2015年01月31日

頭のいい人と悪い人の違い

ポイントを抽出して、そこを外さないのが頭のいい人。
ポイントが分からず、
全部ベタでやる人が頭の悪い人。

頭の悪い人は、だから息が切れ、全体が見えない。
全体が見えないから、ポイントが分からない。
ポイントが分からないから、
力の入れ所が分からず、全部に力を入れる。
待っているのは疲労死である。

何がポイントになるか、どこで力を使えばいいか。
どこを外さなければ当たりか。
トータルでどの程度その力が必要か。
先に全体を見てから、今をその部分として考える。

地図を読む力はそれに比例している。
構成は地図だ。
今ここに新たな作品をつくるのも、地図を見る力だ。
それが見えてない奴は、見えてる奴の足を引っ張っている。
最近頭の悪い人ばかりで疲れる。
そういう人ほど、何故だかデジタルツールを信じている。
デジタルを制御するアナログ、という大きな構造が多分見えてないのだろう。

脚本は個人作業であるが、プロの世界では共同作業でもある。
相手が地図を見る頭のよさがあるかどうかを、
探り探りいこう。
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下北沢天狗祭りなう

日記カテゴリで。

天狗囃子と呼ばれる、和太鼓5、シンバル的な銅鑼1、
法螺貝4の編成がヤバい。
このループ音楽は何か原始のものを思わせる。

商店街を練り歩く。みんなその行列に加わる。
百鬼夜行の一員になって、みんな楽しそうだ。

曹洞宗大雄山が相模にあり、
修行僧から天狗になった道了薩捶(道了尊)を
まつる、下北沢真龍寺はその分院らしく。
てんぐ探偵を書く上で全国の天狗を調べたが、
大雄山は箱根山系、足柄山の隣である。
そこと人里の境にあるのが、風祭村。
風魔が人になって以後つくった村と呼ばれる。
そんな遠い因縁で、何故だか下北沢に今いる。


豆まき(それは京都吉田神道に始まる追儺である。
ちなみにその吉田神社のたもとが我が大学だ)
と何故だか習合している、不思議な祭りである。
鬼がいないから、「福は内、福は内、福は内」と三回唱える風習なのだそうだ。

僕は鬼は排斥された異民族(難に人偏ついてるし)、
天狗は排斥されなかった、同居を選んだ異民族だと考えている。
(だから天狗は怖くてなんとなく近寄りがたいが、
同時に親しみやすい面も持っている)
それに関しては一冊本が書ける程度には調べた。
その仮説に従えば、下北沢はそのような迫害された人たちの
たどり着いた町だったということだ。
漂泊の者たちの芸、演劇が盛んなのも、よくわかるような気がする。

ちなみに、一本高下駄(高さ20センチだそうだ)を
はじめて生で見た。介添人の肩に捕まっているとはいえ、
相当歩きにくそうだった。
「顔が見えたから、中に人が入ってるよ!」
と大声で言う子供たちが、微笑ましかった。

私たちは、その中の人をやるのですよ、と教えてあげたかったが、
それを知るのは大人になってからだろう。
posted by おおおかとしひこ at 14:42| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年01月30日

トップダウンとボトムアップ

脚本は、トップダウンでしかつくれない、
ボトムアップでは、決してつくれない、と極論してみよう。

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星占いのススメ2:性格分析の基礎

登場人物の性格分析をするときに役に立つ、
簡単な基礎を書いておこう。

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【遅延】てんぐ5、雪のため遅れます

雪のためは嘘です。

今日発表を目指して鋭意執筆中の、
小説版てんぐ探偵第五集、
より深い表現を求めて、本日の発表を見送りました。
もう少し完成度を上げさせてください。

月一ペースを守れなくてすいません。
二月上旬、とぼかした表現にしておきます。
posted by おおおかとしひこ at 09:52| Comment(0) | TrackBack(0) | 脚本論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

「押すなよ!」は「押せ」ってこと

ダチョウ倶楽部のこのネタは、
時間軸でものを語ることの本質を示している。

つまり、
語られた要素はのちに実現する、
ということだ。

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2015年01月29日

一人称の映画

というのはあるだろうか、
と思考実験的に考えてみる。

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親しくなるまでの速度

あなたは人と仲良くなるのが早いだろうか、
遅いだろうか。
早い人はリア充だろうから、多分ここには来ていない。
平均より遅い人が多いと思う。

しかし、映画の中では、平均的な、
人と親しくなる速度を考えなければならない。

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最初の鍵、最後の鍵

第一ターニングポイント、第二ターニングポイントを見つけるコツ。
センタークエスチョンから考える王道の方法は前記事で紹介した。

別の考え方。

最初の事件解決の鍵と、
最後の事件解決の鍵を、考えるとよい。

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posted by おおおかとしひこ at 02:24| Comment(0) | TrackBack(0) | 脚本論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

リライトのコツ:大ターニングポイントは、正しいか

リライトをするとき、
全体を三幕に区切る、
第一ターニングポイントと第二ターニングポイントを抽出し、
三幕それぞれのページ数を出し、
それを元に構成を直す方法を紹介した。

実はこれには穴がある。
第一ターニングポイント、第二ターニングポイントを、
間違えることがあるのだ。

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2015年01月28日

切ったものを戻す

執筆時に何気なく切った部分は、
あとで使える重要な伏線だった。

こういうことはよくある。
リライト時に、きちんと混ぜこんで復活させるべきだ。

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映像のタッチ

小説の文体のようなものか。
監督によって、映像のタッチというものがある。

分かりやすいものをあげていこう。

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2015年01月27日

伸びるアイデアと伸びないアイデア

前記事の続き。

宝くじのCMの例で、
コンセプトとしては面白そうだった、
「他人を無理やりラッキーにする集団」が
何故捨てられたのだろうか。

これは、伸びないアイデアだからだ。

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アイデアの出しかた2

前記事の続き。

よいアイデアを出すためには、
それが何工程あるかを把握することだ。

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アイデアの出しかた

アイデアはどうやって出せばいいか、
なんて初心者のころは質問したりする。

その質問は間違っている。
アイデアというのは、
場面場面で形が変わるものであり、
それら全部の共通する出しかたはない。

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小説は内面の旅、映画は行動の旅

小説が一人称形だとして。

両者は書くポイントが違うのだ。
それが内容そのものの違いにもなってくると思う。

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2015年01月26日

オカルトへの態度

最近オカルト話的なものが続いたので。
僕は理系なので、基本的には科学者だ。
(初期ドラえもんの科学万能主義で育った)

かといってオカルト全面否定主義ではない。
科学でどこまで分かるかを知りたいのだ。
だって科学とは、それを知れば身に付き、コントロール出来るからだ。

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言霊の制御の方法

言霊とは、故平井和正の言い方で、
自動書記状態の際に、どこかから降りてくるものだ。
この状態になれば手が勝手に動く。
或いは、イメージが湧いて湧いて、記録するのに精一杯な状態になる。

これは作家なら誰もが経験する瞬間であり、
スポーツ選手のゾーンのようなものだと思っている。

つまり、コントロールできる。
御神託や狐のような怪しげなものに頼らず、
新興宗教にも頼らず、
これは制御出来る。

制御するためには、言霊に任せる範囲と、
言霊に任せずに理性で制御する範囲を決めることだ。
その妥当な範囲を書いて行く。

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2015年01月25日

【幻魔のはなし】コメントが長過ぎるので、記事形式で続けます。

でん様、長文コメントありがとうございます。
やはり平井和正は、我々に長文を書かざるを得ない、何かを残して行ったのだと思います。

HKヒストリーはざっと読みました。
「ひらりん」なる軽みのある人格が、統合をうまく誘導したのではないかなあ、
と予想します。
「ハルマゲドン」以降の、幻魔ほどどろっとしてない感じは、
その軽みへのステップなのかも知れませんね。
(「幻魔大戦」「ハルマゲドン」「ハルマゲドンの少女」までで挫折しました。
「真幻魔」行こうとして、またしても失踪未完と聞いて手を出さず)

以下、個人のプライベートでもあるので、つづきへ。

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posted by おおおかとしひこ at 21:55| Comment(3) | TrackBack(0) | 脚本論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

精神的にタフになれ

前からの続き。

ということは、我々書く者は、
毎回人格を意図的に分裂させ、その間のコンフリクトを描き、
アウフヘーベンとして統合過程を書かなければならない、
ということだ。

心を制御する精神がタフでなければ、
簡単にその世界に持ってかれてしまうのだ。
(タフでなかったのは、芥川龍之介とかか)

これらを上手く同居させてしかも統合するには、
全てを監視する人格が必要であると言われる。

監視して制御せよ。
理解して強制でなく自発的に行動するように誘導せよ。
それぞれのレベルに降り、かつ全体も見よ。
タフであれ。
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物語の正体

心の病の理論や解離やらをちょいちょい勉強している。
かつて、別の作品を書いたときに。

今回、多重人格(解離性同一障害)を面白おかしく書くために。
それは、心の迷路はあることを示すこと、
あったとしても抜け方があることを示すこと、
この二つの啓蒙という意味がある、と考えてのことだ。
(それはてんぐ探偵全体のテーマでもあることは、
薄々感じられているとは思う)

人は何故物語を書くのか。
人は何故物語を読むのか。
色々な面からの答えがあり、それらは重なりあうことが多い。
今回は、心の病の面からのおはなし。

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posted by おおおかとしひこ at 09:21| Comment(0) | TrackBack(0) | 脚本論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年01月24日

【てんぐニュース】第六集、来週末発表

を目処に書いています。

最近多重人格の話が多いのは、
25話、妖怪別人格という、
多重人格の話を書いていて、特別そこに引っかかるからかも知れません。
(勿論以前から薄々感じていたことだけど)
シンイチの多重人格化とその統合過程が、
面白く、かつ含蓄のあるエンターテイメントになることに、
ご期待ください。
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推測:幻魔大戦と平井和正氏の関係

平井和正氏が亡くなられて、とてもショックである。

僕は中学で幻魔大戦に魂を奪われ、
未完であることに大変モヤモヤしている。
追悼記事を沢山書いた。
それはそのモヤモヤをすっきりさせたくてだ。

以下は、
僕がネットで知り得た氏の個人的関係と、
幻魔大戦という作品との関係を、推測をもとに再構成したものだ。
つまり僕なりの推理であることを先に断っておく。

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複数のストーリーラインの基礎

サブプロットを上手く使えない人は、
ワンシチュエーションもので練習するとよい。

ひとつの場面で、最低3人、出来れば5人程度がいるものを。

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2015年01月23日

ラストシーンを決めてから、オープニングを書くこと

当然なのだが、実際には難しい。

オープニングを書く→最後まで書く
→それを一番立たせるために、オープニングを書き直す

が現実的な段取りだ。

これをしないと、
最初のベクトルがラスト方向に正しく向かず、
ネジ曲がった話になる。
最初に期待したことと後半の流れが違う、
途中から変になった、という印象になってしまう。


と言うことで、てんぐ探偵のオープニング直してえ…。
(ミッドポイントの6集まで書き終えたら、やるかも知れません)
posted by おおおかとしひこ at 18:35| Comment(0) | TrackBack(0) | 脚本論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年01月22日

小説と映画の違い:地の文の強力さ

 そういえば冷蔵庫に肉があったはず、
 と文恵は台所へ立った。

たったこれだけのことが、映画では表現できない。

 文恵、突然立って台所へいく。
 冷蔵庫をあけ、肉を出す。

のように、現在起こることを逐次カメラで撮ることしか出来ない。
そういえば、のニュアンスは撮れない。

「そういえば肉があったはず」
 と、文恵は立って台所へ。

は、一人言の説明台詞であり下手くそな脚本だ。


つまり、地の文によくあるものは、映画表現に適さない。

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映画とドラマの違い3

ホームに対する考え方がまるで違う、
というのが前回までの話。

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リライトの基準

前の記事では、
ハリウッド的な三幕構成理論に基づいたリライトだ。

恐らく序破急理論によるリライトも出来るだろうし、
日本映画のハコガキの理論でのリライトも可能だろう。
様々に独自理論を持って、それによるリライトをすることも可能だ。

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2015年01月21日

リライトの実際(てんぐ探偵20話の例)

序破急の理論のところで、
20話「結婚の提案」(妖怪横文字)の
三幕構成図をせっかく作ったので、
これを利用して、リライトの方針の立て方について議論しよう。

以下、これを見ながら読まれたい。

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posted by おおおかとしひこ at 14:54| Comment(0) | TrackBack(0) | 脚本論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年01月20日

【追悼平井和正2】幻魔大戦の僕なりの総括

僕は以前に、
多彩なキャラクターを書くことは多重人格障害(現在の名は解離性同一障害)
に似ている、と書いた。
物語とは、その統合過程のようなものだと。

シャドウ(アンタゴニスト)の存在など、
僕は心理学にそこまで詳しくないが、
シャドウとのコンフリクトとアウフヘーベンという物語理論そのものが、
心理学的な統合過程であるような気がしている。

幻魔大戦とは、平井和正氏の中の人格分裂障害的なものであった、
と考えると納得がいくのだ。


その後、どうしても気になり、東丈失踪の理由や帰還の経緯などを調べまくり、
「幻魔大戦deep」「幻魔大戦deepトルテック」(公式的な完結編、電子書籍のみ)
のネタバレを知ってしまった。

以下は、脚本を長いこと書き、小説の走りのようなものを書いている僕なりの、
真相解明の議論である。
(以下ネタバレ)

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序破急2:2:1理論

「短編では、三幕構造は序破急の2:2:1にするとよい」
という僕独自の理論は、
どうやら、二時間映画にも適用出来るようである、という話。

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適切な脚本の分数

というのは、あるのだろうか。
僕はあると思う。

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映画とドラマの違い2:人物相関図

長く続くもの、ドラマには、
必ず人物相関図がついてまわる。

これは、ホームがベースになっているから、
と考えると理解できる。

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映画とドラマの違い

ドラマといっても最近10話とか8話とか短くなってきて、
長い間毎週毎週見るもの、という定型が崩れてきていて、
2クールや4クールという、基本型がなくなってきたけど。

単発と長い連続、という枠組みで見るならば、
ホームがあるかないか、というところだ。

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2015年01月19日

デジタルは人を幸せにしない:情報量

デジタルでいまのところ一番重いのは、映像だ。
非圧縮なら、
SDでさえ1フレームあたり、1Mあった。1秒で30Mである。
HDの数分なら、2桁から3桁Gはたたき出す。
それって、そこまで情報量ある?

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小説と映画の違い:妄想の客観性

まだ平井和正氏の死去がこたえている。

色々と考えるに、小説と映画の違いは、
一人称と三人称の違い、すなわち、
妄想爆発してもOKの世界と、
妄想に齟齬があれば穴だらけであり、きちんと整合性を取らない限り信用されない、
「変じゃね?」と突っ込まれない、
「変じゃない」客観的世界の差ではないかと思う。

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劇的文脈に、サブタイトルをつけよう

劇的文脈の話、つづき。

その劇的文脈にサブタイトルをつけることは、
よくやるリライトのテクニックである。
それを執筆中にも、活用できる。

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アイデアを練ること

結局、幻魔大戦は完結しなかった。

小説版幻魔大戦は、特異な物語だ。
月一冊出してたって。それで20巻まで出したって。
作者の平井和正自身、とりつかれたように書いていたそうだ。
アイデアが湧いて湧いてしょうがなかったのだろう。
そのような無敵状態は、一生に何度もない。
しかし、それ任せで書いていたからこそ、
完結できなかったのだろう。

アマチュアが、アイデアが湧いて書き始めるんですけど、
最後まで書けないんです、と言っているやつの、
物凄い版なだけだ。
幻魔大戦を例に、何故完結できないのかについて考えてみる。

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【追悼】平井和正氏天に昇る

大友克洋×キースエマーソンの映画版幻魔を中一で見て、
小説を中二で読んで、色々なものに傾倒して、
今このへんにいます。
80年代は超能力と気と新興宗教の時代だったとも思います。
何故僕が「てんぐ探偵」をとりつかれたように書いているのか、
幻魔を俺なりに完結させたいという思いなのかもなあ、
と気づきました。

あれほどの言霊の記録者として尊敬します。
惜しむらくは、言霊が完結する前に、
時代が変わってしまったことかなあ、と思っています。

丁度オウムから20年たちました。
彼らもまた幻魔の子らだと(やや上の世代の人達ですが)、
同世代感覚的に感じます。ムーとかも。
(ハルマゲドン思想/救世主思想そのものは、昔からあったのだろうけど、
80年代のキーワードは、覚醒だと思う)

僕らの世代は、幻魔の子らとして、
東丈をどこかに帰還させなければならないのです。
我らがてんぐ探偵シンイチがそうなるといいなあ、と、
無意識の僕が言っているようです。

掲示板の議論をめぐりました。
東丈ルキフェル説、三千子同体説が面白かったです。
東丈は悪魔側から人類覚醒を促す偽救世主であったと考えると、
「獣として帰還するかも」というあなたの構想とマッチするかもです。
その時人類の誰と闘うのか、三千子か郁恵かルナか、
はたまた由紀なのかソニーなのか、整理しきれませんけど。
(高鳥はかませだよね)
ひょっとすると幻魔大戦は、その開戦で完結したのではないか、
と、ようやく僕の想像力が追いつきました。


幻魔は、現代で言う心の闇かも知れません。
宇宙意識フロイは、我々の良心の名かも知れません。
シンイチがそれを全て決着させる人物として、
安易なスピリチュアルに流されずに地に足を着けて書けたらいいな、
と密やかな目標が出来ました。
(最終回は既に決まっているので、未完だけは避けたい)

肉体の平井和正様お疲れ様でした。
またひとつ昭和が終わって悲しいです。
フロイの加護のあらんことを。
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劇的文脈は、あとづけ

経験則的なこと。
執筆時に、大きな構造の劇的文脈を意識してはならない。
意識するのは、目の前の細かい劇的文脈だけがよい。

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2015年01月18日

ターニングポイント3:劇的文脈

ターニングポイントの話のつづき。

あるターニングポイントから、次のターニングポイントまでは、
同じ焦点を追いかける話である。
それを、劇的文脈という。

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posted by おおおかとしひこ at 21:29| Comment(0) | TrackBack(0) | 脚本論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

ターニングポイント2

映画にいくつターニングポイントがあればいいか、
について僕は明確な解答がわからない。

デカイのはひとけた個、
中くらいのはふたけた個、
細かいのはみけた個、ぐらいが妥当なところだと思う。
シナリオによるし、数え方にもよると思う。

しかし、その中で特別なものがあるのも確かだ。

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ターニングポイント(展開点)

ターニングポイントは、展開点と訳すと分かりやすい。
ここから以降、展開がある、ということである。

ターニングポイントは、
事件が起こる、ニュース、台詞、
何かを見る、何かを知る、知ってしまう、
何かのアクションをして意志を示す、
何かの(覆らない)結果や決定が出る、
小目標の達成、
などによって起こるパターンが多い。
(新しいターニングポイントのパターンを考えてもいい)

5分に一回と数えてもいいし、
1分に一回と数えてもいい。
(細かく数えたら140ぐらいあった、とかつて書いた脚本の話しはした)

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2015年01月17日

一人称は、三人称の3倍楽だ

小説版てんぐ探偵の、次に発表予定の第五集は、
いつもと違う小説的試みをやってみようと思って、
それまでシナリオと同じ三人称スタイルであったパターンを破って、
一人称スタイルで書くことに挑戦してみた。
(22話妖怪二番、24話妖怪半分こ)

これ、めっちゃ楽。
一人称、超楽。
普段の三人称スタイルの、3倍楽。(当社比)

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運命よ、道を開けよ

最近の僕の口癖のようなもの。

無理したって、周囲の状況が無理なときは、
何をやっても駄目なものだ。

しかしいざ噛み合う時が来ると、
偶然すら味方する。

最近、てんぐ探偵を書こうと近所のカフェに行くとき、
書く気まんまんのときほど、偶然にも席が空く。
ああこれは運命が俺に書けと言ってるのだな、
と思い、件の呪文を唱えて席につくようにしている。

小さな笑い話であるが、これがもう少し大きな話だとしたら。

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凄いってどういうことか

想像を上回った、その発想はなかった、
ということではないか。

つまり、見る側との相対関係で決まる。
自分がたいしたことなくても、見る人は凄いと言ったり、
あなたが渾身のことをしても、たいしたことないと言われることは、
よくある。
見る側の平均的教養や予測を、あなたは越えればいいし、
越えすぎても分からない扱いされる。

賞を取るものは、その年の他の作品より良かった、
というだけの話で、
それが凄いことかどうかは相対関係でしかない。

つまり、凄いと言われることを目的にしない方がいい。
一時の評価ではない、歴史的文脈で、
いいと思うこと、凄いと思うことをしよう。
その為には、古典の勉強は結局必須だ。
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紙芝居

映画の作劇をやりたければ、
紙芝居がいいトレーニングになる、という話。

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構成とストーリーの違い

同じストーリーでも、
構成を変えると違った物語に見える。

構成とは、ストーリーを見せる順番のことだ。

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説明のしかた2:誘導

説明のしかたについて、書いてみた。
だが、あれだけでは説明にならない。
何故か。

その説明を聞いてもらえるとは限らないからだ。

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憧れとなりきり2:男女差

登場人物への観客の態度は、憧れとなりきりの二種がある。
憧れは他者に対するもので、
なりきりは自分との一体化、すなわち感情移入だ。

男女で、憧れとなりきりの配分が変わってくるという仮説。
(以下の話は、統計的有意差があるという話であって、
個人の感想ではなく、集団としての感想の差だと思われたい)

例えば実写風魔の人物造形で。


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posted by おおおかとしひこ at 02:16| Comment(0) | TrackBack(0) | 脚本論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする