2014年09月16日

「イン・ザ・ヒーロー」の脚本は何が問題か

脚本家の名は水野敬也という。
「夢を叶えるゾウ」の作者だ。
彼の持ち味は、ざっくり言うとノウハウ系だと思われる。
新しい考え方を世に広めるのが上手なのが才能のようだ。
(著作を全部見たわけではないので、推測)

ゾウはドラマ版は見た。詰まらなくて数話で脱落した。
おそらくこのへんに「イン・ザ・ヒーロー」と共通の問題点が浮かび上がる。
「新しい考え方を世に広める」という彼の作風が、
映画進行とは極めて相性が悪いことに、彼自身自覚していない。
(本論の前に前項が前提になっている。
また、以下はネタバレ前提である)


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2014年09月15日

小説は思考の流れ、脚本は意味の流れ

ちょいちょい小説なるものを研究している。
脚本とどう違うのかを考える為だ。
そこで地の文という、脚本のト書きとは全く別の性質を持つものについて、
議論した。

もう少し抽象的にとらえると、
小説は思考の流れを書くものであり、
脚本は意味の流れを書くものだと対比できる。

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posted by おおおかとしひこ at 16:18| Comment(0) | TrackBack(0) | 脚本論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

デジタルは人を幸せにしない:画質

ブルーレイに慣れるとDVDの画質はキツイというが、
本当だろうか。
それは画質に頼る映画であって、
話がそもそも面白くないから、
画質頼みにしているからではないか。

風魔なんてSDだぜ。4:3だぜ。
結局、人はその世界に順応する力があるから、
順応してしまえば何だっていいはずだ。

3D映画で驚くのは最初10分15分だ。
あとは内容勝負だ。
DVD画質かよと思っても、15分過ぎて話が面白くなってしまえば、
それはどちらでも関係なくなる。

それでも詰まらない映画は、ブルーレイでも詰まらない。
結局、面白いかどうかに画質は冒頭以外は関係ない。

僕はHD化は、製作者に負担を増やしただけで、
いいことはひとつもなかったと思っている。
機材の交換需要でメーカーが得をしただけ
(そして勢力地図が変わっただけ)で、
HD化によって「トータルの表現力」は、下がっていると感じている。

表現とは、嘘を本当だとすることだ。
HDはリアル過ぎて、嘘の嘘がばれやすい。
着ぐるみが嘘に見える。
下手な芝居がばれてしまう。(だから逆に真の芸能は強い)
シワやニキビや整形がばれてしまう。
この人とこの人が付き合ってるとかが、リアル過ぎてしまう。
だからHDはドキュメント的になり、
嘘の世界の構築が難しくなる。
(HDの手持ちはホントに増えた。フィックスが嘘っぽく見えるからだ)
posted by おおおかとしひこ at 14:09| Comment(0) | TrackBack(0) | 脚本論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

「太秦ライムライト」と「イン・ザ・ヒーロー」の天地の差

(9/22追記:ツイッターでピンポイントで来た方へ。
この話は9/7以降の「イン・ザ・ヒーロー」の記事のつづきです。
「太秦ライムライト」は脚本的にはものすごくよくないですが、
「イン・ザ・ヒーロー」と決定的に違ういいところがあります。
その話です。どちらも見た上で、一連の議論にくわわってください)


毒を食らわば、のつもりで見てきた太秦ライムライト。
六本木シネマートで追加上映中なので見逃すな。

結論から言うと、今年の僕のベストワンだ。

福本氏の技が素晴らしい。
本物の剣術の動きだ。
面ひとつ取っても手の内を利かせ、梃子の原理で振り抜く、
引き斬りの日本刀の正しい使い方が出来ている。
(大先輩にこういう言い方も失礼だが)
熟練したナタの使い方のような、後半力を抜き更に加速する、
古武術的な振り方だ。
足の使い方に全く無理がないのが、余程の鍛練を伺わせる。
それだけで名人芸を見るような眼福だ。
(それに比べるのも酷だが、ヒロインの殺陣は足に力が入りすぎている。
だから丹田が浮いている。それでもよくやったほうだけど)


殺陣も素晴らしい。
るろうにの創作アクションとは違う、伝統的日本剣術の戦い方の再現。
(多少外連味は入っているが)
足の上がっていない唐沢と比べるのも恥ずかしいが、
100万倍素晴らしい肉体パフォーマンスだ。

「陰陽師」のベストシーンは、エンドロール中の野村萬斎の舞いである。
映画そのものより、野村萬斎の芸能の力が勝ってしまった例だ。
しかるにこの映画では、殺陣という芸能が、内容と噛み合う。

(以下ネタバレ)

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2014年09月14日

「十二人の怒れる男」の研究

ワンカットワンシチュエーションものを考えていて、
密室ものを研究しようと思い、生涯三度目の観賞。
ワンカットものにはなんの参考にもならなかった。
何故か。
撮影技術的にはたいしたことをしてないからだ。

この作品は、話だけで持たせている、稀有な映画だ。
話とは何か。その本質をこの作品は教えてくれる。

(以下ネタバレ)

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2014年09月13日

台詞が上手くなるには

台詞が下手な人を見ていると、
例外なく話下手だ。

この場合の話下手とは、
創作的な話をつくることではなく、
リアルの場での(飲み会とか、雑談)話である。

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posted by おおおかとしひこ at 15:50| Comment(0) | TrackBack(0) | 脚本論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

小説と映画の違い:内面の描写

小説には地の文があり、
そこでは人物の内面が描写できる。
映画にはない。
(ナレーションという道具があるが、多用は厳禁だ。
多用した失敗映画に「私の優しくない先輩」がある。
このときの川島海荷は整形前で最も可愛く、
見る価値はあるが、今は本題ではない)

もう少し深く見ていこう。

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posted by おおおかとしひこ at 14:59| Comment(0) | TrackBack(0) | 脚本論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

あなたは鋭すぎるし、鈍すぎる

あなたが作家の才能があるとしたら、
何か突出したものを持っているからだ。
それは大なり小なり自覚すべきだ。
それは、世間からすると、ずれている。

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posted by おおおかとしひこ at 12:56| Comment(0) | TrackBack(0) | 脚本論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年09月12日

論理、感情、外連味

これまでのことを更にまとめてみる。

映画脚本の三要素。
論理、感情、外連味。

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posted by おおおかとしひこ at 15:41| Comment(0) | TrackBack(0) | 脚本論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

論理とプロット、感情と執筆

これまでの話を総合すると、
以下のような書き方が、
効率的、合理的ではないだろうか。

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2014年09月11日

切実さの話2

自分が傷ついたところから話をはじめても、
心の迷路に入り込むだけだ。
しかも三人称の話にもならない。

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切実にしよう

通り一辺倒の話を書かれても、
ちっとも面白くない。
優等生の書いた話は面白くない。
どんなに伏線が決まり、どんでん返しが鮮やかで、
斬新な構成のずば抜けたテクニックでもだ。

面白い話は、切実なのである。

その登場人物が、いかにその動機や事件に「必死か」が大事だ。

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感情移入の国民性

何かで読んだ話なのだが、
日本人は、「辛いことがあったり、喪失をした人」
に感情移入する傾向があり、
アメリカ人は、「そこから立ち上がる人」
に感情移入する傾向があるそうだ。

日本人の感情移入のベースは同情であり、
アメリカ人の感情移入のベースは、USA!USA!USA!である。

そりゃ、太平洋戦争も負けるわな。

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posted by おおおかとしひこ at 00:40| Comment(0) | TrackBack(0) | 脚本論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年09月10日

seesaaにイラッッとする

「イン・ザ・ヒーロー」のバナー自動で貼り付けてんじゃねえ。
おれは怒っているのだ。ちゃんと読めちくしょう。
posted by おおおかとしひこ at 17:33| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

地の文も台詞である(小説と脚本の比較)

脚本家として、小説を書くときに思うこと。

それは、地の文はト書きではないことだ。
極端に言うと、脚本家から見たら、地の文も台詞であるべきだ。

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posted by おおおかとしひこ at 17:27| Comment(2) | TrackBack(0) | 脚本論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

仕組みの面白さと人間ドラマの面白さ

映画には、二種類の面白さが共存しなくてはならない。
これは僕の説だ。
多分、二時間をリアルタイムショウとして見ること、
と関係していると思う。

映画の黎明期には、別の面白さを足したり、
面白さの質が違ったりしたこともあっただろし、
短編映画や3時間ごえの映画などでは違うだろうが、
スタンダードな二時間の映画には、
二種類の全く違った面白さの共存が必要だ。

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posted by おおおかとしひこ at 14:57| Comment(0) | TrackBack(0) | 脚本論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

シーンは増やせるし、減らせる

前の項で、シンデレラのシーンの話をしたので、
ついでにシーンの増減について。

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posted by おおおかとしひこ at 12:28| Comment(0) | TrackBack(0) | 脚本論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年09月09日

頭の中に場面はないのか(場面しか思いつかない4)

では、実際の脚本家の頭の中には場面はないのだろうか。
脚本家の頭の中は、理屈だけなのだろうか。
いや、頭の中に場面はある。
しかし、ストーリーが先にあるだけで、
それに付随して、絵本の挿絵のように、一枚絵が浮かぶのだ。

プロットを練る段階では、そのような一枚絵が浮かぶこともある。
それでシーンを記憶して「場面」とし、
それらを並べることで全体のイメージをつかむことはよくある。
場面は静止画だが、意味は動画だ。
つまりサムネイル代わりに使うのだ。

また執筆中は、頭の中に映像が浮かび、
それを記録するように書いていくこともある。
それは「場面」をリアルタイムで動かしているような感覚である。
小説では特に三次元空間がリアルタイムで動くような、
時間軸を付加した四次元空間をイメージすることもある。

映画が視覚芸術であり、お話が世界での体験である以上、
頭の中に視覚イメージが湧かないことはありえない。

しかしそれは、お話の正体ではない。
posted by おおおかとしひこ at 18:27| Comment(0) | TrackBack(0) | 脚本論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

場面とシーンは違う(場面しか思いつかない3)

ストーリーを考えたくても、場面しか思いつかないことは、
初心者の時にはよくある話だ。

さらに追い打ちをかけるようだが、
そのような人は、場面と「シーン」の区別がついていないと思う。

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2014年09月08日

三つの考え

物語には、三つの考え方が錯綜する。

あなた独特の考え、
誰もがその状況を与えられたら考えるだろうこと、
取材で得られた別次元の独特な考え(モデル人物)、
だ。(三つ目が複数あるなら、四つ以上の、になる)

今、どれかを自分でハッキリさせておこう。
今、どの考え方で考えるのが面白いのか、
考えよう。

それを、オーケストラの指揮者のように指示出来ないと、
あなたは真に迫る物語を書くことは出来ない。
それはある種の分裂病であり、多角的に物事を見ることでもある。
posted by おおおかとしひこ at 19:01| Comment(0) | TrackBack(0) | 脚本論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

場面しか思いつかない2

場面しか思いつかない方法論には、
初心者諸君が思いもつかない欠点がある。

変更が効かないところだ。
初心者諸君は恐らくリライトなどしたこともないだろう。
44000字の原稿をあげるために、その10倍以上文字を書いた経験はないだろう。
プロは時にそのような戦いをすることがある。

場面は、美しい絵である。
だから、その変更は難しい。
一方、ストーリーとは理屈だ。
屁理屈、と言われるように、絵がなければ理屈はいくらでも変更出来る。

簡単に言うと、
理屈は柔軟だが、絵は硬い。

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場面しか思いつかない

というキーワードで検索して来てくれた人がいるようで、
これは脚本を書く上での初歩的な悩みだと思うので、
初心者諸君に向けて書いてみる。

場面を思いつくのは、一種の才能だから自信をもっていい。
良さげな場面がバンバン出てきて、
内容にワクワクするのはとても楽しい。
しかし、それは「作劇の才能」とは違うものであることを知ったほうがいい。
それはどちらかというと監督の才能であり、
ストーリーテラーの才能ではない。

あなたが場面しか思いつかないのなら、
使っている脳味噌の部分がまるで違う。
ひょっとしたら、あなたには脚本家の才能など欠片もないかも知れないことを覚悟せよ。
(使ったことがないだけで、凄い才能が眠っている可能性も、ある)

では、脚本やストーリーとは、
場面を思いつくことではなく、何を思いつくことなのか。

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posted by おおおかとしひこ at 16:43| Comment(0) | TrackBack(0) | 脚本論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

嘘つきと本当

あなたは嘘つきである。
客も、これは嘘だと知ってお金を払う。
しかしこれは、単なる意味のないホラ話ではない。

嘘の世界の、架空の主人公の架空の事件と架空の解決だが、
それらは矛盾してはならない。
我々は嘘つきとして、極上の二時間の嘘をつく。
それがフィクションの醍醐味だ。
リアリティーは、嘘の為にある。
だってそれ嘘じゃんと思われたら、嘘がばれるからだ。

嘘とは、それをつかれている間、相手が真実だと思うことだ。


何のために嘘をつき、観客は嘘を見に来るのか。
テーマの為だ。

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posted by おおおかとしひこ at 12:32| Comment(0) | TrackBack(0) | 脚本論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

「イン・ザ・ヒーロー」の問題点

ネタバレにつき、未見の方はここで帰って下さい。

ちょっと冷静になった。
どこが不味かったのかを考えよう。

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posted by おおおかとしひこ at 02:29| Comment(0) | TrackBack(0) | 脚本論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年09月07日

「イン・ザ・ヒーロー」の裏切り

途中までずっと泣いていた。
唐沢は死ぬんだろう。そのアクションで。
我々は彼の勇姿を目に焼き付け、彼のやったことを継いで、
より発展させることが使命だ。
それが彼と生きたことだからだ。
そう予感していたからだ。
物語のクライマックス、本番がはじまるまでは最高傑作とまでは言わないが、
世に残る名作の予感がしていた。
スタンディングオベーションの準備はとうに出来ていた。

しかし。しかし。しかし。
その大一番、まさにその一点、一番やっちゃいかんことをした。
その瞬間、映画の魔法は解け、
この映画は唾棄すべきものへ180度転落した。

(以下、重大なネタバレ)

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posted by おおおかとしひこ at 23:47| Comment(0) | TrackBack(0) | 脚本論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

クリエイターの条件

クリエイティブの反対語はイミテイティブであることは、
辞書にも載っている。
過去にそれは議論し、ペプシ桃太郎もこの一点で批判の対象とした。

最近、平凡なアイデアを、変わった手法でやるものが増えた。
その変わった手法は「○○のパクり」であることが殆どだ。
元ネタを知らないと思って、堂々と手法をパクり、
平凡な内容を格好のついたものに仕立てている。
そんなやつらは、イミテイターと名乗るとよい。

クリエイターとは、
アイデアを発明し、非凡なものをつくり、
手法そのものをも発明する人のことだ。

手法をパクるのは、厳密には著作権違反ではない。
しかし、その糞作品が、手法だけを評価され、
内容がダメな以上、その手法がアイデンティティーであり、
それがパクりである以上、クリエイターとして一番いけないことをしていると自覚するべきだ。
特にCMは、今イミテイターの巣窟である。

イミテイターは死ね。クリエイターの邪魔をするな。
イミテイターを殺すのは、パクり元を指摘することだ。
クリエイターを殺すのはもっと簡単で、詰まらないと言うことだ。
殺すほうがより難しいやつらが、生き延びているのだ。腹立つ。
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「流れ」をちゃんとつくる方法

ストーリーにおける、
流れとか、勢いとか、グルーヴとか、
目に見えないが、たしかにあるものを、
言葉で説明することは難しい。

しかし、詰まらないストーリーは必ず流れが停滞し、
面白くて夢中になるストーリーは必ず流れがいい。
そして、
書いていて詰まらなくなってくるストーリーは、
必ず流れが悪くなってくる。
(そしてついに、流れが止まり、書くということをやめてしまう)

ストーリーにおける流れとは何だろう。
弱くなった流れを再び勢いよくさせるには、どうすればいいだろう。

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脚本が書けないとき(形式と内容2)

途中で書けなくなることはよくある。
しかしそれは二種類に分かれる。
形式と内容だ。つまり、
この内容を脚本形式でどう現せばいいのか分からないときと、
何を書くか分からないときだ。

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形式と内容

何でも若いうちは、テクニックを知りたがる。
その形式をマスターしさえすれば、
名作が出来ると思っている。

それは勘違いであることは、
テクニックの形式を一通りマスターしたあとにやってくる。

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2014年09月06日

リライトの訓練を俳句でたとえる

脚本のリライトは難しい。
第一稿を書き上げることより難しい。
多くの人は、
第一稿を最後まで書き上げることも出来ないから、
この世界は想像できないかも知れない。

それをイメージするには、
前項の俳句の例を見るとよい。

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posted by おおおかとしひこ at 18:53| Comment(0) | TrackBack(0) | 脚本論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする