2014年07月28日

登場人物を減らすこと2

登場人物を減らすのは、なかなかに難しい。
ひとつコツを。

紙に書かず、頭の中だけで想像してみることだ。

誰か知らない他人に、全体の構造を説明してみるといい。
誰が誰か、紙に書かないと分からないようになってきたら、
それは登場人物が多いという証拠だ。
頭の短期記憶で処理しきれないということだからだ。

「頭の中でスムーズに処理しきれる量」にすることを、第一目標にしよう。
ちなみに、前項のマホロバの再構成は、頭の中だけでやったものだ。

わかりやすい物語は、頭の中で処理しきれる量感である。
それを、常に忘れないようにしよう。
とくに、テーマとの関連で人物の配置を考えるといいだろう。

書いてるそばから新しい構造を思いつくようなタイプの物語はアウトだ。
テーマとメインプロットの全体構成は、ひとつのものになっていなければならない。
そのあとに、部分へ挑むべきだ。
posted by おおおかとしひこ at 22:03| Comment(0) | TrackBack(0) | 脚本論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

登場人物を減らすこと(マホロバを改良してみる)

登場人物を減らすことでどのような効果があるか、
登場人物が多い例で実践してみよう。

取り上げるのは話題の「マホロバ」だ。

既に書いたけれども、三つ巴の構図が多すぎで、
物語は若干飽和気味になり、焦点が分かりにくくなっている。
(それを演出と役者のパワーで乗り切るパワフルな作品ではある)


物語は現実ではない。整理された架空である。
世界やテーマを語るために、分かりやすい構図でなければならない。

理想は、最低限の登場人物でやるべきだ。
「余計な人物」がいるなら削るべきだ。

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posted by おおおかとしひこ at 18:41| Comment(0) | TrackBack(0) | 脚本論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

時を越える

タイムスリップとかではなく。

ある映画が時を越えるには、どうすればいいか。
何年たっても何十年たっても、
名作として燦然と輝くにはだ。

人間の本質に、どこまで迫るかではないか。
いつの時代にもさほど変わらない、
人間の本質だけで物語をつくることではないか。

人間をある種の動物として描き、
それを統御する理性や良心や社会性や、
優しさやユーモアを描くことではないか。

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posted by おおおかとしひこ at 14:21| Comment(0) | TrackBack(0) | 脚本論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする