2014年08月28日

「ゼロ・グラビティ」の脚本に足りないもの2

前項では、二幕の出来の良さを分析したが、
今回は、足りないものすなわち、
三幕と一幕、すなわちテーマについて議論しよう。

さて、テーマは最もタイトルに現れる。
この映画の原題は「gravity」である。
ラスト、重力に負けずに立ち上がること
(海から上がった生命の進化のアナロジー)の絵や、
その後にタイトルがドンと出て終わることからも、
これをテーマとしようとしたことが伺える。

だとして、これを表現する三幕と一幕になっていないところが、
この脚本の欠点だ。
具体的に見ていこう。

続きを読む
posted by おおおかとしひこ at 17:02| Comment(0) | TrackBack(0) | 脚本論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

映画と小説の違い:共犯関係

小説を少々書いている。そこで何となく分かってきたこと。

物語は、受け手と送り手の間に、
密やかな共犯関係を結ぶものである。
これいいよね、うふふ、ということだ。

例えばテーマやモチーフについては、
小説でも映画でも、共犯関係を持つものだ。
それを取り上げること自体が、
受け手と送り手の共通認識であり、
さあこれについて深く考えようぜ、という送り手の誘いと、
誘いに乗った、という受け手の、一種の信頼のもとで進められる。

ところが。
もう少し周辺で、
映画と小説では、共犯関係を持つところが違うと感じた。

続きを読む
posted by おおおかとしひこ at 13:41| Comment(0) | TrackBack(0) | 脚本論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

何度も直す所は、切ってみる

経験則。
リライトのとき、執筆のとき、
何度書き直しても、どうしても上手く決まらないところがある。
台詞の一行、やりとり、ト書きのブロック、シーン、
ストーリーラインのブロック。

思いきって切ってみよう。

文章は絵ではない。
そこにそのパートの占める場所がある必要はない。
何度も何度も書き直して、なお存在の価値を放たないのは、
そのものに存在価値がないのかも知れない。
ないほうがシンプルになり、
ないほうがスムーズになり、
ないほうが結果的に想像が膨らむかも知れない。

物語はミニスカートである。
パンチラせずに、スカートの中身を想像させながら常に引き付けるものだ。
ミニスカートに余計な装飾をして、
ミニスカートの優雅な動きが阻害されているかも知れない、
という可能性を考えてみよう。

リライトの選択肢は、4つある。
増やす、変える、入れ替える、切るだ。
全部を均等にマスターしている人は少ない。
posted by おおおかとしひこ at 10:45| Comment(0) | TrackBack(0) | 脚本論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする