志
   コメントに答えて:桃太郎続論
   抽象的にまとめてみた:主人公とテーマとクライマックス

  エピソード1:武蔵のバージョン
   ペプシ「桃太郎」エピソード1、これ正気?
   桃太郎Ep.1続論:脇役とサブプロット
   桃太郎批評続き:中身のなさは、タイトルに現れる

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芝居の声

昨日友人の舞台俳優と話してて知ったこと。
声を出すとき、全身をアンプにする。
(ここまでは知ってた。オペラのベルカント唱法は頭蓋骨から出す意識らしい。
姿勢のよさが発声に絡むことも。経験的に、姿勢は声のテンションに大事だ。
アフレコ時、立ってマイクに言うときと、芝居の体勢で言うときでは、
全く違う)
ここからが知らなかったこと。
体を正面に向けたまま、
前だけに声を出したり、
後ろに主に声を出したり、
左半身右半身から、声を出したり出来るそうだ。

全身をアンプにすることが出来るのなら、
意識でそれを統御しているということだろうか。

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posted by おおおかとしひこ at 10:42| Comment(0) | TrackBack(0) | 脚本論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年05月13日

デジタルは人を幸せにしない:デフォルメを奪う

デジタル合成、CGの発達によって、
何でも表現できるかのような錯覚におちいる。

しかし、「表現力」自体は下がっていると最近思うようになった。

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posted by おおおかとしひこ at 16:41| Comment(0) | TrackBack(0) | 脚本論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

出落ちオチ

昨日話してて発明した言葉。
有名作品の続編でなく前日譚系映画(エピソード0系)
のオチのパターンを、こう呼ぶことにする。

例えば、アナキンがダースベイダーになって終わる、
というオチは皆が知っていることが前提だ。
そしてベイダーが出て終わる。

普通の話では、出落ちは出るときがピークでそれ以降詰まらなくなる。
(だから戒める)
しかしそのピークで終わらせるのが、出落ちオチなのだ。

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posted by おおおかとしひこ at 08:46| Comment(0) | TrackBack(0) | 脚本論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年05月12日

目をつぶり、耳をふさごう

それが脚本だ。
それがストーリーだ。

俳優やロケ地や衣装や美術やその他の素晴らしいビジュアルは、脚本ではない。
台詞のニュアンスや言い方、素晴らしい歌声や音楽や音の魅力も、脚本ではない。

映画からそれを引き算して、残ったものがストーリーであり、
それを書くのが脚本である。

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posted by おおおかとしひこ at 12:35| Comment(0) | TrackBack(0) | 脚本論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

第一印象

人間は第一印象で決まる。
正確にいうと、第一印象を覆すのが大変だ。

人間には、自分の間違いを認めたくない性質がある。
たとえ第一印象が間違っていたとしても、
それを自分の中で訂正するのではなく、
過去の第一印象に、事実を近づけて認識・記憶するほうにエネルギーを使う。

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2014年05月11日

「キャラ設定」も物語と真逆の言葉である

調子に乗って、前の記事にかぶせてみた。
人物の設定だけをしてもそれが物語にならないのは、
これまで散々書いてきている。
静的設定ではなく動的設定も推奨している。

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posted by おおおかとしひこ at 23:25| Comment(0) | TrackBack(0) | 脚本論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

「世界観」は物語と真逆の言葉である

ファンタジーなどの現実と遠い世界を舞台にしようが、
(たとえばドラクエの世界観、ラピュタの世界観など)
現実と近いが微妙に異なる世界だろうが、
リアルベースの世界だろうが、
その世界のビジュアルデザインや、
その世界のルールや運行ぶりを、世界観といったりする。
(外国が舞台の作品は、別の世界観に触れることでもある)

このブログを長いこと読んでいれば予想はつくと思うが、
世界観は物語と関係ないどころか、真逆の言葉だ。

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posted by おおおかとしひこ at 13:51| Comment(0) | TrackBack(0) | 脚本論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年05月10日

桃太郎批評続き:中身のなさは、タイトルに現れる

桃太郎CMをちょろっと調べると、
それぞれのタイトルが、「Episode 0」「Episode 1」であるそうだ。

これは典型的な駄目タイトルだ。
意味をなしていないからだ。

例えば、「家来集合編」「師匠の剣編」と仮にタイトルをつけてみたとしよう。
そうすると、問題が起こる。

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posted by おおおかとしひこ at 17:05| Comment(0) | TrackBack(0) | 脚本論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

桃太郎Ep.1続論:脇役とサブプロット

そいる様コメントありがとうございます。
アイデア拝見しました。
そのダジャレを言って怒られない、高田純次あたりが適役でしょうか。
しかしこれは、どれだけ魅力的であろうとも、
点のキャラクターデザインであり、
線のキャラクターデザインではありません。

線とは時間のことです。
時間とは、変化のことです。
最初と最後で、人間の中身が変化することが、
時間軸をもつ、おはなしという芸術です。
(中身が変化するには、影響を与えあう必要がある。
これを絡みといい、人格が溶け合うことを含む)

それに対し、「キャラ」は時間変化をしません。
キャラを考えるのは楽しいですが(ワンピのウソップが元ネタ?)、
それは線(時間)を考えていることにはなりません。
逆に言うと、キャラが変わってしまう(ほど凄いこと)ことを描くのが、
おはなしです。

僕がペプシ「桃太郎」を批判しているのはまさにそこで、
それはプロットの未熟さです。点ばかりで線がないことです。

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2014年05月09日

ペプシ「桃太郎」エピソード1、これ正気?

目を疑うつまらなさだ。エピソード1。
えっと、0しばりはもういいんでしたっけ。

(5/19追記:検索でピンポイントでたどり着く方が多いので。
このブログは、「ストーリーとは何ぞや」という脚本論について書いています。
前回の桃太郎エピソード0では、そのストーリーの無さを批判し、
じゃあ映画にするなら何が必要かを、ためしにプロットをつくることで示しました。
そもそもの議論は、クリエイティブの反対語は「イミテイティブ」だ、
という所からはじまっています。
一連の議論は、トップページ最初の記事「脚本論」からリンクをたどれます)


ダメなCMの特徴は「出落ち」だと以前書いた。
だからその続きは、「新キャラを出すことで出落ちループを続ける」
という特徴がある。
今回の「ゲスト」も、その駄目パターンの王道に陥った。
エピソード2でも同じことをやるか、見物である。

既視感しかない映像の、底の浅さはなんだこりゃ。
おそらく今回のパクリ元は、前回分に加え、
「キルビル2」(五点掌を語る場面)と、
パルクール剣道「ウルヴァリンサムライ」である。
その系譜のバットマンビギンズやSW1なども参考にされているだろう。


桃太郎の動機のなさ、宮本武蔵の動機のなさ。
物語はそこにはなく、表面的なファッションだけがそこにある。

イミテイティブ。これはクリエイティブの反対語だ。



せめて二刀流のファッショナブルな殺陣ぐらい、提案して欲しかったところである。
(宮本武蔵の父、無二斎は十手術の継承者で、
左手に短い十文字槍のような特殊な十手、右手に太刀を持つ使い方をしていた。
武蔵はそれを小太刀と太刀に改変したのだ。
昭和の撃剣興行という剣道の興行には、頻繁に竹刀二刀流がいたし、
今でも公式試合でたまに見かける。その型を使えば良いのに。
そういう基礎的な事実を、なぜ調べないのだろうか。

ついでに、「桃太郎」の話は鬼門=丑寅の方角:だから鬼は牛の角と虎のパンツ、
を、反対側の申酉戌で封じるという話である。
呪術的な話もふくみ、古代の異民族支配史にも触れる内容だ。
それを何故無視したのか。SFというには時代も違いすぎる。単なる無知?)


一連の桃太郎批判と再構築の過程は、トップページの記事、
「脚本論」内のまとめへどうぞ。
posted by おおおかとしひこ at 19:11| Comment(4) | TrackBack(0) | 脚本論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年05月08日

隠蔽と暴露

「秘密」は、ドラマの蜜である。

浮気、隠し子、もうひとつの顔、偽の身分証、
隠し財産、秘密の指令、仮面、正体、影武者、潜入、
ばれないようにする(これがばれたら終わり)、
裏と表、黙って(勝手に)○○する、
騙す、独り占めしようとする、捨て石にする、悪意、
嘘をつく、完璧な嘘にひとつだけほつれが、
何十年も経って真実が明らかにされる、
ばれないように脱出、ばれないように追跡、
知らなかった故の行動、わざと知らせない、真意をはじめて知る、
良かれと思ってしたこと、二人だけの秘密、失伝したこと、

思いつくまま書いてみた。

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posted by おおおかとしひこ at 14:19| Comment(0) | TrackBack(0) | 脚本論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年05月07日

プロットと実際の表現の差

プロットで書くことと、実際の脚本表現(芝居とカメラによる表現)には、
結構な差異がある。

例えば、
・AとBは険悪な仲。
・新たな事実Cが発覚。
・やらなければならないことDの把握。
など、プロット段階ではつい抽象的に書いてしまうことは、
脚本段階では具体表現にしなければいけない。

具体表現は、抽象を表現できない。
映画は、具体表現で抽象を表現する。
プロット段階では、ストーリーそのものを練るため、
そこまで具体で書く必要はない。

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2014年05月06日

笑顔には二種類ある

争いや緊張状態を避ける為の笑顔と、
本心から笑う笑顔だ。

前者は営業スマイルだけではない。
赤ん坊の笑顔も本質的にはこれだ。
特に女の子は大人になるまでに、
色々な場面を笑顔で事なかれにしてきた経験がある。
(「嫌われたくない」から笑顔でいる。つまり笑顔は楽しいことが第一ではない)
長子より末っ子の方がうまい。

年季の入ったそれを見分けることは難しい。
しかし人間の基本的性質のひとつである。

あなたが書く登場人物は、
二種類の笑顔をいつどう使い分けるか、考えたことはあるか。
ないのなら、人間に対する理解か、人物造型のどちらかが足りない。
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2014年05月04日

「○○使い」という発想

○○には、人外の魔物がはいる。能力バトルものもその変形だ。
召喚とか契約とか使役とかパシらせるとか、
「自分の実力以上のものに、やらせる」系のものが嫌いだ。
僕は70年代のスポコンで育ったから、
「基本全部自分でやる」「修行の末獲得する」発想である。

アウトソーシングやら外注やら、
出来る人にやってもらうやら、
金を払ってサービスを買うやら、そういう発想は、
伝統的映画の根本的発想(言い出しっぺが責任を取って、
一番向き合いたくなかった弱点を克服し、内面的成長を遂げる)
と異なると思う。

○○使いは、楽をしたい者の発想だ。
全てのサービス産業は、あなたは苦労しなくてよいのですよ、
ということで発展したが、それはその能力を育てる必要をなくしたため、
結果的にその能力が育たなくなっている。
(もうめんどくさくて、急須で日本茶を入れる人はいないだろう。
あのお茶は旨かった。あれが茶の旨さだった。
糠漬けの習慣も失われ、裁縫や家庭の味もそろそろ失伝の危機だ。
おせちはもう作らないだろう。論文や感想文代行サービスすら、ある)

そんな「誰か他のものを持ってくる」世代が脚本を書き始めているから、
映画は詰まらなくなったのではないか?
これは年寄りの戯れ言か?
posted by おおおかとしひこ at 15:45| Comment(2) | TrackBack(0) | 脚本論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年05月03日

シーケンシャル

シーケンシャルとは、全てを順番に、
最初から最後まで語ることである。

映画、音楽、人の話、一生などはシーケンシャルだ。
一方、ネットや図書館などのリンクで分散された知識、
思い出や記憶、オカンの纏まらない話、列伝などは非シーケンシャルだ。

非シーケンシャルはブロックに別れ、その再生順は問わない。
しかしシーケンシャルは、ブロックに別れていたとしても、
再生が固定されている。
その難しさについては、自覚していたほうがよい。



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posted by おおおかとしひこ at 16:12| Comment(0) | TrackBack(0) | 脚本論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年05月02日

別れ話をちゃんと書けるか

主人公論で述べた、人を好きになること、
の逆を考えよう。
男女の別れ話をきちんと
(納得いくように、リアリティーがあり、話としても面白く)
書くのは、人が人を好きになる話より、
おそらく数倍難しいと思う。

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posted by おおおかとしひこ at 18:30| Comment(0) | TrackBack(0) | 脚本論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

サブプロットの書き方

サブと名前がつくものの、
それはメインプロットとやり方は同じだ。

そのサブプロット内の主人公(メインの主人公ではない)について、
セットアップ、展開、結末の三幕を構成し、
ストーリーラインを考え、
その人物の果たすテーマを設定し、
その人物への感情移入を出来るようにしていくのだ。

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posted by おおおかとしひこ at 16:59| Comment(0) | TrackBack(0) | 脚本論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

同時進行とストーリーライン、サブプロット

カットバック(二つ以上の場所で同時進行するドラマを、
適宜切り替えること。敵軍と味方軍の状況を刻々と中継など)は、
映画の編集というものが現れた、ごく初期からの、
映画の醍醐味のひとつだ。

物語とは対立であるという、西洋的コンフリクト論との相性もいい。

それぞれのストーリーラインを、本で数える。
2本が、古典的カットバックだ。
1本のストーリーラインには複数の登場人物が関係し、
それぞれの人物のストーリーラインが重なりあうという、
入れ子構造なのはよくある。

最近の流行りは、この大きなストーリーラインが、
2本ではなく3本以上ある、同時進行タイプだ。
これらの、ストーリーラインについて考えよう。

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posted by おおおかとしひこ at 15:42| Comment(0) | TrackBack(0) | 脚本論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

結末からつくるエクササイズ

何故みんな、結末から話をつくらないのか。
慣れてないだけだろうか。それとも知らないのだろうか。
冒頭からつくったって、次々に発散していくカオスに飲み込まれ、
秩序としてのテーマ(ラストシーン)にたどり着ける訳がない。

特に短編なんて、結末からつくるものである。

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posted by おおおかとしひこ at 00:40| Comment(0) | TrackBack(0) | 脚本論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年05月01日

主人公論、さらに続き:ヒロインが惚れる理由

主人公に何故ヒロインが惚れるのか、
を上手く書ける人は少ない。

それは、主人公とヒロインを、人間として描いていないからだ。

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posted by おおおかとしひこ at 14:54| Comment(0) | TrackBack(0) | 脚本論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

主人公論、つづき

いわゆる主人公主人公した、主人公にしてはならない。
それは、平凡だからだ。
(例えばショーンコネリー以外のジェームスボンドに人間的魅力がないのは、
主人公主人公した、テンプレ主人公だからだ)

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posted by おおおかとしひこ at 11:08| Comment(0) | TrackBack(0) | 脚本論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

主人公は、誰がモデル?

「自分を主人公にする」愚を避けるための方法論。

友達や、先輩、後輩、具体的な人間のモデルを、
あげられるようにしておく。混ぜてもいい。
自分と年齢の離れた主人公にするのも、
ひとつの方法だ。(離れすぎると、モデルが必然的に必要になるから)

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posted by おおおかとしひこ at 00:26| Comment(0) | TrackBack(0) | 脚本論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする