2014年08月15日

物語と一枚絵と記憶の関係

これまでに何度か書いていることを、一端整理してみる。

凄くいい物語があるとする。
ラストシーンは、凄くいい表情、
例えば笑顔の主人公で終わるとする。
そうすると、その笑顔が、物語全体の結論であり、象徴となる。
その笑顔をその物語のイコンとして記憶するのだ。
(仮説だが、記憶容量を圧縮するために)
逆に、その笑顔を見るとその物語を思い出す。
その笑顔を、物語の代わりとして使うようになる。

さあここからだ。
物語を忘れることもあるが、笑顔だけは覚えている。
だから、笑顔がよかった、という結論になり、
物語がよかったからだ、という結論を出すことが出来ない。

これが、俳優が人気が出て、脚本家に人気が出ない理由だ。


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posted by おおおかとしひこ at 11:37| Comment(0) | TrackBack(0) | 脚本論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年08月14日

肯定形と否定形

熱闘甲子園の今年のキャッチコピーは、
「一人じゃ、たどりつけない場所。」だ。

これは否定形のコピーだ。
これを肯定形のコピーに書き直して、比較してみよう。

「全員で、たどりつく場所。」
(みんな、チームメイト、9人、などもあるが、
全員というのが強くていいと思った)

肯定形と否定形、どちらがいいだろう。

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posted by おおおかとしひこ at 23:48| Comment(0) | TrackBack(0) | 脚本論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

人以外を主人公にして、果たして面白い話が書けるのか

トランスフォーマーは3までは見た。
1だけが唯一ぎりぎり映画だと思う。
主人公の、アメフトの技が生きるシーンがあるからだ。

2以降は人間のドラマではなく、
CGプロレスだった。
CGに事情があり、感情があり、行動があったとしても、
それはもう物語ではないのでは、
と僕は考えている。

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posted by おおおかとしひこ at 14:30| Comment(0) | TrackBack(0) | 脚本論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

こういう取り上げ方はやめた方がいいのではないか

「○○を通じて、△△や□□を描く(浮き彫りにする)」
という紹介の仕方。
○○には映画内の具体的な売りシーン、
△△にはテーマらしきものを入れるテンプレ。
(愛とかヒューマニズムとか、名詞が入る)

何度か触れているが、それはストーリーの本質を捉えていない書き方だ。

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2014年08月13日

カタルシス3

カタルシスをつくるヒント。

ストレスの解消手段がヒントになる。

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編集の威力

ヒッチコックの実験的ワンカット映画「ロープ」を見た。
ワンカット撮影ということを今考えていて、
丁度見てなかったので。

見ることで浮かび上がるのは、逆に編集の凄みだ。

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カタルシス追記

るろうに京都大火編の、
カタルシスに関するリライト例を書いてみたが、
正解は一通りではない。

逆のカタルシスのリライトを試してみよう。
「不殺の誓いを破り、殺すこと」だ。

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posted by おおおかとしひこ at 13:29| Comment(0) | TrackBack(0) | 脚本論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

カタルシス

我々が映画を見る目的は何か。
予告で見た面白そうなシチュエーションが気になるから、
好きな人が出てるまたはつくったから、
面白そうな話だから、
など色々とあるだろう。

しかし、実は気づかない無意識というものがあって、
それはまず間違いなく、カタルシスを求めていると思うのだ。

人は、自覚しているしていないに関わらず、
カタルシスを味わうために映画を見るのだと思う。

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2014年08月12日

失われたものへのレクイエム

それから二度と彼には会えなかった、とか、
殆どの者が戦場から帰らなかった、とか、
もうあの場所はない、とか、
二度と戻らないあの時、とか、
国破れて山河あり、とか、
「既にない」ことをラストシーンにすることは、
よくある。
僕は映画より小説に多いような気がする。

何故なら、騒ぎを一通り描いて、
「その後、二度と彼と会う機会はなかった」と結ぶだけで、
なにやら文学になるからだ。
(騒ぎの主が死んで終わり、というのもよくある)

映画では、「少年時代」がこのタイプのラストだ。
僕は、これは映画ではない、と極論してみたい。

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2014年08月11日

映画とは、騒ぎで決断して意味をなすことだ

最近書いた、映画とは、を合成してみた。
両者が融合すると、より分かりやすくなった。

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映画とは、空騒ぎではない

るろうにもゴジラも、単なるアトラクション映画だった。
すごいSFXショウだ。
片や怪獣プロレス、片やスピードチャンバラ、
大金を投入した大騒ぎだ。

しかし僕には、それが空騒ぎに見えた。
で、なんの意味があるんだっけ?と、考えてしまう。
いい映画を見たときに感じる、いいものを見た、
という感覚が殆どゼロなのだ。

僕は、人間ドラマの圧倒的不足だと思う。
逆に人間ドラマとは何だろう、ということを、
空騒ぎをキーワードに考えてみよう。

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posted by おおおかとしひこ at 13:28| Comment(0) | TrackBack(0) | 脚本論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

るろうに京都大火にも足りないもの

ゴジラと同じく、人間のドラマ。
剣心にいつまで経っても感情移入出来ない。

凄い男を描いて感情移入させるには、
弱点をつくることだ。
薫がそれになっているような意図だが、
抱きしめるだけの表現でそれを表現しきれているとは言いがたい。

(以下ネタバレこみ)

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2014年08月10日

パブリシティという麻薬

今の興行にとって、僕が最大の癌だと思うのが、
パブリシティという発想だ。

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ゴジラに足りないもの

ハリウッド版ゴジラをようやく見れた。
クローバーフィールド以来、バトルシップやパシフィックリムなどの、
CGの集大成だ。
「(金さえかければ)もう出来ない映像はない」と言わせるレベルの出来だった。
ロサンゼルス決戦やPOV映画などの手持ち主観表現とも相まって、
いわゆる体感型の映像としても、これを越える映像表現は今後しばらくないだろう。

しかし、それと同時にむなしくなるのである。
ストーリーのなさにである。
(まだロサンゼルス決戦のほうが、USA万歳というストーリーがあった)

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2014年08月09日

映画とは、決断のことである

極端に言ってみる。
映画の構造を大きく抽出せよ、といったとき、
大きな決断をポイントに考えるとよい。

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本当の意味では、客観的にはなれない

脚本を書くときは、客観的になることはいいことだ。
一方的な見方を防ぎ、
ご都合主義を防ぎ、
これ変だろ、に気づかせ、
自分と遠い人がこれをどう見るかを考えさせ、
興行上、映画史における立ち位置を正しく見させる。

しかし、本当の意味では客観性は保てない。
そんな冷静に書かれても、それは芸術ではないからだ。

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posted by おおおかとしひこ at 16:17| Comment(0) | TrackBack(0) | 脚本論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

風魔こぼれ話ちょっとだけ

全話一気見して、突然思い出したこと。
・オープニングの誠士館総長室、夜叉姫の前で小次郎と武蔵が戦う場面、
窓の外でCGの雪を降らせたこと。しかし、暗すぎて写っていないのだ。
あれがもう少し目立っていれば…
・最終決戦での壬生対小次郎の殺陣のこと。
アクション用の黄金剣(ウレタンで出来ていて、軽くて柔らかい。
中に鉄芯が入っていて、形を保つ)が、藤田の振り回しが早すぎて、
何回も鉄芯が曲がったこと。
予備の黄金剣が何本かある、と美術部が10本ぐらい黄金剣を持ってきた絵面に大爆笑。
あれだけ夜叉が騒いだ物語の行く末を左右する秘剣が、
10本ぐらい束で出てくる絵面の面白さ。
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芸術とはなにか

今日、言葉になった。
魂の燃焼のことだ。
人は、魂の燃焼を楽しみ、よい燃焼を素晴らしいと思うのだ。

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2014年08月08日

映画の料金システムの不思議

あなたは1800円払った映画料金のうち、
いくらぐらいが直接作った人に渡るべきだと思うだろうか。
観客と制作者の間には色々な人がいるから、
全額制作者にいかないことぐらいは想像出来るだろう。
僕は、1000円ぐらいは制作者にいくべきだと思う。

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posted by おおおかとしひこ at 02:14| Comment(0) | TrackBack(0) | 脚本論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年08月07日

ワンシーンものを書いてみよう

自分に制約をかけてみよう。
ワンシーン限定ものだ。
登場人物は何人でもいい。

なにかがはじまって、展開して、オチがつくことを、
きちんとやってみよう。

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2014年08月06日

脚本論インデックス2014.5/15-8/6

脚本論カテゴリのリスト更新です。
リンク埋め込むまでやりたいんですが、
量が多いので記事タイトルだけのリストでかんべんしてください。
興味があったらコピーして、ブログ内記事検索(PC版、スマホ版対応)
してみてください。

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何故役者はあれほどまでに演技が出来るのか

不思議なことだけど、
簡単な手がかりがある。
「これは映画だ」と思っているからだと思う。

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今、本音を言っているのか、嘘をついているのか

それを場面場面で使い分けているだろうか。
あるいは、社会的に無難な対応をしている、だろうか。
あなたではなく、あなたの登場人物が、だ。

なんでも話せた恋人と別れたら、
再会したら社会的に無難な会話しか出来なくなる。
そんな場面を書けるだろうか。

嘘をついていた人が、本音を言う場面を書けるだろうか。
その嘘は全部自分を守るためのもので、
本当に信用したからこそ本当の自分の姿をさらすという場面だ。
それに対する相手が、
本音を言う場合、嘘を言う場合、社会的に無難なことを言う場合、
それぞれを使い分けられると面白い。

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天地を揺るがす事件

映画の導入、または第一ターニングポイントでは、
天地を揺るがす事件が起こる。

この天地をどの範囲にするかを考えておくことは、
とても大事なことである。

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2014年08月05日

不在の在2

不在なのにそれが在になるものは、
たいてい言葉による呪縛である。

桐島(「桐島、部活やめるってよ」)、
レベッカ(「レベッカ」)、
マホロバ(演劇「マホロバ」)、
その他、
ユートピア、幸せな人生、素敵な仲間がいてたのしい暮らしが出来る所、
僕のイメージでは、トキワ荘、梁山泊、NASA(理系研究職の最高峰)もそうだ。
田舎の人にとっての東京もそうかも知れない。
(僕は関西出身なので、敵地というイメージもあるけど)

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発展と緊奏

脚本を書くときのコツ。
あるいは、リライトの本質。

今、あるアイデアや場面を、
豊かに発展させていくのか、
あるシンプルなものに集約していくのか、
どちらをすべきか、自覚しながらやること。

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2014年08月04日

「演技がすごい」というものは、大抵駄目作品だ

演技を見てしまうということは、
ストーリーに一体化し、夢中になれなかった、という結果だ。

この人はそう思ってないのに、そう思ったふりをしてるんだなー、
ほんとにそう見えるなー、プロってすごいなー、
という感想は、「退屈だった」ということだ。

それよりも、テーマのことをずっと考えたり、
あのときあの人はどうすべきだったのか、とかを見た後でずっと考えてしまうのが、
よい映画だ。

見ている最中は、その感情のすごさに振り回されていなくてはならない。
途中で理性なぞ挟ませるな。
感情で見てしまうものをつくるべきだ。
アレがすごかった、これがすごかった、アレはいまいちだった、
と「分析」させてはならない。
そのような隙を与えないぐらい、ストーリーの進行に夢中にさせるべきだ。
勢いのある感情に訴える作品というのは、そのようなものだ。

ツッコミ満載だとしても、
それを許さないほどの圧倒的熱量で、感情的に巻き込むべきである。
ツッコミの隙があるということは、理性に戻ってしまうところがあるということだ。
物語は恋だ。
現実に戻してしまってはいけない。
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不在の在

昔からヒッチコックが苦手だ。
人間の暗部の描き方や、緻密なプロットが、
イギリス人的なねちっこい変態性があるからかも知れない。
同じくイギリス人のキューブリックはその論理性が好きだったりするのだが。

「レベッカ」をようやく見た。
レベッカは既に死んだ女の名だ。
だから画面には一切出てこない。
しかし登場人物は全てレベッカの名を口にする。
存在しないからこそ、想像の中でレベッカの像が巨大に膨らんでいく。
この手を使った最初の映画かどうかは不明だが、
その巧みさが、この映画の本質だ。

(以下ネタバレ)

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2014年08月03日

人は、物語の中で永遠に生きる

ちょっと抽象的な話。
永遠の生命があるとしたら、
デジタルの中にではなく、物語の中にあると思う。
いい物語は、永遠に語り継がれる。
著作権などの大人の都合をこえて、いい物語は時をこえる。

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posted by おおおかとしひこ at 22:49| Comment(0) | TrackBack(0) | 脚本論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

うんこ台詞の例

美人「主人公くんて、○○も出来て、△△も出来て、
すごーい!」

業界では、「迎えにいく」という。
○○や△△は、本来絵で表現するべきところだ。
それをせず、言葉で表現してしまう。
「言わせてしまう」ともいう。

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posted by おおおかとしひこ at 13:27| Comment(0) | TrackBack(0) | 脚本論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする