2014年05月09日

ペプシ「桃太郎」エピソード1、これ正気?

目を疑うつまらなさだ。エピソード1。
えっと、0しばりはもういいんでしたっけ。

(5/19追記:検索でピンポイントでたどり着く方が多いので。
このブログは、「ストーリーとは何ぞや」という脚本論について書いています。
前回の桃太郎エピソード0では、そのストーリーの無さを批判し、
じゃあ映画にするなら何が必要かを、ためしにプロットをつくることで示しました。
そもそもの議論は、クリエイティブの反対語は「イミテイティブ」だ、
という所からはじまっています。
一連の議論は、トップページ最初の記事「脚本論」からリンクをたどれます)


ダメなCMの特徴は「出落ち」だと以前書いた。
だからその続きは、「新キャラを出すことで出落ちループを続ける」
という特徴がある。
今回の「ゲスト」も、その駄目パターンの王道に陥った。
エピソード2でも同じことをやるか、見物である。

既視感しかない映像の、底の浅さはなんだこりゃ。
おそらく今回のパクリ元は、前回分に加え、
「キルビル2」(五点掌を語る場面)と、
パルクール剣道「ウルヴァリンサムライ」である。
その系譜のバットマンビギンズやSW1なども参考にされているだろう。


桃太郎の動機のなさ、宮本武蔵の動機のなさ。
物語はそこにはなく、表面的なファッションだけがそこにある。

イミテイティブ。これはクリエイティブの反対語だ。



せめて二刀流のファッショナブルな殺陣ぐらい、提案して欲しかったところである。
(宮本武蔵の父、無二斎は十手術の継承者で、
左手に短い十文字槍のような特殊な十手、右手に太刀を持つ使い方をしていた。
武蔵はそれを小太刀と太刀に改変したのだ。
昭和の撃剣興行という剣道の興行には、頻繁に竹刀二刀流がいたし、
今でも公式試合でたまに見かける。その型を使えば良いのに。
そういう基礎的な事実を、なぜ調べないのだろうか。

ついでに、「桃太郎」の話は鬼門=丑寅の方角:だから鬼は牛の角と虎のパンツ、
を、反対側の申酉戌で封じるという話である。
呪術的な話もふくみ、古代の異民族支配史にも触れる内容だ。
それを何故無視したのか。SFというには時代も違いすぎる。単なる無知?)


一連の桃太郎批判と再構築の過程は、トップページの記事、
「脚本論」内のまとめへどうぞ。
posted by おおおかとしひこ at 19:11| Comment(4) | TrackBack(0) | 脚本論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする