2014年06月30日

脚本を書いたことない人へ

いきなり脚本形式(見よう見真似でいい)で、
A4白紙に5枚以内で一本書いてください。オーバーしちゃダメ。
頭の中で想像した短編を、書いてみてください。
5枚は、大体5分から10分ぐらいのお話になります。
(例えば過去記事の脚本添削スペシャル「ねじまき侍」は15分です。
それより短くて小さなストーリーを想定してください)

必ず手書きにしてください。手と脳にシナリオ形式を覚えさせるのが目的です。
人に見せる前提で、必ず最後に清書してください。
字が読みやすい人は、思考も綺麗です。これはマジです。日本語の特徴です。
書道やペン習字習うのは、打ち文字100%でも、ライターになりたいならかなり有効です。

完結させてください。
5枚以内だから、2枚でもいいです。
オーバーしたらどこかを削ること。
オチまであることが重要です。書き終えたらコピーをとって下さい。

推敲を重ねて下さい。軽く演じてみるのはいいことです。
黙読ではなく、発音された音の世界でリアルタイム再生をすると、
欠点がわかったりします。
その動画を見て、客観的になるのもいいことです。
書き込みまくって、お気に入りの最終形をつくって、清書してください。
最初に書いたやつと最終形は、セットで保管すること。

これを3セットから5セットするとよいでしょう。
その際、入門書やネットの情報は参考にしてはいけません。
自分の映画的本能だけで、3本以上、5枚以内を書いてください。

それを、決して人に見せないこと。必ず酷評されるから。
まだあなたは、脚本を勉強せず、本能で書いただけ。
サッカーを習う前、子供たちが走り回ってたようなもの。
そこから勉強して、最初の何本かをリライトしたくなるときが来るでしょう。
しかしそれは、決してリライト出来るお話になっていないでしょう。
技術でなく本能で書いたお話は、技術に溺れない粗削りの魂を持っています。
技術を覚えたあとでは書けない、大事な何かがそこにあります。
その魂を忘れないために、今後も大切に保管してください。

あとは色んな入門書などが役に立ちます。良い教師をさがすことです。
posted by おおおかとしひこ at 09:23| Comment(0) | TrackBack(0) | 脚本論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

カット割の研究:「渇き。」の例

「渇き。」のカット割の特徴は、
三年前と現在の同時進行という大きな構造の中で、
三年前の過去は、手持ちとマルチキャメラの多用、
現在は、フィックスとシングルキャメラ、
と、使い分けていることにある。

(以下ネタバレの可能性あり)

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posted by おおおかとしひこ at 04:30| Comment(0) | TrackBack(0) | 脚本論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

カット割の基礎

映画の単位は、カットだろうか、シーンだろうか。
それは、カット割の基礎を知ってから考えるべきことである。

映画の撮り方には二種類ある。
シングルキャメラとマルチキャメラだ。
この方法では、カット割の考え方がまるで違う。

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posted by おおおかとしひこ at 03:59| Comment(2) | TrackBack(0) | 脚本論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

親愛なる中島哲也様

ずっと僕らの先頭ランナーを走る姿を、
最初は尊敬の眼差しで、
次は羨望の眼差しで、
次はどこまでいけるのかという意地悪な見方で、
見守っていました。

お疲れさまでした。
ようやく空席ができました。椅子取りゲームに参戦します。
まずはその参加権を得る戦いをはじめます。
小さな狼煙を上げるので、温泉からでもご覧ください。

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posted by おおおかとしひこ at 00:40| Comment(0) | TrackBack(0) | 脚本論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年06月29日

ストーリーとは何か3: 人物と世界とストーリー

キャラ設定は、単独で書くことができる。
背景となる世界設定も、単独で書くことができる。
が、ストーリーだけは、単独で書くことが出来ない。

一番単純な形のログラインや、あらすじや、プロットですら、
世界と人物から離れることはできない。
化学物質から何かを抽出するように、
ストーリーだけを純粋な物質として抽出して見せることは出来ない。

なぜなら、ストーリーとは、
世界や人物の変化と、その理由のことだからだ。

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posted by おおおかとしひこ at 21:49| Comment(0) | TrackBack(0) | 脚本論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

ストーリーとは何か2: 話のスケール

ストーリーとは、理屈のある変化である。
「水が沸騰し、蒸気になった」もストーリーだ。
ここで、「なる」という人にも使える動詞を使っていることに注意。
ストーリーの中では、変化するものは、
擬人化された、人なのだ。
逆にいうと、(擬人化を含む)人でしか、人はストーリーを理解出来ない。
(艦これなどの擬人化が何故起こるかの理由がこれだ。
本来ストーリーのないものから、人はストーリーを見いだしたがる。
点の集合から心霊写真が見えてしまう、シミュラクラ現象のように)

さて、その変化の大きさを、話のスケールという。

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posted by おおおかとしひこ at 12:42| Comment(0) | TrackBack(0) | 脚本論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

ストーリーとは何か

ストーリーがある、とは何で、
ストーリーがない、とはどういうことか。

僕は、変化があることだと思う。
ただの自然変化ではなく、理由のある変化のことだと思う。

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posted by おおおかとしひこ at 00:50| Comment(0) | TrackBack(0) | 脚本論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年06月28日

おすすめの訓練の方法:数をこなす、三題話

30分ドラマとか、15分ドラマとか、3分ドラマとか、
短めのものを想定して、
プロットを数多く書くこと。
完結した本数が10以上。
出来れば、30、50、100本ぐらい。

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posted by おおおかとしひこ at 16:00| Comment(0) | TrackBack(0) | 脚本論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

マーケティングは市場を縮小する

スタンドバイミーさんの質問にこたえて。

ぼくは、マーケティングは市場を縮小する、という主張をしています。
マーケティングは、一回はありかもしれない。
100からたとえば70でピンポイントを狙う。
しかし、次回はその70の中から70を狙わなきゃならなくなる。
49になる。三回目は34になってしまう。

シリーズものなどがそうでしょう。
そうでなくとも、監督や作者という通貫で人が見るなら、
自分のつくるものは全てオレシリーズということになる。

一部を相手にするものは、必ず先細ります。

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posted by おおおかとしひこ at 13:44| Comment(6) | TrackBack(0) | 脚本論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年06月27日

マクガフィンは、イコンとしても使える

風魔の7話「忍び、青春す」の「玉ねぎのシーン」を例にとろう。

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星占いのススメ

運命とかそういうことではなく、
「実用的な性格分析」の代表例ぐらい、知っていてもよい。

「世の中には色んな人がいる。
例えば、あなたが大事にするポイントを同じように大切にしたり、
あなたと同じような考え方をする人は、
世の中の1/12しかいないのだ」という考え方を見て、ドキリとしたことがある。
勿論常に正しい理屈ではないが、
登場人物の性格という点では、非常に参考になる考え方だ。

僕は今までに出会った人をモデルにしたり、
映画や漫画で出会った人を、登場人物のモデルにすることがある。
多分一番多いのは、自分の中の集合的無意識みたいなところから出てくる人物像だ。
まだ形がつかめないときに、「○○座的な性格」とこっそり規定しておくのは、
破綻のない性格をつくる(例えば乙女座なら、ロマンチックなのは理論的なところを突き詰め、
それ以外の部分をロマンと考えるから、などの首尾一貫性。
一方魚座が運命にロマンチズムを持つのは、人に合わせる性格のせい)うえで、
使えるテクニックだ。
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物語とは「私は愛されている」ではない

大体、小説や脚本を書こうと思う人間が、リア充なわけがない。
自分の人生や自分に何かが足りないから、そちらへ逃げるのだ。
強い人間ならとっくに実人生でオラオラ体育会系のように生きている。
これは自分だけでなく、ライター志望の殆どが、と思ってよい傾向だ。
こういう人たちが初めて書く話は、パターンが決まっている。

主人公は「私」一人称(もしくはその投影の濃い三人称)で、
特殊な物語的状況におちいり、何かの奇跡が起きて、
「私は愛されていた」と気づく話だ。

それは、無意識の自己承認欲求を具体化しただけの、
陳腐なお話になる。

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2014年06月26日

絵で語ること

絵で語る、とは、何かを何かで象徴することだ。
映画は三人称形式だから、ものを撮る。
それで何か(たいてい内面)を象徴することが、映画的表現である。

「ピアノ・レッスン」(相変わらず邦題がよくない…)を例にとろう。

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posted by おおおかとしひこ at 18:49| Comment(0) | TrackBack(0) | 脚本論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

パターン分析

「映画でよくあること」を分析するのは、
とてもよいことだ。
ここでこうならこういう展開が待っている、
とか、
このネタ振りは大抵あとでこう使われる、
とか、
こう来たら普通こう、
などの、なんとなくのパターンを知っていると強い。

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posted by おおおかとしひこ at 00:04| Comment(0) | TrackBack(0) | 脚本論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年06月25日

台詞の極意

言うべきことは言わない。
言わないべきことを言う。
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第一稿は、めちゃくちゃに書こう

Wikiの三幕構成の項をみた。
初心者諸君はあんなもの見てはいけない。
集合知の欠点だ。
知っている人の知識の総合にはなるが、
知らない人が最も登れない山になっている。

三幕構成など気にしなくて良い。
第一稿は、ほとばしる情熱のままに書くべきだ。
ただ、脚本そのものではなく、
ペラ一枚のあらすじがいい。(このへんはハイレベルな初心者講座参照)

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posted by おおおかとしひこ at 15:50| Comment(0) | TrackBack(0) | 脚本論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

葛藤の描き方

コンフリクトを葛藤と訳すのは誤訳だ、
「ドラマとはコンフリクトである」は
「ドラマとはもめごとである」と訳すべきだ、
葛藤とは心の中のことだから三人称形式では見ることが出来ない、
と主張してきたが、
では葛藤はどう描いたらいいのだろう。

二つの選択肢を同時に用意するのが、最も映画的だと思う。

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posted by おおおかとしひこ at 14:11| Comment(0) | TrackBack(0) | 脚本論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年06月24日

デジタルは人を幸せにしない:ラテチュード

最新式のデジタルカメラの、
明るさのダイナミックレンジが13ステップと聞いて耳を疑った。

これでは素人は永遠に表現を学ぶことは出来ないだろう。

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posted by おおおかとしひこ at 15:15| Comment(0) | TrackBack(0) | 脚本論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

初心者が目指すべき規模

タイトルだけは気になっていて、
未見だった、「水の中のナイフ」をようやく見れた。
初心者の目指す規模は、この辺りではないだろうか。

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posted by おおおかとしひこ at 12:57| Comment(0) | TrackBack(0) | 脚本論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

マクガフィンは、ハッタリである

物語の小道具や舞台装置のなかで、
機能する、それが何であっても構わないものをマクガフィンという。
(物語の進行に、その意味が何であってもよく、
物語上の機能として必要なもの。
スパイ達が奪い合うマイクロフィルムなど。
そこに機密があり、奪い合う動機になればよく、
機密の内容は作中では何であっても構わない。
「霧島、部活やめるってよ」の霧島はどんなやつでもよく、
やめることで皆がざわつく、そのざわつきがメインなので、
霧島はマクガフィンだ)

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posted by おおおかとしひこ at 01:08| Comment(0) | TrackBack(0) | 脚本論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年06月23日

表現塾「風」

昔、「表現塾」というのをやればいいのではないか、と仲間と話したことがある。
そのときの課題はこういうものだ。

小学校程度でならう「芸術」で、すべて同じ課題を表現する、というネタだ。
課題は「風」とする。

水彩画で、鉛筆画で、版画で、切り紙で「風」を表現する。
書道で「風」を表現する。
創作ダンスで「風」を表現する。
楽器または作曲で「風」を表現する。
「風」を表現した俳句、詩、小説を書く。
写真で「風」を表現する。
彫刻、粘土、立体物で「風」を表現する。
服のデザイン(+髪型)で「風」を表現する。

これを一通り経験する、というものだ。

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posted by おおおかとしひこ at 17:28| Comment(0) | TrackBack(0) | 脚本論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

あることをじっくり描写するのに

あることをじっくり描写するのに、
映画では、その外面をなめるように撮る。
表情、風景、アクションのスローモーション。
長回しを使うことが多い。
音楽で気持ちを増幅する。
それによって次になにが起こるか、皆が身構えるように。

あることをじっくり描写するのに、
小説では、内面を書く。
人の心の中の思いを描写する。
なにが起こったかを描写するより、これがなんの意味があるかを描写する。

あることをじっくり描写するのに、
漫画では、大ゴマを使って絵をじっくり描く。
あるいは、コマを沢山使う。
心の声や解説を入れ込むこともある。

あることをじっくり描写するのに、
演劇では役者の力を使いきる。台詞と証明と音効でそれを助けることもある。

あることをじっくり描写するのに、
写真では三脚を立て、絞りを絞る。露光時間を増やすか、強い光を当てる。

あることをじっくり描写するのに、
油絵では筆を細くし、絵の具を盛り続ける。

あることをじっくり描写するのに、
音楽ではなにもしない。じっくり、は時間軸にはない。
あることをじっくり描写するのに、
水彩画はなにもしない。じっくり、は水彩画にはない。
あることをじっくり描写するのに、
書道も恐らくなにもしない。じっくり構想することはあっても、
書くのは一瞬だ。


表現の媒体が違うことは、
それに適した内容は違うことを意味する。
漫画や小説が映画になると簡単に思う人は、
水彩画が油絵に簡単になると思う知性のレベルだ。

我々は映画の特質を理解しなければならない。
それは、他の媒体の特質を理解することでもある。
posted by おおおかとしひこ at 11:14| Comment(0) | TrackBack(0) | 脚本論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年06月22日

物語の効用とは、現実の異化である

難しいことを言ってみたが、誰もが経験していることだ。
独特の世界にいって帰ってきたとき、
物語でない我々の現実が、ちょっと違ってみえることだ。

マトリックスを見たとき、この現実は仮想だったり、とか、
幽霊はマトリックスのバグで、とか、
本当の世界で目覚めるために今の現実があって、と考える遊離感がある、
そのようなことだ。
思う力が強ければ、俺も弾丸を避けられるかも知れない、
と夢想することだ。

ドラえもんを見たとき、机の引き出しが未来に繋がっていやしないか、
と夢想することだ。

現実は、物語体験によって別の見え方をするのだ。

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posted by おおおかとしひこ at 15:27| Comment(0) | TrackBack(0) | 脚本論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

戦いにではなく、戦いの理由に感情移入する

凄いバトルシーンを描くと、夢中になってくれるのか。
うっとりするキスシーンを描くと、夢中になってくれるのか。

否だ。

地球をまもるために、このままでは正義が葬られてしまうから、
個人の尊厳のために、戦いに負けたらそれが失われるから、
人はハラハラするのだ。
キスに興奮するのではなく、「好きだから」という感情に興奮するのだ。

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posted by おおおかとしひこ at 13:23| Comment(0) | TrackBack(0) | 脚本論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年06月21日

説得力

説得力があるかないかは、
映画の中ではひとつしか基準がない。

「一般的に正解と思われること」が説得力があり、
特殊解には説得力がない。たったこれだけだ。

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posted by おおおかとしひこ at 01:55| Comment(0) | TrackBack(0) | 脚本論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年06月20日

テンプレのつづき:面白い映画とは

さて、では面白い映画とはなんだろうか。
前回のテンプレで、それを分析することができる。

まず、Aに当たるモチーフが面白いこと。
面白いとは、新しいことも含む。
どんなことをしてもいいから、新しく面白い話をまずつくる。

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posted by おおおかとしひこ at 21:11| Comment(0) | TrackBack(0) | 脚本論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

物凄い簡単なテンプレ

非常に強力なので、大岡式テンプレと命名。

A: 物凄く面白い話を書く。一行か二行の、ログラインまたはあらすじ。
B: それを主人公がどう解決したか書く。
C: 主人公はこの冒険を通して、「○○○」ということを学んだ。

Aがモチーフ、Cがテーマ。
(そして前回までの議論から、これらは違うものが理想)

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2014年06月19日

表現とは、モチーフとテーマをずらすこと

だと僕は思っている。

最近のCMはそうでもないらしい。
商品を使う喜びを笑顔で表現すれば、表現したことになるらしい。
いつからこんなに幼稚になってしまったのか。
これでは幼稚園のお遊戯ではないか。
(まあ昔からそういう詰まらないCMはあったけど)

AをAで表現するのは、表現でも何でもない。
それは模写とかお遊戯に過ぎない。
AをBで表現するのが表現だ。

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posted by おおおかとしひこ at 13:06| Comment(0) | TrackBack(0) | 脚本論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

ステージを想像せよ

三人称形式というのは、いつでもステージで出来るものである。
一人称形式はステージで出来ない。
(独白やナレーションを使えば出来ないこともないが、
それがメインになってしまう)
小説や漫画は一人で読むものだから一人称形式でも構わないが、
映画はステージで見るものだ。(DVD鑑賞は邪道としよう)

満場の観客が待っているステージを、いつも想像せよ。
あなたはそこに、台本一冊もって出て行くのだ。
演目は「面白いおはなし」である。

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posted by おおおかとしひこ at 11:49| Comment(0) | TrackBack(0) | 脚本論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年06月18日

一人称と三人称の違いが分かる、好例

映画「好きって言いなよ。」の「特別映像」というのがある。
ググってください。

予告編の一種だが、音トラックが主題歌だけで、
セリフやSEに当たる部分は、全部漫画の吹き出しと書き文字が乗っていることで表現されている。

「マンガと映像の融合」といえば聞こえはいいが、
実はこれは、三人称表現と一人称表現についての差異に、大いなる示唆を与えてくれる。

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posted by おおおかとしひこ at 20:53| Comment(0) | TrackBack(0) | 脚本論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

知的体力2

知的体力の低い人は、
思考をコントロール出来ない。
逆に言うと、プロは思考や発想を意図的な方向へ導く。

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posted by おおおかとしひこ at 17:41| Comment(0) | TrackBack(0) | 脚本論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

見た目だけで本質が伴っていない例

僕がデザイナーとしては好きな人で、
監督として大嫌いな人に、雨宮慶太という人がいる。

僕は特撮専門誌「宇宙船」の読者でもあったから、
「巨獣特捜ジャスピオン」以前から氏のデザインのファンだ。
(宇宙刑事を雨宮が継ぐ!と興奮したが、出来は…)
鴉も見たし、帝都も見たし、タオの月も見たし、
ハカイダーもミカヅキも牙狼も見ている。
先日ゴウライガンの第一話を某所特撮バーで見て、
結局氏の才能は見た目のデザインであり、物語にはないことを、
改めて確信した。

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posted by おおおかとしひこ at 17:04| Comment(0) | TrackBack(0) | 脚本論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

「塔の上のラプンツェル」は下手な邦題だ

アナ関連で、見れていなかったラプンツェルを見たときに思ったこと。

僕は、邦題を「魔法の髪のラプンツェル」とすべきだと思う。
タイトルには何が必要か、という話。

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2014年06月17日

車田正美原画展、いってきました

たまにはブログ的な記事でも。
それが風魔だ!に目頭が熱くなり、
飛鳥武蔵の立ち往生(美しい緑バック)に、なんであの日晴れちゃったのかなあ、
と悔しい思いが込み上げてきて。
もっとやれたんじゃないか、と同世代の風魔ファンに申し訳なくなります。

リンかけ十二神あたりから風魔の死牙馬登場ぐらいまでの絵が、
一番好きなんだよなあ。
あの頃の主線は、何度か書いて太くしているのが、生を見てわかりました。
昔Gペン一発で引こうとして、何回もペン先ダメにしたわ。
生で見るとホントにいいですね。一生ものの眼福。
欲を言うなら姫子ちゃん全裸シーン生で見たかった。
(女子向けだろうからダメか…)
三冊買ってくれるファン向けに書くんじゃなくて、
一般の読者の手をいかに止めるかだ、という車田先生のメジャー精神は、
僕の中で中心思想になっていることに改めて気づきました。

願望を言うなら、ザジ映画化してえ。東映さんみてますか?
posted by おおおかとしひこ at 19:26| Comment(0) | TrackBack(0) | 実写版「風魔の小次郎」 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

加点法と減点法

映画を批評するとき、加点法で考えるか、減点法で考えるか、
それは人それぞれだと思う。

欠点を補ってあまりある長所があれば、加点法で大きく稼ぐ。
どんなに緻密につくっても、破綻があれば減点法では大きい減点だ。

作品だと考えるから、採点が難しくなる。
人だと思うと、作品は採点しやすい。
どの時代も人気の人は、親しみやすく、
キャラが立っていて(ときに時代を変えるほど破天荒で)、
一緒にいると楽しく、欠点すら愛される人だ。

僕は監督や脚本家で映画を見る。
それは映画を物語ではなく、人だと思って見ているのかも知れない。
posted by おおおかとしひこ at 15:28| Comment(0) | TrackBack(0) | 脚本論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

作詞作曲と脚本の違い

仕事で、いくつかの曲を作詞作曲することがある。
一番メジャーなのはダスキン50周年CMの曲か。
自分では、ある種のことばの才能があると自負している。

作詞作曲は、ノリや思いつきで出てくる。
イントロからAメロまで詩と曲が同時に出てくれば、
あとはBメロへ展開させて、サビでテーマを歌いこむと完成する。
(編曲はプロにやってもらう)

そのノリや勢い、アドリブ的な面白さが音楽には重要だ。
脚本はそうはいかない。
作詞作曲より、ずっと計画性が重要だ。
それでいて、音楽のように、その場でのノリやグルーヴが重要だ。
ストーリー内容だけでなく、間やテンポや緩急も決定的に重要だ。

思いつきやヒラメキは、執筆のときまでとっておき、
計画だけは先に綿密に練る。
プロットを特別僕が重要視するのは、
執筆のヒラメキを大事にするための方法論かも知れない。
posted by おおおかとしひこ at 11:23| Comment(0) | TrackBack(0) | 脚本論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年06月16日

オープニング

映画のオープニングは、
たいてい何でもワクワクする。
これから一体どんな世界へ連れてってくれるのだろうという期待が、
マックスになっている。

しかし、大抵それは裏切られて、ダメになってゆく。
オープニングの期待にきちんと答える名作と、
それは何が違うのだろうか。

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映画にならない話

逆に、こういう話はそもそも映画にならない、
という例をあげてみよう。
初心者がここにおちいりがちなのは、
映画物語という形式に慣れていないからだ。

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2014年06月15日

映画は何カットあるか

映画にもよるし、長さにもよるし、監督にもよるが、
おおむね、700から1000カット。
(いけちゃんとぼくは、たしか800以上。
ちなみにCMだと、15秒で10から12ぐらい)

この数字から、色々なことがわかる。

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「もめごとの解決」のパターン

物語のエンジン、コンフリクトを「もめごと」と考えると、
もめごとの解決には、いくつかのパターンがある。


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2014年06月14日

ドラマとは葛藤ではない、もめごとだ

「ドラマとは葛藤である」は誤訳だ、とすでに書いた。
conflictを、我々書き手にただしく伝えていない誤訳だ。

最近意図的に、「もめごと」という訳にしている。
コンフリクトとは、複数の意志や目的がばらばらで、
それぞれが勝手に行動したり、説得したり、意見を統一させたり、決裂したりすることだ。
それを、日本語では葛藤とはいわない。
「葛藤する」とは心の中であれかこれかとジレンマに落ち入り悩むことを言う。

それは、「もめごと」と訳すべきだろう。

対立、衝突、立場の違い、因縁、確執、膠着など、
文脈に応じて使い分けるべきだ、とも僕は書いた。

おはなしとは、主人公が事件を解決することだ。
その過程でもめごとが起こる。
(もめるから、主人公は悩んだり、決断したり、葛藤したりする)
それを解消することと、事件の解決が同時に行われることがおはなしである。
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知的体力

知性にも体力がある。
文章を書かない人には、なんのこっちゃと思われるかもしれない。

知的体力とは、
「冴えた頭をどれだけ長い間維持できるか」
という能力だ。

ためしに、原稿用紙何枚くらいまで、
体験談でも思うことでも創作でも題材はなんでもよい、
「自由に書け」という作文が書けるだろうか。

10枚ぐらいなら、下書きなしでもすぐ書ける。
最低、脚本を書くにはそれぐらいの基礎体力は必要だ。

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2014年06月13日

面白くない話を、ピリッとさせる方法

経験則から書いてみる。

1それぞれの登場人物の焦点を、各時点でリストアップする
2危険を加える
3感情を増幅する

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削ぎ落とす

5のものに、5を足して、5を足して、5を足して、
20ぐらいのものをつくり、
結局よく分からないものを初心者はつくる。
それは、最初の5が貧弱なのではないか、
という不安からだ。
最初の5に不安がある(そしてそれは表現の未熟ゆえに出来がよくない)から、
別の要素を足す。
それは、観客から見たら小さい要素が沢山ある、
小さなややこしいものの絡み合った糸屑でしかない。
最初の軸を残したまま、別の軸を貫こうとしてややこしい。
で、何がやりたいの?と言われておしまいだ。

最初の5の要素のままで、もっと出来のいい表現を考えるだけでいいのに。
出来のいい表現というのは、高尚とか工夫とかではない。
感情が揺さぶられる表現のことだ。

要素は削ぎ落とせ。
感情は増幅せよ。

これが表現の基本だ。
つまり感情が丸裸になる。これは初心者にはこわい。
しかし観客から見れば、複雑な感情より、ひとつの強い感情に支配される方が強い。
告白される側から見よう。
複雑で小さい要素の入り組んだ告白より、ひとつの感情を揺さぶる素晴らしい表現の方が強い。
たったひとつのこと、「抑圧の解放」を歌で表現するLet it goはその例だ。
これはAをAで表現する例で、基礎がいる。
AをBで表現してもよい。これは才能と教養がいる。
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2014年06月12日

映像文法

小説には小説の、漫画には漫画の、演劇には演劇の文法がある。
小説は字だけで、漫画は絵と字で、演劇は役者と板で、
物語を表現する。

映画は?
役者と板という演劇の方法論と、
モンタージュの組み合わせだ。

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posted by おおおかとしひこ at 23:43| Comment(0) | TrackBack(0) | 脚本論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

信用させているか

見も知らぬ、多くの人に、初見で、
物語というものは見られる。

誰が初見で見ても、世界に引きずり込み、
満足させるようなものでなければならない。

それには何が必要だろう。
僕は、信用してもらうことだと思う。
観客が、この物語は入り込んでいいんだ、
と信用するに足る何かを、
最初のうちでまず提供する必要があると思うのだ。

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posted by おおおかとしひこ at 14:43| Comment(0) | TrackBack(0) | 脚本論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

モチーフとテーマを混同しないこと

この作品のテーマは、時を越えた愛です、とか、
変わらぬ友情です、とか、
平和に関する物語です、
心の闇を描いた、
などと言う人がいる。

この作品は、とある戦争を通じて、人々が見せる勇気をテーマにしたものです、
と言う人もいる。

このときの「テーマ」の使い方は間違いだ。
これらは全て「モチーフ」である。

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posted by おおおかとしひこ at 11:25| Comment(2) | TrackBack(0) | 脚本論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年06月11日

偶然待ちをするな

面白い話は、いつかあなたの所に降って湧いてくるのだろうか。
そんなことはない。

話を創作することとは、
「こういう話を書きたい」と強く思い、自分で練り上げてゆくものである。
その過程で、いいアイデアが降ってくることはある。
引き寄せの法則ではないが、アイデアを途中で引き寄せるのだ。
そのためには、最初に「こういう話が面白い」と強い方向性を決めることだ。
プロットの一行目に書くべき、主たる感情である。
これを軸足を決めるなどと言うこともある。

それも決めず、何かのアイデアを待ち続け、
木の根っ子に偶然兎が転げてとれねえかなあ、
と思っているのなら、一生が先に終わるだろう。

まずは、その一行目を決めることだ。
あなたは何を書きたい? どんな映画を見たい?
あとは、その周辺でうんうん唸ってひりだしたり、どこかに取りに行くのだ。
posted by おおおかとしひこ at 20:41| Comment(0) | TrackBack(0) | 脚本論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

初心者講座25:1分1枚のフォーマット

あとは、書くだけだ。書いて書いて、直して直すのだ。
プロットという話の計画を、
具体的な空気、つまり台詞やト書きや柱であらわしていくのだ。

プロットに「ぎゃふんと言わせる」と書いてあったとしても、
実際にそのような場面を台詞劇で書くのは、また別の技量がいるだろう。
(「いけちゃんとぼく」の削除シーンに、
いじめっ子たちがついにぎゃふんと言う場面がある。セル盤に収録)

どれぐらい書けば、どれぐらい分数がかかるか、
わかるフォーマットが伝統的にある。
シナリオのフォーマットを参考にされたい。
これで、尺と文字数の関係についての経験を積むといいだろう。

以上で、ハイレベル初心者講座は終わりだ。
執筆は、正直才能の部分も大きい。
理論的な部分は、ほとんどがプロットのことに集中するものだ。
あとは、面白い話がこの世に生まれることを、願ってやまない。
posted by おおおかとしひこ at 19:59| Comment(0) | TrackBack(0) | 脚本論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

初心者講座24:台詞の書き方

台詞に関しては、慣れしかない。
ほんとうに、ほんとうにそれだけだ。

書けば書くほどうまくなる。書かなきゃちっともうまくならない。
自転車に乗るのと似たようなものだ。

おそれずに、台詞は量をこなそう。
リアリティとか、話を進めることとか、名台詞とかに気をつけながら、
とにかく量をこなそう。

台詞とは会話のことだ。
会話は普段話していないと、いざは出来ないものだ。
女の子と話したことのない男が、いきなり会話で女の子を楽しませることなど出来ない。
経験値だけが、それをスムーズに上手くすすめる。

それと同じで、普段から台詞を書いてないやつは、
いきなりいい台詞なんて書けやしないんだ。
リアルに話が上手い人でも、台詞は下手だったりする。台詞を書いた量が少ないんだと思う。
台詞は会話だ。たくさんたくさん書くべし。

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posted by おおおかとしひこ at 18:45| Comment(0) | TrackBack(0) | 脚本論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする