2015年01月20日

序破急2:2:1理論

「短編では、三幕構造は序破急の2:2:1にするとよい」
という僕独自の理論は、
どうやら、二時間映画にも適用出来るようである、という話。

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適切な脚本の分数

というのは、あるのだろうか。
僕はあると思う。

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posted by おおおかとしひこ at 17:29| Comment(0) | TrackBack(0) | 脚本論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

映画とドラマの違い2:人物相関図

長く続くもの、ドラマには、
必ず人物相関図がついてまわる。

これは、ホームがベースになっているから、
と考えると理解できる。

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映画とドラマの違い

ドラマといっても最近10話とか8話とか短くなってきて、
長い間毎週毎週見るもの、という定型が崩れてきていて、
2クールや4クールという、基本型がなくなってきたけど。

単発と長い連続、という枠組みで見るならば、
ホームがあるかないか、というところだ。

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posted by おおおかとしひこ at 13:15| Comment(0) | TrackBack(0) | 脚本論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年01月19日

デジタルは人を幸せにしない:情報量

デジタルでいまのところ一番重いのは、映像だ。
非圧縮なら、
SDでさえ1フレームあたり、1Mあった。1秒で30Mである。
HDの数分なら、2桁から3桁Gはたたき出す。
それって、そこまで情報量ある?

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posted by おおおかとしひこ at 18:41| Comment(0) | TrackBack(0) | 脚本論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

小説と映画の違い:妄想の客観性

まだ平井和正氏の死去がこたえている。

色々と考えるに、小説と映画の違いは、
一人称と三人称の違い、すなわち、
妄想爆発してもOKの世界と、
妄想に齟齬があれば穴だらけであり、きちんと整合性を取らない限り信用されない、
「変じゃね?」と突っ込まれない、
「変じゃない」客観的世界の差ではないかと思う。

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posted by おおおかとしひこ at 17:15| Comment(0) | TrackBack(0) | 脚本論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

劇的文脈に、サブタイトルをつけよう

劇的文脈の話、つづき。

その劇的文脈にサブタイトルをつけることは、
よくやるリライトのテクニックである。
それを執筆中にも、活用できる。

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アイデアを練ること

結局、幻魔大戦は完結しなかった。

小説版幻魔大戦は、特異な物語だ。
月一冊出してたって。それで20巻まで出したって。
作者の平井和正自身、とりつかれたように書いていたそうだ。
アイデアが湧いて湧いてしょうがなかったのだろう。
そのような無敵状態は、一生に何度もない。
しかし、それ任せで書いていたからこそ、
完結できなかったのだろう。

アマチュアが、アイデアが湧いて書き始めるんですけど、
最後まで書けないんです、と言っているやつの、
物凄い版なだけだ。
幻魔大戦を例に、何故完結できないのかについて考えてみる。

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posted by おおおかとしひこ at 12:53| Comment(0) | TrackBack(0) | 脚本論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

【追悼】平井和正氏天に昇る

大友克洋×キースエマーソンの映画版幻魔を中一で見て、
小説を中二で読んで、色々なものに傾倒して、
今このへんにいます。
80年代は超能力と気と新興宗教の時代だったとも思います。
何故僕が「てんぐ探偵」をとりつかれたように書いているのか、
幻魔を俺なりに完結させたいという思いなのかもなあ、
と気づきました。

あれほどの言霊の記録者として尊敬します。
惜しむらくは、言霊が完結する前に、
時代が変わってしまったことかなあ、と思っています。

丁度オウムから20年たちました。
彼らもまた幻魔の子らだと(やや上の世代の人達ですが)、
同世代感覚的に感じます。ムーとかも。
(ハルマゲドン思想/救世主思想そのものは、昔からあったのだろうけど、
80年代のキーワードは、覚醒だと思う)

僕らの世代は、幻魔の子らとして、
東丈をどこかに帰還させなければならないのです。
我らがてんぐ探偵シンイチがそうなるといいなあ、と、
無意識の僕が言っているようです。

掲示板の議論をめぐりました。
東丈ルキフェル説、三千子同体説が面白かったです。
東丈は悪魔側から人類覚醒を促す偽救世主であったと考えると、
「獣として帰還するかも」というあなたの構想とマッチするかもです。
その時人類の誰と闘うのか、三千子か郁恵かルナか、
はたまた由紀なのかソニーなのか、整理しきれませんけど。
(高鳥はかませだよね)
ひょっとすると幻魔大戦は、その開戦で完結したのではないか、
と、ようやく僕の想像力が追いつきました。


幻魔は、現代で言う心の闇かも知れません。
宇宙意識フロイは、我々の良心の名かも知れません。
シンイチがそれを全て決着させる人物として、
安易なスピリチュアルに流されずに地に足を着けて書けたらいいな、
と密やかな目標が出来ました。
(最終回は既に決まっているので、未完だけは避けたい)

肉体の平井和正様お疲れ様でした。
またひとつ昭和が終わって悲しいです。
フロイの加護のあらんことを。
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劇的文脈は、あとづけ

経験則的なこと。
執筆時に、大きな構造の劇的文脈を意識してはならない。
意識するのは、目の前の細かい劇的文脈だけがよい。

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posted by おおおかとしひこ at 01:02| Comment(0) | TrackBack(0) | 脚本論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年01月18日

ターニングポイント3:劇的文脈

ターニングポイントの話のつづき。

あるターニングポイントから、次のターニングポイントまでは、
同じ焦点を追いかける話である。
それを、劇的文脈という。

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posted by おおおかとしひこ at 21:29| Comment(0) | TrackBack(0) | 脚本論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

ターニングポイント2

映画にいくつターニングポイントがあればいいか、
について僕は明確な解答がわからない。

デカイのはひとけた個、
中くらいのはふたけた個、
細かいのはみけた個、ぐらいが妥当なところだと思う。
シナリオによるし、数え方にもよると思う。

しかし、その中で特別なものがあるのも確かだ。

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posted by おおおかとしひこ at 16:42| Comment(0) | TrackBack(0) | 脚本論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

ターニングポイント(展開点)

ターニングポイントは、展開点と訳すと分かりやすい。
ここから以降、展開がある、ということである。

ターニングポイントは、
事件が起こる、ニュース、台詞、
何かを見る、何かを知る、知ってしまう、
何かのアクションをして意志を示す、
何かの(覆らない)結果や決定が出る、
小目標の達成、
などによって起こるパターンが多い。
(新しいターニングポイントのパターンを考えてもいい)

5分に一回と数えてもいいし、
1分に一回と数えてもいい。
(細かく数えたら140ぐらいあった、とかつて書いた脚本の話しはした)

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posted by おおおかとしひこ at 14:58| Comment(0) | TrackBack(0) | 脚本論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年01月17日

一人称は、三人称の3倍楽だ

小説版てんぐ探偵の、次に発表予定の第五集は、
いつもと違う小説的試みをやってみようと思って、
それまでシナリオと同じ三人称スタイルであったパターンを破って、
一人称スタイルで書くことに挑戦してみた。
(22話妖怪二番、24話妖怪半分こ)

これ、めっちゃ楽。
一人称、超楽。
普段の三人称スタイルの、3倍楽。(当社比)

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posted by おおおかとしひこ at 22:10| Comment(0) | TrackBack(0) | 脚本論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

運命よ、道を開けよ

最近の僕の口癖のようなもの。

無理したって、周囲の状況が無理なときは、
何をやっても駄目なものだ。

しかしいざ噛み合う時が来ると、
偶然すら味方する。

最近、てんぐ探偵を書こうと近所のカフェに行くとき、
書く気まんまんのときほど、偶然にも席が空く。
ああこれは運命が俺に書けと言ってるのだな、
と思い、件の呪文を唱えて席につくようにしている。

小さな笑い話であるが、これがもう少し大きな話だとしたら。

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凄いってどういうことか

想像を上回った、その発想はなかった、
ということではないか。

つまり、見る側との相対関係で決まる。
自分がたいしたことなくても、見る人は凄いと言ったり、
あなたが渾身のことをしても、たいしたことないと言われることは、
よくある。
見る側の平均的教養や予測を、あなたは越えればいいし、
越えすぎても分からない扱いされる。

賞を取るものは、その年の他の作品より良かった、
というだけの話で、
それが凄いことかどうかは相対関係でしかない。

つまり、凄いと言われることを目的にしない方がいい。
一時の評価ではない、歴史的文脈で、
いいと思うこと、凄いと思うことをしよう。
その為には、古典の勉強は結局必須だ。
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紙芝居

映画の作劇をやりたければ、
紙芝居がいいトレーニングになる、という話。

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構成とストーリーの違い

同じストーリーでも、
構成を変えると違った物語に見える。

構成とは、ストーリーを見せる順番のことだ。

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説明のしかた2:誘導

説明のしかたについて、書いてみた。
だが、あれだけでは説明にならない。
何故か。

その説明を聞いてもらえるとは限らないからだ。

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posted by おおおかとしひこ at 02:32| Comment(0) | TrackBack(0) | 脚本論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

憧れとなりきり2:男女差

登場人物への観客の態度は、憧れとなりきりの二種がある。
憧れは他者に対するもので、
なりきりは自分との一体化、すなわち感情移入だ。

男女で、憧れとなりきりの配分が変わってくるという仮説。
(以下の話は、統計的有意差があるという話であって、
個人の感想ではなく、集団としての感想の差だと思われたい)

例えば実写風魔の人物造形で。


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posted by おおおかとしひこ at 02:16| Comment(0) | TrackBack(0) | 脚本論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

精神年齢の書き分け

あなたの精神年齢はいくつぐらいだろう。
それは自覚した方がいい。

何歳ぐらいの人物を楽に書けるか、想像してみるとよい。

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2015年01月16日

憧れるのか、なりきるのか

感情移入の話。

なりきるのが正しい。
憧れさせるのは、間違い。

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説明のしかた

まず全体をうつす。
その部分をうつし、それぞれが全体のどの部分かわかるようにする。
それぞれの部分がどのように機能しているかわかるようにする。
例外的なものがあれば随時か、最後につけ加える。
最後に全体をうつし、サマリーとする。

僕はそれしかないと思う。

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2015年01月15日

自動書記

僕は、すべからく文章や芸術というのは、
自動書記的につくるものだと思っている。
(バブル時代のCM業界のエピソードで、
高級レストランで名案を思いつき、
布ナプキンに彼女の口紅を借りて書き記し、
このナプキンを買い取らせてくれ、というのを聞いたことがある。
僕の紙ナプキンライティングメソッドは、それを意識している)


つまり、集中力の保たれた状態で一気につくり、
あとから考えて、どうしてこうしたか理屈は通らなくても、
不思議といいものだ、みたいになっていることが理想だと。

プロは、それをコントロールできる人のことだと思っている。

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没頭するのはいつか

問題が起こって、それに主人公が動き始め、
なんらかの展開を見せたとき。

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2015年01月14日

強いプロットと弱いプロット

弱いプロットというワードで、
ここにたどり着いた人がいるようで、
面白い言葉だと思ったので書いてみる。

強い弱いがプロットにあるかどうか。

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メイキングとオフショット

ずっと前の議論を蒸し返すようだけど。

ハリウッドのメイキングは、業界を目指す人むけだ。
俳優もスタッフ扱いし、
「このスタッフがこの作品を作る上で、
何をどのように考え、どのような工夫をしたか」
というプレゼンテーションと、そのドキュメンタリーだ。

日本のメイキングは、芸能人ファン向けの、
ファンサービスである。
芸能人が本番以外どういう顔をしているかの、
オフショット集でしかない。

ハリウッドと日本のそれは、用途が違う。
ハリウッドのメイキングは、業界を志す人達を増やし、
業界に憧れる人を増やすため。
日本のオフショット集は、本編のオマケ(つまりサービス)として、
本編の売り上げを増やす道具として。

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2015年01月13日

強調する所を変える

平凡なプロットも、書き方次第で面白くなる3。

ストーリー要素の、どこを強調するかで、
見た目の印象は大きく変わる。

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象徴主義の利用

平凡なプロットを、書き方次第で面白くする方法その2。
前の記事のネタが、場面と場面の繋がり、
つまり構造的なネタだとしたら、
今回は一場面程度またはワンアイデアの方法。

象徴主義を利用してみるやり方。

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posted by おおおかとしひこ at 09:42| Comment(0) | TrackBack(0) | 脚本論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年01月12日

平凡なプロットも、書き方次第で面白くなる

いわばガワだけを変えてみる方法。

アットランダムに書いてみる。

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posted by おおおかとしひこ at 23:05| Comment(0) | TrackBack(0) | 脚本論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする