2014年12月08日

三題噺

以前にも書いたかも知れないが、
鶴瓶とざこばの「らくごのご」という深夜番組は凄かった。

客席から三つのランダムなお題(名詞や一言ぐらいの長さ)
をもらい、十分とかそこらで、
二人がそのお題を全部含んだ即興落語を披露するという、
我々ストーリー創作者にとって、
胃が痛くなる、そして興味深い番組であった。

関西限定で、一年くらいやってたかな。
流石にネタの仕入れが難しくなって、それほどには続かなかったのかもだ。
僕は毎回テレビの前で即興で考えては、
彼ら二人のストーリー創作力と勝負したものだ。
今思えば、それは一年毎週のトレーニングだった。


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posted by おおおかとしひこ at 12:05| Comment(0) | TrackBack(0) | 脚本論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

「映画を見ているような感覚」って何?

金のかかった映像ならいいのか?
凄いロケーションで、凄い衣装を着て、
凄いCGで凄い撮影(空撮とか)なら、
それで映画なのか?

それは映画ではなく映画もどきだ。
映画の形を表面上真似したものに過ぎない。
凄い金のかかったものには、
凄い物語が必要だ。

凄い物語とはどういうものかは、このブログに書いてある。
感情移入を深くし、展開に揺さぶられ、ラストに心動かされ、
深くその結末の意味に感銘を受け、
一生忘れないほどの影響をその結末から受けるものだ。
それは体を危険に晒して命を賭けるような冒険から得られる。
その時に何を克服するかが、テーマや成長に直結する。
それが、一部の人にとってではなく、メジャーな観客の心を動かすものが、
凄い物語というものだ。

ペプシ桃太郎シリーズは、金のかかった映画もどきだ。
一番肝心の中身(物語、テーマ、感銘)が入っていないことが、
全体で砂糖ゼロの商品を暗喩しているのだとしたら、
なんだか皮肉である。
posted by おおおかとしひこ at 09:25| Comment(0) | TrackBack(0) | 脚本論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

体全部を賭ける危険

危険を設定せよ。
体が危機になるほうが原始的だ。

今女子の方が元気なのは、恋愛で体を危険に晒しているからかも知れない、
(そして成長して先に大人になっているのかも知れない)
男子が体を危険に晒す機会は減ったと思う。
殴りあいの喧嘩が社会的に認知されにくくなって、
体の危機がなくなり、男子は成長しなくなったのかも知れない。

体の危機は淘汰圧だ。
アドレナリンが全部出るような、体全部を賭ける危険を描こう。
それを乗り越えたとき、自然と変化や成長が訪れる。
リアルでも、物語のなかでも。

逆に今男子のちゃんとした映画をつくるには、
異世界にでも飛ばして、体の危機を作るしかないのかも知れない。
(一方女子は、現実の恋愛だけで体の危険をつくれるのに)
posted by おおおかとしひこ at 09:02| Comment(0) | TrackBack(0) | 脚本論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする