2014年08月31日

絵がなくても面白い話2

絵と話のつづき。
逆に、映画脚本では、
「どれかの場面は絵で勝負する」を決めるものだ。
予算が少ないなら、
それはたった1カットだ。
このカットだけはこの凄い絵で勝負したい、
という執念で撮るものだ。
それはきっとその映画を象徴する絵になる。
「俺たちに明日はない」のラストのスローモーションがその典型だ。


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絵がなくても面白い話

映画の脚本が面白いかどうかの、ひとつの条件。
それは、絵がなくても面白い話かどうかだ。
素人は、映画は絵で見せる娯楽だと勘違いしている。

さて、どういうことだろう。

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2014年08月30日

小説と映画の違い:主語を繰り返さない表現

シナリオでは、行動の主語はその人の名前だ。
省略しても文脈で分かるときは省略する。

   太郎は花子の肩に手を置く。

太郎 「君の力が必要だ」
   と、花子の肩に手を置く。

太郎 「君の力が必要だ」
   花子の肩に手を置く。

などの表記だ。
とくに「と、○○する」は、「ト書き」の名称の語源だ。
この常識が小説では通用しない場合がある。

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2014年08月29日

カセット編集の経験

今日雑談していて、発見したこと。

「カセットテープを編集した経験の有無が、
編集力に決定的な差をつける」という仮説。

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物真似から入る創作

誰でも創作の初期というものは、そんなものだ。
好きなお話や世界に影響を受け、
それの変形をしながら、
創作の楽しみを知ってゆくのである。

好きな世界観、好きなスタイル、好きな人物を真似しながら、
徐々に独自のものを入れて行くのだ。

守破離という習い事の原則でいえば、
それはまだ破の段階である。
離の段階からが、初めて創作だ。

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小説とシナリオの文字数

ちょっと計算してみて、びっくりしたので書いてみる。
30分もののシナリオを考えよう。
CMやらOPやらEDなどをのぞくと、本編は22分程度だ。
計算を楽にする為に、25分と見積もろう。
この1クール分13話ぶんの文字数は。
(ドラマ「風魔の小次郎」を想像してみよう)

プロのシナリオは、
原稿用紙1枚で1分相当のフォーマットで書かれる。
つまり1話25枚相当、1万字だ。
従って25×13の、325枚相当、13万字である。
文庫一冊の標準的な文字数は、250枚、10万字という。

つまり。
30分1クールという(我々にとっては相当の分量の)長さは、
ちょっと分厚い文庫本程度なのだ。
(最近予算削減で10話で終わるものも増えたから、ビタで文庫本)

かなりのびっくり数字だ。
(我々がよく見る60分ドラマは、実は本編45分である。
1クール13話フルとして、45×13の585枚、23万4000字と、
文庫二冊サイズになる)

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2014年08月28日

「ゼロ・グラビティ」の脚本に足りないもの2

前項では、二幕の出来の良さを分析したが、
今回は、足りないものすなわち、
三幕と一幕、すなわちテーマについて議論しよう。

さて、テーマは最もタイトルに現れる。
この映画の原題は「gravity」である。
ラスト、重力に負けずに立ち上がること
(海から上がった生命の進化のアナロジー)の絵や、
その後にタイトルがドンと出て終わることからも、
これをテーマとしようとしたことが伺える。

だとして、これを表現する三幕と一幕になっていないところが、
この脚本の欠点だ。
具体的に見ていこう。

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posted by おおおかとしひこ at 17:02| Comment(0) | TrackBack(0) | 脚本論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

映画と小説の違い:共犯関係

小説を少々書いている。そこで何となく分かってきたこと。

物語は、受け手と送り手の間に、
密やかな共犯関係を結ぶものである。
これいいよね、うふふ、ということだ。

例えばテーマやモチーフについては、
小説でも映画でも、共犯関係を持つものだ。
それを取り上げること自体が、
受け手と送り手の共通認識であり、
さあこれについて深く考えようぜ、という送り手の誘いと、
誘いに乗った、という受け手の、一種の信頼のもとで進められる。

ところが。
もう少し周辺で、
映画と小説では、共犯関係を持つところが違うと感じた。

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何度も直す所は、切ってみる

経験則。
リライトのとき、執筆のとき、
何度書き直しても、どうしても上手く決まらないところがある。
台詞の一行、やりとり、ト書きのブロック、シーン、
ストーリーラインのブロック。

思いきって切ってみよう。

文章は絵ではない。
そこにそのパートの占める場所がある必要はない。
何度も何度も書き直して、なお存在の価値を放たないのは、
そのものに存在価値がないのかも知れない。
ないほうがシンプルになり、
ないほうがスムーズになり、
ないほうが結果的に想像が膨らむかも知れない。

物語はミニスカートである。
パンチラせずに、スカートの中身を想像させながら常に引き付けるものだ。
ミニスカートに余計な装飾をして、
ミニスカートの優雅な動きが阻害されているかも知れない、
という可能性を考えてみよう。

リライトの選択肢は、4つある。
増やす、変える、入れ替える、切るだ。
全部を均等にマスターしている人は少ない。
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2014年08月27日

「ゼロ・グラビティ」の脚本に足りないもの

今更だがやっと見れたので。
極めてオーソドックスな脚本である。
勉強にとてもいい。途中のひねりでは泣いた。
しかし足りないものが決定的にある。
これを研究することは、
自分の脚本に足りないものは何かを見つける手助けになる。

二幕の出来の良さが完璧である。

二幕は、映画脚本でも最も難しいパートだ。
普通、一幕三幕を書けたとしても、
二幕をここまで出来を良くすることは非常に困難である。
二幕に困ったら、この映画を研究するとよい。
逆に、一幕三幕がこの脚本の弱点である、
珍しいパターンだ。


以下、ネタバレ。

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2014年08月26日

芸術映画

日本ではとくに、映画というものは、
芸術映画とエンタメ映画に二分する傾向がある。

芸術映画は、なんだか素晴らしいらしいが、
なんだか難解で、見る人を選ぶもので、
一方エンタメ映画は、何も考えず誰でも見れるが、
内容はあっさい感動や笑いしかないものだ。

僕はこの分類は間違いだと思っている。

良作や傑作や名作がこの二分法には入らないし、
凡作や駄作や糞作もこの二分法には入らないからだ。

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2014年08月25日

奇跡的な解決法3

我々は、物語の中では、必ず奇跡的な解決を示さねばならない。
だが、そんな上手い方法を我々が発明出来ることは希で、
現実で確実にそれが出来るなら、既に我々は億万長者だ。

だから、劇中の問題と解決は、厳密には嘘だ。
勿論、観客もそれを分かって楽しむのがフィクションである。
(ドキュメントのようなノンフィクションでは、その厳密性が問われる。
フィクションで問われるべきは、もっともらしさ、
すなわち「その世界でリアリティーがあるか」の方である)

さて、どのような形にせよ、
問題の設定と解決にはペアがある。
非現実的な設定をし、それを劇的に解決する、
ゲーム型については前項で論じた。

更にそれを現実に近い世界で実現するにはどうすればいいだろう。
僕は、人に関わることだと思う。

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奇跡的な解決法2

女に縁のない内気な男がモテモテになる奇跡的な解決法や、
ビジネスで絶対成功する奇跡的な解決法や、
世界平和が実現する奇跡的な解決法や、
絶対不可能な罠を攻略する奇跡的な解決法は、
この世にはない。
(あったらみんなやってる)

しかし、映画では必ず奇跡的な解決が待っている。
これは一体どういうことだろうか。

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2014年08月24日

奇跡的な解決法

人は物語に奇跡を求める。
冒頭に起こった事件の奇跡を、
まず人は求める。
それは今の退屈な日常に、
何か面白いことが起こらないかと思っているからだ。

そしてそれ以上に大事なのは、
奇跡的な解決のほうだ。

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花火大会にも三幕構成がある

昨日は多摩川花火大会だったが、
1時間のショウの中に、明確な三幕構成があって、
なかなかの発見だった。

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2014年08月23日

逆にする

時系列の話、つづき。

逆にする、というのは表現全般によくあるテクニックだが、
これを時系列的編集に使ってみることも、
よくあるテクニックだ。

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深い話

「深い」とあなたが思う話は、
その深さにあなたが行ったことないことを暴露する。

深い浅いは相対だ。
深い話が書きたいのなら、その深さに来ればいいだけだ。
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2014年08月22日

脚本を書くのに必要な能力

作劇力。
キャラ造型力。
台詞力。
リズム感。
リライト力。
客観性。

の6つ、としてみるとしよう。

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編集と時系列

編集とは、時系列をいじる行為でもある。

語りの順番は、
何も馬鹿正直に順番で話す必要はない。

重要なストーリーラインを中心にし、
適宜省略や必要なときの挿入
(フラッシュバックまたはカットバックが多い)
をすればいいだけなのだ。

勿論、あえてこの順番で語るから面白い、
ということもある。
語る順番を考えることは、馬鹿正直な小学生の報告から、
大人の語りへ、一歩踏み込むことになる。

語る順番を変えることで何が生まれるのか、見てみよう。

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2014年08月21日

伏線は、納得するためにある

何のために伏線を張るのか、考えたことはあるだろうか。
どんでん返しのためと答えるのは、
まだまだストーリーテリングの初心者だ。

伏線は、納得するためにある。

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続・小説のススメ(追記)

会社で「下手なシナリオ」を見たので、記録しておく。

オペラを観劇する男。演目は「トゥーランドット」。

小説ならどこも不思議のないこの文章も、
ト書きとして見るなら下手くそ極まりない。

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続・小説のススメ

小説を書け、というのは何度か書いてきている。
純粋に「小説を書く」のは才能がいると思うが、
脚本を書くことのトレーニングに使う、
という方法論でだ。

ある物語を表現するとき、
シナリオ形式より小説のほうが、楽なことがたくさんある。
シナリオ形式は、小説形式より難しい、と僕は断言しよう。
(読者に要求するリテラシーも、シナリオの方が遥かに複雑だと思う。
映像表現として成立することを文字で書くからだ)

今小説を試しに書いているのだが、
そこからいくつかの例を。


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2014年08月20日

要するに、あなたはメジャーな悩みを持つべきだ

作者の信じる面白い主観が、
他の人の面白い主観になるためには、
あなたが他の人たちと同様の何かを持っている必要がある。

あなたの悩みが特殊で、
あなたの言うことがそれに基づくものなら、
それはあまり多くの人の魂を共鳴させない。

逆にあなたの悩みが何処にでもあるもので、
それを作中でうまく昇華しているのならば、
何処にでもある悩みを抱える多くの人の魂を震えさせることが出来るだろう。

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2014年08月19日

「おもしろい」は主観である

客観的になれ、とか、オナニーはよくない、などは、
作家志望の人がよく言われる忠告だ。

しかし、客観的に面白い話は、この世にない。
面白いとは、主観だ。


初心者は、「客観的に面白い話にしよう」と勘違いして、
逆に面白くない話を作ってしまう、という逆説的な話。

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サブ人物にも外的話と内的話がある

前回の話は、中心に描く主人公について、
外的話と内的話がある話だった。
それは既に二本のストーリーラインがある、ということになる。

そして、よく出来た映画は、
サブの登場人物にも、外的話と内的話があるものである。

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2014年08月18日

外的話だけだと限界がある

外的話、というのは、事件の発生と解決の顛末だ。
映画は、二時間かけてこの問題を解決する。
(とくに、主人公が解決する)
その解決すべき中心の問題をセンタークエスチョンとよぶ。
(センタークエスチョンは様々なサブ問題に分解されることが多い。
例えば脱出のために、車を手に入れる、ガソリンの確保など)

ロッキーなら、世界戦の勝利
(サブ問題はトレーナーの確保、ファイトスタイルの矯正)、
マトリックスなら、敵の殲滅
(サブ問題は裏切り者の始末、モーフィアスの救出)
だ。(マトリックスではセンタークエスチョンは解決しきらず、
その希望が見えたところで終わる)

大抵は小さい問題からはじまって、
そのうち問題の全貌が見える。(第一ターニングポイント)
サブ問題などに手をつけはじめ、
色々あってあとひとつに絞られる。(第二ターニングポイント)

さて、注意したいことは、単なる外的問題解決話では、
たいして面白くない、ということだ。
「内的問題の解決」と話が並行しているから、
映画は面白いのだ。

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何故最近の邦画は詰まらないのか

観客はおもしろい話を求めている。

勿論、好きなスターが出ていたり、凄いビジュアルがあると良かったり、
原作の映画化に毎回失望しつつも、今回はいけるのではと期待したりする。

しかし、ほんとうはおもしろい話が見たいだけだ。
笑って、泣いて、人生の深淵に少し触れるような、
みんなと共有したいような、或いは自分のなかだけで大事にしておきたい、
大切な人にだけはこのおもしろさをわかってほしい、
自分の映画鑑賞の歴史に残るような、
おもしろい話を見たいだけなのだ。

にも関わらず、これだけおもしろくない映画が氾濫するのは何故なのか。
簡単だ。

おもしろい話をつくろうと思っていない送り手ばかりだからだ。
(送り手と作り手は、違う組織である)
売れる映画をつくろうと思っているからだ。

受け手と、送り手の間に、
いま、深くて大きな、ギャップがあるのだ。

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2014年08月17日

「サイコ」の研究2:感情移入

この作品の二番目のリード、
主人公は捕まってしまうのか、
というハラハラは実に巧みである。
実はここが一番テクニカルに面白いところかも知れない。

4万ドルを盗んだ主人公の女が、
捕まるかどうかというハラハラに、我々は思わず感情移入しているのだ。
何故これが起こるのか、見ていこう。

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2014年08月16日

近代芸術

かつて芸術は、具体的なものを具体的に描くことだった。
美しい風景の絵、
美しいヌードの彫像、
技術的な言葉でいえば具象である。

写真が出来て、具象の絵はあまり意味をなさなくなった。
(特別なタッチで何かを描く具象はまだ人気だが、
ハイパーリアリズムは、写真でええやん、となる。
同じく、石膏で型どりしただけの立体物は、
具象芸術ではない)

従って近代芸術は、具象でなく抽象表現に変化した。

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「サイコ」のミスリードの研究

何故か今ヒッチコックを見直している。自分の中のプチブームだ。

今日はサイコの話。
この作品の成否は、ミスリードにかかっているといってよい。

ミスリードを成功させるコツは何か。
実に簡単だ。
リードが上手いことだ。
Aという方向へ導くから、Bへどんでん返し出来るのだ。
リードするのが上手いから、夢中でAへ誘導される。
ミスリードが下手な人は、リードが下手な人だ。

つまりは、基本中の基本、
「ストーリーの行方に興味を持たせること」が出来ないと駄目なのだ。


(以下ネタバレ)

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posted by おおおかとしひこ at 05:04| Comment(0) | TrackBack(0) | 脚本論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする