2014年07月20日

おしゃべりのリレー2

小説を昔書いたときに思ったのだが、
小説では、話が詰まったときに、
章や節を変えられることに気づいた。

とりあえず今の焦点の所はつづくにしておいて、
「別の場所(別の文脈)」に話をうつせるのだ。
(小説作法的にその誤魔化しはダメと言われればそれまでだが)

つまりこれは、「大きく話題を変える」ということに他ならない。
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posted by おおおかとしひこ at 16:48| Comment(0) | TrackBack(0) | 脚本論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

おしゃべりのリレー

世の中には会話の得意な人と、苦手な人がいる。
それと脚本の中で饒舌かどうかは、
また別の話だというところが面白い。

会話がリレーのように続くのなら、
脚本が途中で挫折することはないだろう。

「途中で書けなくなる病」の克服は、
リレーのように続く会話はどうすればいいのか、
と同じことだ。

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posted by おおおかとしひこ at 15:23| Comment(0) | TrackBack(0) | 脚本論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

脚本家業界に天才が現れない理由

全面的な対応力が必要だからかな。

小説に天才は生まれる。
が、作を繰り返すほど、凡作になってゆく。
その工程を、脚本は一本でやるかのようである。


つまり、映画の話に、天才かどうかはあまり関係ない。
天才的に超越した面白い話は、多分存在しない。
(お笑いのような短い尺なら、ありえる)
一部にぶっ飛んだものがあっても、
全体で面白い話でない限り、それはカルトに過ぎないのだ。

ぶっ飛んだ面白い話があるとしたら、
それは技巧と工夫を凝らし、
なおかつパワフルな、熟練のお話だけだ。

脚本家に天才は生まれない。
それは、一点突破の世界ではなく、総合的な力が必要だからだ。
posted by おおおかとしひこ at 14:09| Comment(0) | TrackBack(0) | 脚本論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする