2014年09月08日

場面しか思いつかない2

場面しか思いつかない方法論には、
初心者諸君が思いもつかない欠点がある。

変更が効かないところだ。
初心者諸君は恐らくリライトなどしたこともないだろう。
44000字の原稿をあげるために、その10倍以上文字を書いた経験はないだろう。
プロは時にそのような戦いをすることがある。

場面は、美しい絵である。
だから、その変更は難しい。
一方、ストーリーとは理屈だ。
屁理屈、と言われるように、絵がなければ理屈はいくらでも変更出来る。

簡単に言うと、
理屈は柔軟だが、絵は硬い。

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posted by おおおかとしひこ at 17:02| Comment(0) | TrackBack(0) | 脚本論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

場面しか思いつかない

というキーワードで検索して来てくれた人がいるようで、
これは脚本を書く上での初歩的な悩みだと思うので、
初心者諸君に向けて書いてみる。

場面を思いつくのは、一種の才能だから自信をもっていい。
良さげな場面がバンバン出てきて、
内容にワクワクするのはとても楽しい。
しかし、それは「作劇の才能」とは違うものであることを知ったほうがいい。
それはどちらかというと監督の才能であり、
ストーリーテラーの才能ではない。

あなたが場面しか思いつかないのなら、
使っている脳味噌の部分がまるで違う。
ひょっとしたら、あなたには脚本家の才能など欠片もないかも知れないことを覚悟せよ。
(使ったことがないだけで、凄い才能が眠っている可能性も、ある)

では、脚本やストーリーとは、
場面を思いつくことではなく、何を思いつくことなのか。

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posted by おおおかとしひこ at 16:43| Comment(0) | TrackBack(0) | 脚本論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

嘘つきと本当

あなたは嘘つきである。
客も、これは嘘だと知ってお金を払う。
しかしこれは、単なる意味のないホラ話ではない。

嘘の世界の、架空の主人公の架空の事件と架空の解決だが、
それらは矛盾してはならない。
我々は嘘つきとして、極上の二時間の嘘をつく。
それがフィクションの醍醐味だ。
リアリティーは、嘘の為にある。
だってそれ嘘じゃんと思われたら、嘘がばれるからだ。

嘘とは、それをつかれている間、相手が真実だと思うことだ。


何のために嘘をつき、観客は嘘を見に来るのか。
テーマの為だ。

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posted by おおおかとしひこ at 12:32| Comment(0) | TrackBack(0) | 脚本論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

「イン・ザ・ヒーロー」の問題点

ネタバレにつき、未見の方はここで帰って下さい。

ちょっと冷静になった。
どこが不味かったのかを考えよう。

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posted by おおおかとしひこ at 02:29| Comment(0) | TrackBack(0) | 脚本論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年09月07日

「イン・ザ・ヒーロー」の裏切り

途中までずっと泣いていた。
唐沢は死ぬんだろう。そのアクションで。
我々は彼の勇姿を目に焼き付け、彼のやったことを継いで、
より発展させることが使命だ。
それが彼と生きたことだからだ。
そう予感していたからだ。
物語のクライマックス、本番がはじまるまでは最高傑作とまでは言わないが、
世に残る名作の予感がしていた。
スタンディングオベーションの準備はとうに出来ていた。

しかし。しかし。しかし。
その大一番、まさにその一点、一番やっちゃいかんことをした。
その瞬間、映画の魔法は解け、
この映画は唾棄すべきものへ180度転落した。

(以下、重大なネタバレ)

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posted by おおおかとしひこ at 23:47| Comment(0) | TrackBack(0) | 脚本論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

クリエイターの条件

クリエイティブの反対語はイミテイティブであることは、
辞書にも載っている。
過去にそれは議論し、ペプシ桃太郎もこの一点で批判の対象とした。

最近、平凡なアイデアを、変わった手法でやるものが増えた。
その変わった手法は「○○のパクり」であることが殆どだ。
元ネタを知らないと思って、堂々と手法をパクり、
平凡な内容を格好のついたものに仕立てている。
そんなやつらは、イミテイターと名乗るとよい。

クリエイターとは、
アイデアを発明し、非凡なものをつくり、
手法そのものをも発明する人のことだ。

手法をパクるのは、厳密には著作権違反ではない。
しかし、その糞作品が、手法だけを評価され、
内容がダメな以上、その手法がアイデンティティーであり、
それがパクりである以上、クリエイターとして一番いけないことをしていると自覚するべきだ。
特にCMは、今イミテイターの巣窟である。

イミテイターは死ね。クリエイターの邪魔をするな。
イミテイターを殺すのは、パクり元を指摘することだ。
クリエイターを殺すのはもっと簡単で、詰まらないと言うことだ。
殺すほうがより難しいやつらが、生き延びているのだ。腹立つ。
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「流れ」をちゃんとつくる方法

ストーリーにおける、
流れとか、勢いとか、グルーヴとか、
目に見えないが、たしかにあるものを、
言葉で説明することは難しい。

しかし、詰まらないストーリーは必ず流れが停滞し、
面白くて夢中になるストーリーは必ず流れがいい。
そして、
書いていて詰まらなくなってくるストーリーは、
必ず流れが悪くなってくる。
(そしてついに、流れが止まり、書くということをやめてしまう)

ストーリーにおける流れとは何だろう。
弱くなった流れを再び勢いよくさせるには、どうすればいいだろう。

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posted by おおおかとしひこ at 16:27| Comment(0) | TrackBack(0) | 脚本論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

脚本が書けないとき(形式と内容2)

途中で書けなくなることはよくある。
しかしそれは二種類に分かれる。
形式と内容だ。つまり、
この内容を脚本形式でどう現せばいいのか分からないときと、
何を書くか分からないときだ。

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posted by おおおかとしひこ at 11:00| Comment(0) | TrackBack(0) | 脚本論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

形式と内容

何でも若いうちは、テクニックを知りたがる。
その形式をマスターしさえすれば、
名作が出来ると思っている。

それは勘違いであることは、
テクニックの形式を一通りマスターしたあとにやってくる。

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posted by おおおかとしひこ at 01:16| Comment(0) | TrackBack(0) | 脚本論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年09月06日

リライトの訓練を俳句でたとえる

脚本のリライトは難しい。
第一稿を書き上げることより難しい。
多くの人は、
第一稿を最後まで書き上げることも出来ないから、
この世界は想像できないかも知れない。

それをイメージするには、
前項の俳句の例を見るとよい。

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posted by おおおかとしひこ at 18:53| Comment(0) | TrackBack(0) | 脚本論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年09月05日

メアリースーが何故現れるか(続々論)

メアリースー現象を、俳句で例えてみよう。
CMを例に考える。

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posted by おおおかとしひこ at 14:55| Comment(0) | TrackBack(0) | 脚本論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

メアリースーが何故現れるか(続論)

作者が純粋に一人で、作品が出来上がる小説や漫画では、
(編集者が介在するので厳密には一人ではないが、
建前上は一人で無から有をつくったとされる創作物語)
メアリースーは100%作者の責任である。
大人が楽しむべきものに、
子供の未熟を知らずに紛れ込ませている、
無知と無自覚によるものだ。

ここまではいい。人生をちゃんと生きてから、創作に戻ればいい。
創作はある種の箱庭療法だから、精神疾患にもちょうどいい。
(療法記録に世間的意味があるかというと、まずない。
従って、ちゃんとしたものでない限り発表するべきではない)

僕らが出会う問題は、
複数の意図が絡んでいる場合の物語創作である。
いわゆる、商業作品(CM、ドラマ、映画。アニメは専門外なのでここでは想定しない)
にメアリースーが出現しやすくなっている。

こちらの方が根深い。
CMの例で解説するのが最も分かりやすい。

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posted by おおおかとしひこ at 13:34| Comment(0) | TrackBack(0) | 脚本論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

モチーフとテーマ:俳句の例

物書きたるもの、俳句のひとつやふたつ詠めて当然だ。
我々は俳句専門ではないが、
俳句史に残る出来ではない、言葉をあやつる遊び程度には、
俳句は詠めて当然である。

若手を集めて大岡塾なるものを開いている。
若手のありがちなこと。
テーマを思いついた時点で、モチーフの工夫に至らないこと。

今回の課題である俳句から、いくつかの例を。

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posted by おおおかとしひこ at 03:38| Comment(0) | TrackBack(0) | 脚本論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年09月04日

メアリースーが何故現れるか(本論)

この議論の前提は、前の記事、前の前の記事を参考に。

メアリースーとは、二次創作におけるオリジナルキャラで、
それが大抵痛い事になる、ということを揶揄したキャラだ。


もともと二次創作などのファン創作的な範囲での話だが、
僕は、一次創作、つまりオリジナルにも現れると思う。

なぜなら、それは「作家としての未熟」が原因だからである。

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posted by おおおかとしひこ at 21:11| Comment(11) | TrackBack(0) | 脚本論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

サービスは人を堕落させる(メアリースーが何故生まれるか)

あらゆるサービスは、
手を抜きたい願望を叶える。

サービスが機械によるものだろうが、人の手によるものだろうが。


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posted by おおおかとしひこ at 15:08| Comment(0) | TrackBack(0) | 脚本論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年09月03日

メアリースーテスト

という有名なテストがあるのを知った。
小説家志望の人達用のものだが、
物語創作として脚本家は見とくとよい。

中二病テストといってもいい。
自分を書いてはいけない、とよく戒めるが、
それ以上の痛々しさだ。

何故こうなってしまうかは、深い心理学が必要な気がするし、
そこを深く考える気はしない。
ただ。今の下らないCMや下らないドラマや映画は、
多分にこの病の人達が成立に関わっている気がする。
もう少し言葉になったら、また書く。
posted by おおおかとしひこ at 11:57| Comment(0) | TrackBack(0) | 脚本論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年09月02日

吊り橋効果

有名な心理学の話。
危険をともにクリアすると、連帯感が生まれる。

男女に使えば好意や恋へ、
同性に使えば仲間意識や友情へ、
普通の関係を進めさせることができる。

できる、のは勿論劇中で、の話だが。

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posted by おおおかとしひこ at 12:07| Comment(0) | TrackBack(0) | 脚本論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする