2015年01月03日

視覚、聴覚、それ以外

映像は視覚と聴覚のメディアだ。
だからそれ以外の五感のうち三感は直接表現出来ない。
間接表現になる。

具体的に考えよう。

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posted by おおおかとしひこ at 23:51| Comment(0) | TrackBack(0) | 脚本論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

デジタルは人を幸せにしない:入手可能性

京都の禅寺だったか宿だったか、京都じゃなかったかもだが、
の曖昧な話。

冬場のとても寒いとき、玄関から入っても暖かくなく、
しかも一端外に出てとても寒いところを通らなければならない構造になっていて、
寒さが身に染みたタイミングで風呂にたどり着くという話。

単なる風呂よりも、有り難みを味わうことが出来るという構造。
最初聞いたときは、恩着せがましい話だと思った。
「有り難い(滅多にないこと)」を体験することが重要なのだ、
ということは理解できるが、
さっさと風呂沸かしたらええやん。

ところが、デジタル時代になり、さらに有り難さは、
薄れてきてしまった。

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posted by おおおかとしひこ at 13:54| Comment(0) | TrackBack(0) | 脚本論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

国語の客観試験が日本人を馬鹿にしているのではないか

客観試験とは、
「本文に書いてあること」に基づいたことが正解、
と考える国語試験独自の方法論である。

マークテストの選択肢式では、
本文に書いてないことを選んだら×だ。
世間の常識で正しいが、本文には書いてないこと、
というミスリード選択肢がよくある。
それは×だ。
何故なら、本文こそが金科玉条だからだ。

これが馬鹿を生むのではないか。
「人は表現において間違う」ことを教えないからだ。

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posted by おおおかとしひこ at 13:51| Comment(0) | TrackBack(0) | 脚本論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

意味ありげな音楽

最近の映画に増えた音楽のジャンルを、
何と言っていいか分からないが、こう名付けてみる。
伝統的オーケストラでもない、
さりとて劇伴と呼ばれる従来の作曲法でもない、
きちんとした楽譜のないような、絵にあわせて鳴る、
ミニマルとかアンビエントとか呼ばれるジャンルに近い感じだ。

ME(音楽を効果音がわりに使うこと)的に、
ミニマル音楽を使うとでも言えばいいのだろうか。

不穏や進行の代わりになるこの音楽。
偶然か必然か、ゴーンガールもインターステラーもそうだった。


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posted by おおおかとしひこ at 11:39| Comment(0) | TrackBack(0) | 脚本論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

後半は対決

ゴーンガールについては、対して書くことがないのだが、
(ヒリヒリするけど、結局なんやねん、
という、インターステラーと同じハッタリ作だ)
構成のパターンにははまっていた。

「問題を解決する」という過程において、
後半は対決になる、というよくあるパターンだ。

(以下ゴーンガールネタバレ)

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posted by おおおかとしひこ at 02:31| Comment(0) | TrackBack(0) | 脚本論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

モンタージュ効果を久しぶりに見た

ということで、「ゴーンガール」批評。
と思ったのだが、対して書くことがない、
脚本的にはごく普通の悪女ものだった。
デビッドフィンチャーはゲイなのだろうか。
いつも男を撮るのが上手くて、女は奇形ばかりだよね。
或いはノーマルでは興奮しないタイプかも。
ヒロインの尻のたるみ具合には、お父さん興奮しないぜこれ、
のニュアンスが漂っていた。
10年前なら、ニコールキッドマンがいたのにねえ。

以下ネタバレあります。

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posted by おおおかとしひこ at 00:45| Comment(0) | TrackBack(0) | 脚本論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする