2014年06月27日

マクガフィンは、イコンとしても使える

風魔の7話「忍び、青春す」の「玉ねぎのシーン」を例にとろう。

続きを読む
posted by おおおかとしひこ at 15:02| Comment(0) | TrackBack(0) | 脚本論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

星占いのススメ

運命とかそういうことではなく、
「実用的な性格分析」の代表例ぐらい、知っていてもよい。

「世の中には色んな人がいる。
例えば、あなたが大事にするポイントを同じように大切にしたり、
あなたと同じような考え方をする人は、
世の中の1/12しかいないのだ」という考え方を見て、ドキリとしたことがある。
勿論常に正しい理屈ではないが、
登場人物の性格という点では、非常に参考になる考え方だ。

僕は今までに出会った人をモデルにしたり、
映画や漫画で出会った人を、登場人物のモデルにすることがある。
多分一番多いのは、自分の中の集合的無意識みたいなところから出てくる人物像だ。
まだ形がつかめないときに、「○○座的な性格」とこっそり規定しておくのは、
破綻のない性格をつくる(例えば乙女座なら、ロマンチックなのは理論的なところを突き詰め、
それ以外の部分をロマンと考えるから、などの首尾一貫性。
一方魚座が運命にロマンチズムを持つのは、人に合わせる性格のせい)うえで、
使えるテクニックだ。
posted by おおおかとしひこ at 14:34| Comment(0) | TrackBack(0) | 脚本論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

物語とは「私は愛されている」ではない

大体、小説や脚本を書こうと思う人間が、リア充なわけがない。
自分の人生や自分に何かが足りないから、そちらへ逃げるのだ。
強い人間ならとっくに実人生でオラオラ体育会系のように生きている。
これは自分だけでなく、ライター志望の殆どが、と思ってよい傾向だ。
こういう人たちが初めて書く話は、パターンが決まっている。

主人公は「私」一人称(もしくはその投影の濃い三人称)で、
特殊な物語的状況におちいり、何かの奇跡が起きて、
「私は愛されていた」と気づく話だ。

それは、無意識の自己承認欲求を具体化しただけの、
陳腐なお話になる。

続きを読む
posted by おおおかとしひこ at 13:20| Comment(1) | TrackBack(0) | 脚本論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする