2015年01月19日

デジタルは人を幸せにしない:情報量

デジタルでいまのところ一番重いのは、映像だ。
非圧縮なら、
SDでさえ1フレームあたり、1Mあった。1秒で30Mである。
HDの数分なら、2桁から3桁Gはたたき出す。
それって、そこまで情報量ある?

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posted by おおおかとしひこ at 18:41| Comment(0) | TrackBack(0) | 脚本論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

小説と映画の違い:妄想の客観性

まだ平井和正氏の死去がこたえている。

色々と考えるに、小説と映画の違いは、
一人称と三人称の違い、すなわち、
妄想爆発してもOKの世界と、
妄想に齟齬があれば穴だらけであり、きちんと整合性を取らない限り信用されない、
「変じゃね?」と突っ込まれない、
「変じゃない」客観的世界の差ではないかと思う。

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posted by おおおかとしひこ at 17:15| Comment(0) | TrackBack(0) | 脚本論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

劇的文脈に、サブタイトルをつけよう

劇的文脈の話、つづき。

その劇的文脈にサブタイトルをつけることは、
よくやるリライトのテクニックである。
それを執筆中にも、活用できる。

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posted by おおおかとしひこ at 15:19| Comment(0) | TrackBack(0) | 脚本論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

アイデアを練ること

結局、幻魔大戦は完結しなかった。

小説版幻魔大戦は、特異な物語だ。
月一冊出してたって。それで20巻まで出したって。
作者の平井和正自身、とりつかれたように書いていたそうだ。
アイデアが湧いて湧いてしょうがなかったのだろう。
そのような無敵状態は、一生に何度もない。
しかし、それ任せで書いていたからこそ、
完結できなかったのだろう。

アマチュアが、アイデアが湧いて書き始めるんですけど、
最後まで書けないんです、と言っているやつの、
物凄い版なだけだ。
幻魔大戦を例に、何故完結できないのかについて考えてみる。

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posted by おおおかとしひこ at 12:53| Comment(0) | TrackBack(0) | 脚本論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

【追悼】平井和正氏天に昇る

大友克洋×キースエマーソンの映画版幻魔を中一で見て、
小説を中二で読んで、色々なものに傾倒して、
今このへんにいます。
80年代は超能力と気と新興宗教の時代だったとも思います。
何故僕が「てんぐ探偵」をとりつかれたように書いているのか、
幻魔を俺なりに完結させたいという思いなのかもなあ、
と気づきました。

あれほどの言霊の記録者として尊敬します。
惜しむらくは、言霊が完結する前に、
時代が変わってしまったことかなあ、と思っています。

丁度オウムから20年たちました。
彼らもまた幻魔の子らだと(やや上の世代の人達ですが)、
同世代感覚的に感じます。ムーとかも。
(ハルマゲドン思想/救世主思想そのものは、昔からあったのだろうけど、
80年代のキーワードは、覚醒だと思う)

僕らの世代は、幻魔の子らとして、
東丈をどこかに帰還させなければならないのです。
我らがてんぐ探偵シンイチがそうなるといいなあ、と、
無意識の僕が言っているようです。

掲示板の議論をめぐりました。
東丈ルキフェル説、三千子同体説が面白かったです。
東丈は悪魔側から人類覚醒を促す偽救世主であったと考えると、
「獣として帰還するかも」というあなたの構想とマッチするかもです。
その時人類の誰と闘うのか、三千子か郁恵かルナか、
はたまた由紀なのかソニーなのか、整理しきれませんけど。
(高鳥はかませだよね)
ひょっとすると幻魔大戦は、その開戦で完結したのではないか、
と、ようやく僕の想像力が追いつきました。


幻魔は、現代で言う心の闇かも知れません。
宇宙意識フロイは、我々の良心の名かも知れません。
シンイチがそれを全て決着させる人物として、
安易なスピリチュアルに流されずに地に足を着けて書けたらいいな、
と密やかな目標が出来ました。
(最終回は既に決まっているので、未完だけは避けたい)

肉体の平井和正様お疲れ様でした。
またひとつ昭和が終わって悲しいです。
フロイの加護のあらんことを。
posted by おおおかとしひこ at 03:00| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

劇的文脈は、あとづけ

経験則的なこと。
執筆時に、大きな構造の劇的文脈を意識してはならない。
意識するのは、目の前の細かい劇的文脈だけがよい。

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posted by おおおかとしひこ at 01:02| Comment(0) | TrackBack(0) | 脚本論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする