2014年09月30日

キャラクターショーと物語は何が違うのか

るろ剣映画版なんて、キャラクターショーにすぎないだろ、
と批判したが、では、キャラクターショーと物語の違いってなんだろう。

変化というキーワードを置いておいた。
もう少し深く考えてみよう。

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posted by おおおかとしひこ at 17:30| Comment(0) | TrackBack(0) | 脚本論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

こうすればもっと良くなるのに。

自分のものは置いといて、
他人のものなら、すぐに改良のアイデアは出てくるものだ。
その根拠はなんだろう。

これはこういうものだとしたら、
本来これくらいのいい部分があるべきであり、
それにはこれが足りないから、
このあたりをそのいい部分にするべきである、
ということだろうか。

つまり、理解→理想→理想と現実の差→改良の具体、
というプロセスがあると思う。
自作で難しいのは、最初のプロセス、理解である。

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posted by おおおかとしひこ at 13:14| Comment(0) | TrackBack(0) | 脚本論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年09月29日

いつ信用されるか

あなたは、自己紹介が得意だろうか。
はじめましての人の前で、
あなたはどれくらいでその人からの信用を勝ち取るか。
その人からの信用とは、
このまま付き合っても悪くないだろう、と思ってくれる程度だ。

映画では、これは大抵10分から15分以内である。

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posted by おおおかとしひこ at 18:34| Comment(0) | TrackBack(0) | 脚本論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

迎えにいくな

業界でよく言われること。

御都合主義を防ぐ為に、チェックポイントとして覚えておくと良い。

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posted by おおおかとしひこ at 16:50| Comment(4) | TrackBack(0) | 脚本論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

VSシリーズは業界を殺す

VSだろうが、×(クロスオーバー)だろうが、
「対」だろうが同じだ。

これは、業界を殺す。
何故なら、よそのものを買ってきたからだ。

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posted by おおおかとしひこ at 16:12| Comment(0) | TrackBack(0) | 脚本論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

キャラの面白さは、出落ちに過ぎない

あなたは凄い面白いキャラクターを思いついたとする。
こんな外見で、こんな性格で、
例えばこんなおっちょこちょいとかかっこよさで。
絵が上手ければ、コスチュームデザインが良くできたものや、
ネーミングがいい感じのものが出来るかもだ。

それは、
どんなに良くできていて、滅茶苦茶魅力的でも、
出落ちに過ぎないことを知ろう。

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posted by おおおかとしひこ at 14:35| Comment(0) | TrackBack(0) | 脚本論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

単なるキャラクターショウ

確かに単なるバトル漫画に、
ストーリーを期待するのは間違っていたのかも知れない。
新しい時代とは何か、古い時代の何を否定したのか、
という一番大事なテーマの答えを期待しすぎたのかも知れない。
アクション映画だから、
ハリウッド並の知能指数で見るべきだったかもだ。
(しかし日本の時代劇は、そもそもストーリーをちゃんとつくってた筈だが)

るろ剣、伝説の最期篇は、
ストーリーのないキャラクターショウだった。

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posted by おおおかとしひこ at 02:23| Comment(0) | TrackBack(0) | 脚本論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年09月28日

物真似から学ぶこと

あなたは物真似が上手いだろうか。
だとすると、台詞を書く才能があるかも知れない。

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posted by おおおかとしひこ at 13:58| Comment(0) | TrackBack(0) | 脚本論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

流れとは何か

何回も書いているかも知れないが、流れの話。
流れとは、「だから」で接続される一連のこと。

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posted by おおおかとしひこ at 12:29| Comment(0) | TrackBack(0) | 脚本論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年09月27日

不安

人は不安な生き物だ。
毎日24時間永遠に、
安心してリア充で幸福でレストインピースな人はいない。
疑心暗鬼で、社会に不安や不満を持ち、自分にも自信がなく不安を抱える。
あなたも僕も、世の中の人も全員だ。
なにかしらの小さな、大きな、色んな種類の不安を抱えている。

それは、物語のタネになる。

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posted by おおおかとしひこ at 19:13| Comment(0) | TrackBack(0) | 脚本論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年09月26日

他人の目

自分たちだけに通じるルールがある。
よその人にはさっぱり通じない共通認識やお約束がある。
よその人とは、
他の地域の人、他県の人、友達グループ外、他の世代、
別のグループの人、他の趣味の人、他の宗教の人、外国人、
などのことである。

よその人にも、同じように分かる、楽しめるものがいい。
自分たちルールだけの内輪ノリに終わらないものがいい。
自分のものではその目が曇るのだが、
他の人のそういうものを見ると、寒いということがよく見える。
(そういう内輪向けのビデオを昨日見て酷い目にあった。
あと最近のサッカーファンもそういう匂いがする)


「多分、大丈夫」では、二人のルールの空間に、
死や奥さんという他人の目が入ってくるところが面白いのだ。

別の原理に晒そう。
自分たちルールの面白さが、別の原理の人にも楽しめるようにつくろう。
客観性を持つとは、他人の目を意識することだ。
posted by おおおかとしひこ at 13:04| Comment(0) | TrackBack(0) | 脚本論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

空気の行方

人と人が話す。そこに場の空気が生まれる。
それは、ひとつの事を延々話す訳でなく、
飽きたら(飽きる前に)次々に話題が流れて行く。
それが場の空気であり、
大きな話の焦点という大局的構造との、
二重構造を持っている。

「多分、大丈夫」を例に。
(以下ネタバレ)

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posted by おおおかとしひこ at 11:29| Comment(0) | TrackBack(0) | 脚本論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年09月25日

演劇と映像の違い

演劇(のようなもの)をやってみて分かったのは、
演劇は、目でその場の空気を見る、
映像は、カメラが撮ったアングル内で空気を見る、
ということだ。

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posted by おおおかとしひこ at 19:03| Comment(0) | TrackBack(0) | 脚本論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

新作「多分、大丈夫」

プロアマ問わずの、「クォータースターコンテスト」というのがありまして。
「15分ワンカットの演劇の映像」をYouTubeにアップして競うコンテスト。
面白そうなので、ちょっとした仲間たちと撮ってみました。

昔撮った「池やんとオレ」の、演劇版をやってみようかなと。
ちょいと脚本をいじって、タイトルも「多分、大丈夫」に改題してみました。
なかなかの作品になったので、興味のある方、ごらんください。
http://youtu.be/hAC9FSAxvA8 です。
気に入ったら、いいねしたりツイートして広げてください。
(再生回数が増えると人気があると認められて同票数のとき有利らしいので…)

風魔ファン注目! 飛鳥武蔵役の、川久保拓司主演。

脚本も置いときます。
多分、大丈夫.pdf(タイトルは改題前)

演劇と映像の違いみたいなことが少し分かったので、
脚本論で書いてみようと思います。

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posted by おおおかとしひこ at 18:54| Comment(0) | TrackBack(0) | 作品置き場 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年09月24日

たのしさと苦しさ

それぞれにおける、俺の主観はこんなかんじ。
参考になれば。

        たのしさ 苦しさ 達成感
構想      10   1   5
プロット    10   5   10
第一稿執筆   7    10  10
完成度をあげる 3    10  4

リライト    1    10  1

だからピークは、プロットから第一稿の期間だねえ。
あとは、プロのとしての意地とか、
なるべく完成度の高いものをつくるべきとか、
そういうところで頑張るものだ。
あの第一稿の書き上がったドリームな瞬間を、
最後まで客観的にも出来ているように整えるのが、
後半戦の仕事かも知れない。
posted by おおおかとしひこ at 15:09| Comment(0) | TrackBack(0) | 脚本論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

それで本当の解決になったか

脚本を書いているとき、
前半のセットアップが面白く書け過ぎて、
本来のプロット上の解決では、
完全に解決しきれていないことがある。

それをまず気づくことが大事だ。

作者的にはプロットを実現することに必死だから、
自覚的ではないことが多い。
他人からの指摘で気づくことの方が多いかもしれない。

あなたが想定したようなカタルシスを与えられていないことは、
それが原因かも知れない。

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2014年09月23日

どうしたら脚本は上手くなるか?

難しい問いだけど、答えはシンプルだ。
数をこなすことだ。

セックスはどうしたら上手くなるか?と答えは同じだ。
数をこなすことだ。
相手のリアクションを見て、
良いところ悪いところを反省し、
次回の組み立てを工夫することだ。
その組み立てが、合っていたかどうかを確認することだ。
新たな思いつきがあったら、試してみることだ。
数をこなして成長すれば、上手くなるし、
数をこなしてもたいして変わらなければ、
才能がないとして淘汰されるだけだ。

次々に良くなっていけば、それは上手くなっていることだし、
失敗は失敗だと認め、その原因を分析し、
何故失敗が予測できなかったか、どうしたら成功だったかを反省し、
次に活かしてより良くなれば、それは上手くなっていることだ。

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posted by おおおかとしひこ at 12:27| Comment(0) | TrackBack(0) | 脚本論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

現実の時間が凝縮されている

当たり前のことだが、時々わすれること。
現実の30分や15分では、ちっとも話が進まないこと。

会議を二時間やって決まったこと、などを考えてみるとよい。
飲んで話したこと、などを考えてみるとよい。
それだけの時間を使って進んだことは、
映画内の10分で起こることより、遥かに小さい。

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posted by おおおかとしひこ at 11:48| Comment(0) | TrackBack(0) | 脚本論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年09月22日

流れ

流れとは何か?
なかなか言葉に出来ない。
ストーリーの勢いやグルーヴということもある。
詰まらない話は流れが悪く、面白い話は流れがいい。

結局僕は、流れは目に見えないがあるもの、
という結論にたどり着いた。

野球を例にしてみよう。

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人に肉薄すること

人には、表面的な他人に見せる顔と、
本当の顔がある。

例えば上司と酒を飲むと、この人は本当はこんなことを考えていたんだ、
とか、この人の本当の姿はこっちで、普段は仕事の顔をしてるだけなんだ、
とか分かることがある。

あるいは女の子の、外面と身内向けのギャップに、驚くことがある。
例えば普段話しているときに電話がかかってきて、
偉いかわいい声で電話に出るなどだ。
(年頃の女子だけでなく、幼児やばあさんですら)

なるべく皮をはぎ取った、その人の本当に肉薄しよう。
それが人間を描くということだ。

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2014年09月21日

感情移入の誤解

人は嬉しそうな顔を見ると自分まで嬉しくなる、
人は悲しそうな顔を見ると自分まで悲しくなる、
これは誤解だ。
人はそんなに馬鹿ではない。

CMで幸せそうな家族を見たからといって、
視聴者も幸せな笑顔になっていると思っているのは余程のドシロウトだ。
CMの笑顔を見て、我々はなんとも思わないのが事実だ。
それはCMであることを分かっているからだ。
売らんがための、定型表現であることを知っているからだ。

映像表現においては、ただその感情を見せても、
相手はその感情にはなってくれない。
それを見れば即感情移入、と誤解している素人クリエイターが多い。

感情移入とは、もっと複雑なプロセスである。

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2014年09月20日

昨日ちょっと絶望したこと

もうCMの現場では、ストーリーものは作れないかもしれない。
それは、ストーリーというものに対する理解のレベルが、
明らかに低下しているからだ。

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posted by おおおかとしひこ at 15:57| Comment(0) | TrackBack(0) | 脚本論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

芝居の指示はどこまで書くか

「書かなくても、
その人物の感情が手に取るように分かる」
ものが理想である。

例えば怒りという芝居について。

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リライトのロードマップ

脚本は、直せば直すほどよくなる。
良くならないのは、直すのが下手だからだ。
それが「完成」だと思われるのはどういう道筋があるのだろう。

勿論作品によってそれは全く違うのだが、
大きく見てみよう。

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2014年09月19日

理屈は書いてはいけない

プロットとは理屈である、と書いておきながら、
理屈は書いてはいけないと言う。
さてどういうことだろうか。
この辺りが、脚本表現の根本のひとつかも知れない。

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「何故なら」という逆算のエクササイズ

ラストシーンを最初に書く。
何故なら、こうだったからだ。
その前にあったことを書く。
くりかえして、ファーストシーンへ戻る。

こういう逆算をつくってみよう。

途中で詰まるなら、どこかの理屈の糸が途切れている。
物語が順接で繋がれていない証拠だ。

簡単な桃太郎で理解してみよう。

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2014年09月18日

途中でテーマが変わるとき

書いている途中、当初の想定と大きく変わってくることは、
よくある。

とくにテーマを再発見することはよくあることだ。
この話はこういうことが描きたかったのか、
と自分でもほんとうの結論が分かっていなかったりする。
終盤近く、後半戦にそれはよくある。
(例えば風魔のテーマのひとつ、絆は、随分後半になって、
勝手な夜叉との対比で醸成された)

それを書くことで、あなたはようやく本当のテーマを発見する。

それ自体は非難されるべきではない。よくあることだ。
問題は、それをきちんと回収しないことだ。
そのやり方について議論しよう。

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2014年09月17日

話の枕、議論の前提

枕とは、本題の前にする話のことだ。
日常世界から本題の話へ、
我々の心が遊離するための滑走路であり、
重要な伏線ポイントであり、
本題のための初期設定でもある。
それは第一幕のことであり、大抵本題は二幕からだ。

これは、議論における、前提と同じ構造を持っている。


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2014年09月16日

詰まらない脚本が生まれる理由

今までのことを総合すると、以下のようなものだ。

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セックスで例える脚本論

快感曲線は、盛り上がり曲線と一致する。
何故なら映画とは、エキサイティングなリアルタイムの体験だからだ。
思考の流れという純粋理性のものではなく、
音楽や刺激に満ちた、物語のうねりというダイナミズムに身を任せることだ。

(以下、下ネタ全開のため、苦手な方はここでおしまい)

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「イン・ザ・ヒーロー」の脚本は何が問題か

脚本家の名は水野敬也という。
「夢を叶えるゾウ」の作者だ。
彼の持ち味は、ざっくり言うとノウハウ系だと思われる。
新しい考え方を世に広めるのが上手なのが才能のようだ。
(著作を全部見たわけではないので、推測)

ゾウはドラマ版は見た。詰まらなくて数話で脱落した。
おそらくこのへんに「イン・ザ・ヒーロー」と共通の問題点が浮かび上がる。
「新しい考え方を世に広める」という彼の作風が、
映画進行とは極めて相性が悪いことに、彼自身自覚していない。
(本論の前に前項が前提になっている。
また、以下はネタバレ前提である)


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2014年09月15日

小説は思考の流れ、脚本は意味の流れ

ちょいちょい小説なるものを研究している。
脚本とどう違うのかを考える為だ。
そこで地の文という、脚本のト書きとは全く別の性質を持つものについて、
議論した。

もう少し抽象的にとらえると、
小説は思考の流れを書くものであり、
脚本は意味の流れを書くものだと対比できる。

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デジタルは人を幸せにしない:画質

ブルーレイに慣れるとDVDの画質はキツイというが、
本当だろうか。
それは画質に頼る映画であって、
話がそもそも面白くないから、
画質頼みにしているからではないか。

風魔なんてSDだぜ。4:3だぜ。
結局、人はその世界に順応する力があるから、
順応してしまえば何だっていいはずだ。

3D映画で驚くのは最初10分15分だ。
あとは内容勝負だ。
DVD画質かよと思っても、15分過ぎて話が面白くなってしまえば、
それはどちらでも関係なくなる。

それでも詰まらない映画は、ブルーレイでも詰まらない。
結局、面白いかどうかに画質は冒頭以外は関係ない。

僕はHD化は、製作者に負担を増やしただけで、
いいことはひとつもなかったと思っている。
機材の交換需要でメーカーが得をしただけ
(そして勢力地図が変わっただけ)で、
HD化によって「トータルの表現力」は、下がっていると感じている。

表現とは、嘘を本当だとすることだ。
HDはリアル過ぎて、嘘の嘘がばれやすい。
着ぐるみが嘘に見える。
下手な芝居がばれてしまう。(だから逆に真の芸能は強い)
シワやニキビや整形がばれてしまう。
この人とこの人が付き合ってるとかが、リアル過ぎてしまう。
だからHDはドキュメント的になり、
嘘の世界の構築が難しくなる。
(HDの手持ちはホントに増えた。フィックスが嘘っぽく見えるからだ)
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「太秦ライムライト」と「イン・ザ・ヒーロー」の天地の差

(9/22追記:ツイッターでピンポイントで来た方へ。
この話は9/7以降の「イン・ザ・ヒーロー」の記事のつづきです。
「太秦ライムライト」は脚本的にはものすごくよくないですが、
「イン・ザ・ヒーロー」と決定的に違ういいところがあります。
その話です。どちらも見た上で、一連の議論にくわわってください)


毒を食らわば、のつもりで見てきた太秦ライムライト。
六本木シネマートで追加上映中なので見逃すな。

結論から言うと、今年の僕のベストワンだ。

福本氏の技が素晴らしい。
本物の剣術の動きだ。
面ひとつ取っても手の内を利かせ、梃子の原理で振り抜く、
引き斬りの日本刀の正しい使い方が出来ている。
(大先輩にこういう言い方も失礼だが)
熟練したナタの使い方のような、後半力を抜き更に加速する、
古武術的な振り方だ。
足の使い方に全く無理がないのが、余程の鍛練を伺わせる。
それだけで名人芸を見るような眼福だ。
(それに比べるのも酷だが、ヒロインの殺陣は足に力が入りすぎている。
だから丹田が浮いている。それでもよくやったほうだけど)


殺陣も素晴らしい。
るろうにの創作アクションとは違う、伝統的日本剣術の戦い方の再現。
(多少外連味は入っているが)
足の上がっていない唐沢と比べるのも恥ずかしいが、
100万倍素晴らしい肉体パフォーマンスだ。

「陰陽師」のベストシーンは、エンドロール中の野村萬斎の舞いである。
映画そのものより、野村萬斎の芸能の力が勝ってしまった例だ。
しかるにこの映画では、殺陣という芸能が、内容と噛み合う。

(以下ネタバレ)

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2014年09月14日

「十二人の怒れる男」の研究

ワンカットワンシチュエーションものを考えていて、
密室ものを研究しようと思い、生涯三度目の観賞。
ワンカットものにはなんの参考にもならなかった。
何故か。
撮影技術的にはたいしたことをしてないからだ。

この作品は、話だけで持たせている、稀有な映画だ。
話とは何か。その本質をこの作品は教えてくれる。

(以下ネタバレ)

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2014年09月13日

台詞が上手くなるには

台詞が下手な人を見ていると、
例外なく話下手だ。

この場合の話下手とは、
創作的な話をつくることではなく、
リアルの場での(飲み会とか、雑談)話である。

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小説と映画の違い:内面の描写

小説には地の文があり、
そこでは人物の内面が描写できる。
映画にはない。
(ナレーションという道具があるが、多用は厳禁だ。
多用した失敗映画に「私の優しくない先輩」がある。
このときの川島海荷は整形前で最も可愛く、
見る価値はあるが、今は本題ではない)

もう少し深く見ていこう。

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あなたは鋭すぎるし、鈍すぎる

あなたが作家の才能があるとしたら、
何か突出したものを持っているからだ。
それは大なり小なり自覚すべきだ。
それは、世間からすると、ずれている。

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2014年09月12日

論理、感情、外連味

これまでのことを更にまとめてみる。

映画脚本の三要素。
論理、感情、外連味。

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論理とプロット、感情と執筆

これまでの話を総合すると、
以下のような書き方が、
効率的、合理的ではないだろうか。

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2014年09月11日

切実さの話2

自分が傷ついたところから話をはじめても、
心の迷路に入り込むだけだ。
しかも三人称の話にもならない。

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切実にしよう

通り一辺倒の話を書かれても、
ちっとも面白くない。
優等生の書いた話は面白くない。
どんなに伏線が決まり、どんでん返しが鮮やかで、
斬新な構成のずば抜けたテクニックでもだ。

面白い話は、切実なのである。

その登場人物が、いかにその動機や事件に「必死か」が大事だ。

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感情移入の国民性

何かで読んだ話なのだが、
日本人は、「辛いことがあったり、喪失をした人」
に感情移入する傾向があり、
アメリカ人は、「そこから立ち上がる人」
に感情移入する傾向があるそうだ。

日本人の感情移入のベースは同情であり、
アメリカ人の感情移入のベースは、USA!USA!USA!である。

そりゃ、太平洋戦争も負けるわな。

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2014年09月10日

seesaaにイラッッとする

「イン・ザ・ヒーロー」のバナー自動で貼り付けてんじゃねえ。
おれは怒っているのだ。ちゃんと読めちくしょう。
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地の文も台詞である(小説と脚本の比較)

脚本家として、小説を書くときに思うこと。

それは、地の文はト書きではないことだ。
極端に言うと、脚本家から見たら、地の文も台詞であるべきだ。

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仕組みの面白さと人間ドラマの面白さ

映画には、二種類の面白さが共存しなくてはならない。
これは僕の説だ。
多分、二時間をリアルタイムショウとして見ること、
と関係していると思う。

映画の黎明期には、別の面白さを足したり、
面白さの質が違ったりしたこともあっただろし、
短編映画や3時間ごえの映画などでは違うだろうが、
スタンダードな二時間の映画には、
二種類の全く違った面白さの共存が必要だ。

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シーンは増やせるし、減らせる

前の項で、シンデレラのシーンの話をしたので、
ついでにシーンの増減について。

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2014年09月09日

頭の中に場面はないのか(場面しか思いつかない4)

では、実際の脚本家の頭の中には場面はないのだろうか。
脚本家の頭の中は、理屈だけなのだろうか。
いや、頭の中に場面はある。
しかし、ストーリーが先にあるだけで、
それに付随して、絵本の挿絵のように、一枚絵が浮かぶのだ。

プロットを練る段階では、そのような一枚絵が浮かぶこともある。
それでシーンを記憶して「場面」とし、
それらを並べることで全体のイメージをつかむことはよくある。
場面は静止画だが、意味は動画だ。
つまりサムネイル代わりに使うのだ。

また執筆中は、頭の中に映像が浮かび、
それを記録するように書いていくこともある。
それは「場面」をリアルタイムで動かしているような感覚である。
小説では特に三次元空間がリアルタイムで動くような、
時間軸を付加した四次元空間をイメージすることもある。

映画が視覚芸術であり、お話が世界での体験である以上、
頭の中に視覚イメージが湧かないことはありえない。

しかしそれは、お話の正体ではない。
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場面とシーンは違う(場面しか思いつかない3)

ストーリーを考えたくても、場面しか思いつかないことは、
初心者の時にはよくある話だ。

さらに追い打ちをかけるようだが、
そのような人は、場面と「シーン」の区別がついていないと思う。

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posted by おおおかとしひこ at 18:18| Comment(0) | TrackBack(0) | 脚本論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年09月08日

三つの考え

物語には、三つの考え方が錯綜する。

あなた独特の考え、
誰もがその状況を与えられたら考えるだろうこと、
取材で得られた別次元の独特な考え(モデル人物)、
だ。(三つ目が複数あるなら、四つ以上の、になる)

今、どれかを自分でハッキリさせておこう。
今、どの考え方で考えるのが面白いのか、
考えよう。

それを、オーケストラの指揮者のように指示出来ないと、
あなたは真に迫る物語を書くことは出来ない。
それはある種の分裂病であり、多角的に物事を見ることでもある。
posted by おおおかとしひこ at 19:01| Comment(0) | TrackBack(0) | 脚本論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする