以前にも書いたかも知れないが、
鶴瓶とざこばの「らくごのご」という深夜番組は凄かった。
客席から三つのランダムなお題(名詞や一言ぐらいの長さ)
をもらい、十分とかそこらで、
二人がそのお題を全部含んだ即興落語を披露するという、
我々ストーリー創作者にとって、
胃が痛くなる、そして興味深い番組であった。
関西限定で、一年くらいやってたかな。
流石にネタの仕入れが難しくなって、それほどには続かなかったのかもだ。
僕は毎回テレビの前で即興で考えては、
彼ら二人のストーリー創作力と勝負したものだ。
今思えば、それは一年毎週のトレーニングだった。
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2014年12月08日
「映画を見ているような感覚」って何?
金のかかった映像ならいいのか?
凄いロケーションで、凄い衣装を着て、
凄いCGで凄い撮影(空撮とか)なら、
それで映画なのか?
それは映画ではなく映画もどきだ。
映画の形を表面上真似したものに過ぎない。
凄い金のかかったものには、
凄い物語が必要だ。
凄い物語とはどういうものかは、このブログに書いてある。
感情移入を深くし、展開に揺さぶられ、ラストに心動かされ、
深くその結末の意味に感銘を受け、
一生忘れないほどの影響をその結末から受けるものだ。
それは体を危険に晒して命を賭けるような冒険から得られる。
その時に何を克服するかが、テーマや成長に直結する。
それが、一部の人にとってではなく、メジャーな観客の心を動かすものが、
凄い物語というものだ。
ペプシ桃太郎シリーズは、金のかかった映画もどきだ。
一番肝心の中身(物語、テーマ、感銘)が入っていないことが、
全体で砂糖ゼロの商品を暗喩しているのだとしたら、
なんだか皮肉である。
凄いロケーションで、凄い衣装を着て、
凄いCGで凄い撮影(空撮とか)なら、
それで映画なのか?
それは映画ではなく映画もどきだ。
映画の形を表面上真似したものに過ぎない。
凄い金のかかったものには、
凄い物語が必要だ。
凄い物語とはどういうものかは、このブログに書いてある。
感情移入を深くし、展開に揺さぶられ、ラストに心動かされ、
深くその結末の意味に感銘を受け、
一生忘れないほどの影響をその結末から受けるものだ。
それは体を危険に晒して命を賭けるような冒険から得られる。
その時に何を克服するかが、テーマや成長に直結する。
それが、一部の人にとってではなく、メジャーな観客の心を動かすものが、
凄い物語というものだ。
ペプシ桃太郎シリーズは、金のかかった映画もどきだ。
一番肝心の中身(物語、テーマ、感銘)が入っていないことが、
全体で砂糖ゼロの商品を暗喩しているのだとしたら、
なんだか皮肉である。
体全部を賭ける危険
危険を設定せよ。
体が危機になるほうが原始的だ。
今女子の方が元気なのは、恋愛で体を危険に晒しているからかも知れない、
(そして成長して先に大人になっているのかも知れない)
男子が体を危険に晒す機会は減ったと思う。
殴りあいの喧嘩が社会的に認知されにくくなって、
体の危機がなくなり、男子は成長しなくなったのかも知れない。
体の危機は淘汰圧だ。
アドレナリンが全部出るような、体全部を賭ける危険を描こう。
それを乗り越えたとき、自然と変化や成長が訪れる。
リアルでも、物語のなかでも。
逆に今男子のちゃんとした映画をつくるには、
異世界にでも飛ばして、体の危機を作るしかないのかも知れない。
(一方女子は、現実の恋愛だけで体の危険をつくれるのに)
体が危機になるほうが原始的だ。
今女子の方が元気なのは、恋愛で体を危険に晒しているからかも知れない、
(そして成長して先に大人になっているのかも知れない)
男子が体を危険に晒す機会は減ったと思う。
殴りあいの喧嘩が社会的に認知されにくくなって、
体の危機がなくなり、男子は成長しなくなったのかも知れない。
体の危機は淘汰圧だ。
アドレナリンが全部出るような、体全部を賭ける危険を描こう。
それを乗り越えたとき、自然と変化や成長が訪れる。
リアルでも、物語のなかでも。
逆に今男子のちゃんとした映画をつくるには、
異世界にでも飛ばして、体の危機を作るしかないのかも知れない。
(一方女子は、現実の恋愛だけで体の危険をつくれるのに)