2014年09月05日

メアリースーが何故現れるか(続々論)

メアリースー現象を、俳句で例えてみよう。
CMを例に考える。

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posted by おおおかとしひこ at 14:55| Comment(0) | TrackBack(0) | 脚本論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

メアリースーが何故現れるか(続論)

作者が純粋に一人で、作品が出来上がる小説や漫画では、
(編集者が介在するので厳密には一人ではないが、
建前上は一人で無から有をつくったとされる創作物語)
メアリースーは100%作者の責任である。
大人が楽しむべきものに、
子供の未熟を知らずに紛れ込ませている、
無知と無自覚によるものだ。

ここまではいい。人生をちゃんと生きてから、創作に戻ればいい。
創作はある種の箱庭療法だから、精神疾患にもちょうどいい。
(療法記録に世間的意味があるかというと、まずない。
従って、ちゃんとしたものでない限り発表するべきではない)

僕らが出会う問題は、
複数の意図が絡んでいる場合の物語創作である。
いわゆる、商業作品(CM、ドラマ、映画。アニメは専門外なのでここでは想定しない)
にメアリースーが出現しやすくなっている。

こちらの方が根深い。
CMの例で解説するのが最も分かりやすい。

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posted by おおおかとしひこ at 13:34| Comment(0) | TrackBack(0) | 脚本論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

モチーフとテーマ:俳句の例

物書きたるもの、俳句のひとつやふたつ詠めて当然だ。
我々は俳句専門ではないが、
俳句史に残る出来ではない、言葉をあやつる遊び程度には、
俳句は詠めて当然である。

若手を集めて大岡塾なるものを開いている。
若手のありがちなこと。
テーマを思いついた時点で、モチーフの工夫に至らないこと。

今回の課題である俳句から、いくつかの例を。

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posted by おおおかとしひこ at 03:38| Comment(0) | TrackBack(0) | 脚本論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする