外的話、というのは、事件の発生と解決の顛末だ。
映画は、二時間かけてこの問題を解決する。
(とくに、主人公が解決する)
その解決すべき中心の問題をセンタークエスチョンとよぶ。
(センタークエスチョンは様々なサブ問題に分解されることが多い。
例えば脱出のために、車を手に入れる、ガソリンの確保など)
ロッキーなら、世界戦の勝利
(サブ問題はトレーナーの確保、ファイトスタイルの矯正)、
マトリックスなら、敵の殲滅
(サブ問題は裏切り者の始末、モーフィアスの救出)
だ。(マトリックスではセンタークエスチョンは解決しきらず、
その希望が見えたところで終わる)
大抵は小さい問題からはじまって、
そのうち問題の全貌が見える。(第一ターニングポイント)
サブ問題などに手をつけはじめ、
色々あってあとひとつに絞られる。(第二ターニングポイント)
さて、注意したいことは、単なる外的問題解決話では、
たいして面白くない、ということだ。
「内的問題の解決」と話が並行しているから、
映画は面白いのだ。
続きを読む
2014年08月18日
何故最近の邦画は詰まらないのか
観客はおもしろい話を求めている。
勿論、好きなスターが出ていたり、凄いビジュアルがあると良かったり、
原作の映画化に毎回失望しつつも、今回はいけるのではと期待したりする。
しかし、ほんとうはおもしろい話が見たいだけだ。
笑って、泣いて、人生の深淵に少し触れるような、
みんなと共有したいような、或いは自分のなかだけで大事にしておきたい、
大切な人にだけはこのおもしろさをわかってほしい、
自分の映画鑑賞の歴史に残るような、
おもしろい話を見たいだけなのだ。
にも関わらず、これだけおもしろくない映画が氾濫するのは何故なのか。
簡単だ。
おもしろい話をつくろうと思っていない送り手ばかりだからだ。
(送り手と作り手は、違う組織である)
売れる映画をつくろうと思っているからだ。
受け手と、送り手の間に、
いま、深くて大きな、ギャップがあるのだ。
続きを読む
勿論、好きなスターが出ていたり、凄いビジュアルがあると良かったり、
原作の映画化に毎回失望しつつも、今回はいけるのではと期待したりする。
しかし、ほんとうはおもしろい話が見たいだけだ。
笑って、泣いて、人生の深淵に少し触れるような、
みんなと共有したいような、或いは自分のなかだけで大事にしておきたい、
大切な人にだけはこのおもしろさをわかってほしい、
自分の映画鑑賞の歴史に残るような、
おもしろい話を見たいだけなのだ。
にも関わらず、これだけおもしろくない映画が氾濫するのは何故なのか。
簡単だ。
おもしろい話をつくろうと思っていない送り手ばかりだからだ。
(送り手と作り手は、違う組織である)
売れる映画をつくろうと思っているからだ。
受け手と、送り手の間に、
いま、深くて大きな、ギャップがあるのだ。
続きを読む