2014年05月10日

桃太郎批評続き:中身のなさは、タイトルに現れる

桃太郎CMをちょろっと調べると、
それぞれのタイトルが、「Episode 0」「Episode 1」であるそうだ。

これは典型的な駄目タイトルだ。
意味をなしていないからだ。

例えば、「家来集合編」「師匠の剣編」と仮にタイトルをつけてみたとしよう。
そうすると、問題が起こる。

続きを読む
posted by おおおかとしひこ at 17:05| Comment(0) | TrackBack(0) | 脚本論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

桃太郎Ep.1続論:脇役とサブプロット

そいる様コメントありがとうございます。
アイデア拝見しました。
そのダジャレを言って怒られない、高田純次あたりが適役でしょうか。
しかしこれは、どれだけ魅力的であろうとも、
点のキャラクターデザインであり、
線のキャラクターデザインではありません。

線とは時間のことです。
時間とは、変化のことです。
最初と最後で、人間の中身が変化することが、
時間軸をもつ、おはなしという芸術です。
(中身が変化するには、影響を与えあう必要がある。
これを絡みといい、人格が溶け合うことを含む)

それに対し、「キャラ」は時間変化をしません。
キャラを考えるのは楽しいですが(ワンピのウソップが元ネタ?)、
それは線(時間)を考えていることにはなりません。
逆に言うと、キャラが変わってしまう(ほど凄いこと)ことを描くのが、
おはなしです。

僕がペプシ「桃太郎」を批判しているのはまさにそこで、
それはプロットの未熟さです。点ばかりで線がないことです。

続きを読む
posted by おおおかとしひこ at 13:51| Comment(0) | TrackBack(0) | 脚本論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする