2014年08月09日

映画とは、決断のことである

極端に言ってみる。
映画の構造を大きく抽出せよ、といったとき、
大きな決断をポイントに考えるとよい。

続きを読む
posted by おおおかとしひこ at 18:47| Comment(0) | TrackBack(0) | 脚本論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

本当の意味では、客観的にはなれない

脚本を書くときは、客観的になることはいいことだ。
一方的な見方を防ぎ、
ご都合主義を防ぎ、
これ変だろ、に気づかせ、
自分と遠い人がこれをどう見るかを考えさせ、
興行上、映画史における立ち位置を正しく見させる。

しかし、本当の意味では客観性は保てない。
そんな冷静に書かれても、それは芸術ではないからだ。

続きを読む
posted by おおおかとしひこ at 16:17| Comment(0) | TrackBack(0) | 脚本論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

風魔こぼれ話ちょっとだけ

全話一気見して、突然思い出したこと。
・オープニングの誠士館総長室、夜叉姫の前で小次郎と武蔵が戦う場面、
窓の外でCGの雪を降らせたこと。しかし、暗すぎて写っていないのだ。
あれがもう少し目立っていれば…
・最終決戦での壬生対小次郎の殺陣のこと。
アクション用の黄金剣(ウレタンで出来ていて、軽くて柔らかい。
中に鉄芯が入っていて、形を保つ)が、藤田の振り回しが早すぎて、
何回も鉄芯が曲がったこと。
予備の黄金剣が何本かある、と美術部が10本ぐらい黄金剣を持ってきた絵面に大爆笑。
あれだけ夜叉が騒いだ物語の行く末を左右する秘剣が、
10本ぐらい束で出てくる絵面の面白さ。
posted by おおおかとしひこ at 08:08| Comment(0) | TrackBack(0) | 実写版「風魔の小次郎」 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

芸術とはなにか

今日、言葉になった。
魂の燃焼のことだ。
人は、魂の燃焼を楽しみ、よい燃焼を素晴らしいと思うのだ。

続きを読む
posted by おおおかとしひこ at 07:56| Comment(0) | TrackBack(0) | 脚本論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする