2015年03月31日

感情移入のみっつの関門

感情移入には、みっつ関門がある。

第一幕、第二幕、第三幕それぞれにである。

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posted by おおおかとしひこ at 21:49| Comment(0) | TrackBack(0) | 脚本論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

高見の見物

物語というのは、
そもそも高見の見物が前提である。
遊園地やスリルのある娯楽と違い、
決して危害を加えず、登場人物がいかに右往左往しようが、
あなたの人生には関係ない。

にも関わらず、
良くできた物語は、あなたの心の一番深い所を巻き込む。
高見の見物だったはずの物語世界と同じ地平に立ち、
登場人物達の喜びや悲しみを我が事のように感じ、
深い繋がりを得る。

感情移入によってだ。

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posted by おおおかとしひこ at 13:28| Comment(0) | TrackBack(0) | 脚本論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年03月30日

「正しい」と「面白い」はちがう

リライトの話でも出てきたけど。
「正しい」というのは、理論的に正しいこと。(客観的)
「面白い」というのは、主観的に面白いこと。

正しくても詰まらないのはあるし、
正しくないけど、面白いのもある。

最悪は正しくなく詰まらないもの。
最良は正しく面白いもの。

名作は、正しくて、面白い。
(逆に、名作に共通のものを抽出して理論化したものが、理論だ)

一時のものは、面白いかも知れないが、正しくない。

楷書が書けても、実戦は行書や草書。
ここでは主に楷書のことについて、書いているようなものだ。

何故面白いのかは、「才能」以外で説明する言葉がない。
ただ、単に面白いと思考停止せずに、
そこには一定の理論が一部含まれている、という話なのだ。
理論を勉強することは、
理論の限界と実戦の神秘の、境界を見極めることでもあるのだ。
posted by おおおかとしひこ at 15:13| Comment(0) | TrackBack(0) | 脚本論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

練ることは、身体で語ること

僕が(時代錯誤にも)手書きを推奨しているのは、
身体に覚えさせるためだ。

話を練るということは、どのようなことか。
僕は、ただ話をややこしくすることではないと考える。
「身体で語ったときに、気持ちよくなること」
が基準だと考えている。

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posted by おおおかとしひこ at 12:21| Comment(0) | TrackBack(0) | 脚本論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

大塚家具の争い3

この話が恐ろしいのは、
「(現実と違う)物語的なものの一人歩き」
のような気がしてならない。

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posted by おおおかとしひこ at 11:10| Comment(0) | TrackBack(0) | 脚本論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

【てんぐニュース】リニューアルと第七集

その1。
四月最初の週末に、
第一集から三集のリライト版をアップする目処がつきました。

その意図は、天狗=炎とちゃんと位置づける為です。
その為にエピソード構成も変えます。
各エピソードの大枠は同じですが、より良くなってると思います。
小説の書き方が、最初に比べて、僕の思いに大分追いついてきたのもあります。
(リライトの勉強の為に、旧バージョンを残すかどうかは考え中)
四集〜六集は手を入れないと思います。

その2。
遠野SOS後、シンイチ東京帰還後の第七集ですが、
四月中旬目処に仕上げていきます。
がんばります。
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尋常じゃない思い

登場人物には、
尋常じゃない思いがある。

だから切実だし、
ちょっとしたことじゃ折れないし、
最後までそれを遂行しようとするし、
多少の反対には挫けない。


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posted by おおおかとしひこ at 00:02| Comment(0) | TrackBack(0) | 脚本論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年03月29日

人は、自分を圧倒する人を好きになる(仮説)

ただの威圧とは違う。
自分の好ましい方向でだ。
しかも、既に分かっていることのジャンルで圧倒するのではなく、
自分でも気づかなかった、
「自分はこのことについて圧倒されると好きになることを知らなかった」
という、「新しい発見」こそが、
人が人を好きになる瞬間ではないか。

いわゆるギャップとかも、そのことを言っているような気がする。
例えばイケメンは、大抵姉がいる。
姉のツボを良く知っていて、それを内面化していて、
それを他の女の前でやることで、
「そういう事に素敵と思える私」を気づかせる力に、
長けているのではないだろうか。

だから即モテるかどうかは知らない。
物語に応用できそうな、人を好きになる瞬間の話。
posted by おおおかとしひこ at 16:03| Comment(0) | TrackBack(0) | 脚本論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

大塚家具の争い2

この現実が何故物語的だったのか、
の解説その2。

脚本家は、この現実から物語特有の要素を見いだし、
自作の参考にするべきだ。
あの話は、なぜ物語的だったのか?

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posted by おおおかとしひこ at 14:24| Comment(0) | TrackBack(0) | 脚本論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

映画監督になるためには、何を勉強すればいいですか?

映画監督には、二種類のタイプがあります。
新しいタイプと、古いタイプです。
どちらになりたいか、どちらが向いてるかを考えて、
勉強することを変えていきましょう。

新しいタイプは、脚本が既にあるものを監督するタイプ、
古いタイプは、脚本も書き、自分で監督するタイプです。

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posted by おおおかとしひこ at 13:26| Comment(0) | TrackBack(0) | 脚本論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

王道には時間がかかる

それは、過去のものを継承して発展させるからである。
過去のものを全無視した覇道のほうが、
時間がかからない。即効性がある。

王道と覇道は、人類の発展の二つの形式だ。

分かりやすいキャラ立てで、パッと目立つものを作るのが覇道だ。
王道は中身を作る。
それがどんな意味があるか、それがどんな意味を人類にもたらすか。
それが歴史的に見てどんな意義があるか。

覇道は才能だが、
王道は過去も学んだ上での知性と才能だ。
覇道は原理から変えること、
王道は全てを踏まえた上での更新。
覇道は即効性があり、広まったら即消える。
王道は広まっても味あわれ、歴史に刻まれる。

大きい器にはな、水を貯めるのに時間がかかるんや。
(映画「いけちゃんとぼく」の台詞から。
これは僕の書いた台詞の中でもかなり上位ランクだろう)

コツコツやっていきましょう。
posted by おおおかとしひこ at 12:32| Comment(0) | TrackBack(0) | 脚本論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

「○○向け」と世界を狭くするな

これは女同士しか共感できないとか、
モテナイ男にしか分からないとか、
関西人にしかわからんやろこれとか、
日本人しか分からない感覚とか、
沖縄人しか分からない感覚とか、
極論すれば俺しか分からないものとか、
そういうものが沢山世の中にはある。

しかし、それをなるべくわかろうとする話と、
分からない人は見なくていいです、と拒否する話がある。

僕は、前者を書くべきだと思う。

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posted by おおおかとしひこ at 12:23| Comment(0) | TrackBack(0) | 脚本論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

乱暴なリライト3

更に深く考える。
「人は、途中なんかどうでもいい。
(展開が、矛盾やおかしなところや齟齬がない限り)
スムーズに無理なく流れれば流れるほどそれは忘れてしまい、
頭とケツだけを覚える」

と言えないか。

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posted by おおおかとしひこ at 10:07| Comment(0) | TrackBack(0) | 脚本論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

リライトの方法論2

テーマが確定したら、具体的に話を直す。

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posted by おおおかとしひこ at 02:25| Comment(0) | TrackBack(0) | 脚本論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

リライトの方法論

1. 思い入れをなくしたほどに、昔の作品をやるのがいい。
そうでないと目が曇るからである。それほど、客観性を得ることは難しい。
(書いてから発表までに恐ろしく時間がかかるのは、そのためだ)

2. まずメモを封じる。そして、一気読みをする。

出来のいい所や悪い所があるのは当然だ。
あなたのこれからやることは、これをいいものにすることだ。
この第一印象は、これからリライトする上での基準になる。
ここからは、少なくともよくすること。
メモを禁じたのは、小にとらわれ大を見落とすことを避ける為だ。

リライトも、書くこと同様、大きなことからはじめて細かくへ至るからだ。
まず大きなことから手をつける。テーマからである。

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posted by おおおかとしひこ at 01:13| Comment(0) | TrackBack(0) | 脚本論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年03月28日

大塚家具の争いは、とても物語的だった

前の記事でいうところの、誇張と省略がよく効いた、
物語的なドラマチックさがあった。
映画化決定というネットの書き込みも一杯見た。
これを分析してみよう。

「何が」現実を物語的に変えるのか。

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posted by おおおかとしひこ at 22:27| Comment(0) | TrackBack(0) | 脚本論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

事実と誇張と省略

物語は、事実の記録から始まったかも知れない。
それが、いずれ尾ひれ端ひれがついてゆく。

物語的な誇張と省略によってである。

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posted by おおおかとしひこ at 20:24| Comment(0) | TrackBack(0) | 脚本論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

【二周年のごあいさつ】脚本添削スペシャル、やるよ!

いつも読んでくれて有り難うございます。

二年もよく毎日毎日書いたなあ、と不思議に思います。
最初は、「ガッチャマン実写化」への僕の思いをどこかに吐き出すことでした。
消えてしまう惜しいものを吐き出して、
褒められたいというか、仕事が欲しいというか(笑)。

そのうち、脚本について考えていること、
教えられそうなことについて、ずっと書いて現在に至ります。
(最新は、ストーリーは要るの?という極端なことを考えていますが)
「語り尽くすまで」は書いていこうと思いますので、
このような辺境の縁側にも、ときどきお越し下さい。

現在一日250から300人、1000から1300ぐらいのアクセスがあります。
うち検索でたどり着くご新規さんが30人ぐらい。
人数しか分からないので、入れ替わってるのか、
レギュラーが脱落しないのかは分かりません。
減らないってことは、それなりに楽しんで頂けているのでしょう。


はじめた頃は、まさか自分が小説書くなんて、おそれ多くて出来ませんでした。
ちょっとは上手くなったのかなあ、とにかく必死でやってます。
それは、僕の生涯のテーマのひとつ、「物語とは何か」に向き合うためかもなあ。


そもそも僕は、絵を描くのは得意だけどストーリーは苦手だったんですね。
でも肩の脱臼癖が弱点だった千代の富士が、異常に肩の筋肉を鍛えたように、
努力して鍛えたことだけはほんとです。
千代の富士は横綱になったけど、俺はどうだろうね。

かつて書けなかった俺が書けるようになったやり方、
どう考えれば脚本が書けて、
何を書いたらストーリーを書いたことになるのか、
そんなことを、つらつらと、書いていこうと思います。



ということで春恒例の、
「脚本添削スペシャル2015」開催!
告知を待て!
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2015年03月27日

過去を書いている、という意識

そう思うとうまくいく、という経験則。

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posted by おおおかとしひこ at 15:23| Comment(0) | TrackBack(0) | 脚本論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

巨視的に見てみる

まさかだけど。

映画や映像から、ストーリーが消えること。
(もうCMやPVはそうなっているし、ドラマも半ば、日本映画も半ば)

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posted by おおおかとしひこ at 12:07| Comment(0) | TrackBack(0) | 脚本論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

語り尽くした時に、物語は終わる

「そのこと」について、語る。

そこから考えられること、
その反論、その反論、
付帯する問題についても語る。
語り尽くして、結論が出るとき、
最初の問題をもう一度語り、
それを結論に結びつけて終える。

物語でも、エッセイでも、論文でも、記憶でも、
人の「理解」とは、
そういう形をしているのかも知れない。
posted by おおおかとしひこ at 10:23| Comment(0) | TrackBack(0) | 脚本論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

乱暴なリライト2

このやり方から分かることは、
「最初に語られたことと関係して話が終われば、
人は最初から最後まで見た意味を理解する」
ということだ。

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posted by おおおかとしひこ at 09:08| Comment(0) | TrackBack(0) | 脚本論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

乱暴なリライト

ファーストシーンをチェックしろ。
クライマックスをチェックしろ。
ファーストシーンのことが使われていないなら、
そのファーストシーンは落としても構わない。

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2015年03月26日

物語を俯瞰する、気持ちの方程式

ある人物が、ある気持ちPから、ある気持ちQへ変化したとする。
性格や人生観が180度変わってもいいし、
思っていたことが変わってもいいし、
気分が変わってもいい。
その変化をRとする。数学的には、Q=R(P)などと書けるだろう。

Rには何が必要か。
X:自分の行動による、状況の変化
Y:他人の行動による、状況の変化
Z:場の変化(特定の人によらないもの)
だと思う。

これをもう少し詳しく見てみよう。

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映画と小説の違い:場面しかない

小説を物真似ながら書きはじめて、
今さら入門的なものを読んでいる。

なかなかに面白いここのサイトのこの記事
「読書猿」
2013.10.12 物語は作れたがどんな文章で小説にしていいか分からない人のための覚書
(リンクの張り方がわからんので、記事名でググってください)
によれば、
説明、場面、描写のみっつが小説にはあるそうだ。

しかし映画には、場面しかない。
逆にいうと、小説の説明と描写に当たることは、
映画には出来ない。

映画脚本とは、場面だけで物語を成立させる技術だ。
小説とは、説明、場面、描写によって物語を成立させる技術だ。

映画には描写はない。だって撮るだけですもの。
(正確には、監督の独特の映像センスこそが、
描写に当たる。脚本にそれは書かれない。
ちょっとだけ書かれることはある)
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2015年03月25日

AとはBである2

そのテーマが、
全く新しく、斬新で、世界を一言で変えられる、
誰もが驚愕し、度肝を抜かれ、
全員が熱狂的に賛成し、
皆がそれに倣うようのは、理想である。
理想だが、多分ない。

じゃあ現実にありそうな「AとはBである」テーマって?

それは、
「現実でも揺れていること」の中にある。

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posted by おおおかとしひこ at 19:13| Comment(0) | TrackBack(0) | 脚本論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

AとはBである

テーマはテーゼの形で書ける
(テーマはひとつでなく複数あることもあり、
むしろそれがポピュラーだ)
と書いた。

つまり、

 AとはBである

という形で書けるということだ。

これには、簡単に反論することができる。

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posted by おおおかとしひこ at 16:45| Comment(0) | TrackBack(0) | 脚本論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

冒頭とは、結論の別の形である

冒頭に、既に結論が暗示されていること。
冒頭に結論を示し、結論で同じことを繰り返す(または言い換える)こと。

これは、全ての「人が言うこと」に共通する、
優れた型のひとつである。

この型に嵌まっている必然性はないが、
優れた話は、おそらく全てこの型に書き直せる。
(それがベストの表現形式かどうかは別の話)

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posted by おおおかとしひこ at 14:39| Comment(0) | TrackBack(0) | 脚本論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

ポピュラースタート、レアエンド

逆はある?
ポピュラーなスタートではじまり、
レアなエンドになる話。

まどマギや、エヴァがそうだったような気がする。
ポピュラーなスタートは、
ポピュラーなエンドを期待する(あるいはレアを忌避する)
スポンサーを騙すことができる。
そこでレアエンドにすることで作家性を出す、戦略なのではないだろうか。
これらの作品が持つ、「先行作品を踏まえた感じ」
(つまり80年代から直結するパロディの感覚)は、
ポピュラーなスタートゆえ、先行作品との違いを、
レアエンドに持っていく無意識が働くのではないだろうか。

レアエンド(バッドエンドやビターな結末、大団円にならないもの)は、
全てカウンターカルチャーであるような気がするのは、
ポピュラースタートだからかも知れない。

もしあなたがこういうことをしたいのなら、
ポピュラースタートレアエンドを狙うといい。

レアスタートレアエンドはカルト作品に、
ポピュラースタートポピュラーエンドは、凡庸な作品に、
レアスタートポピュラーエンドは、名作に、
それぞれなるであろう。
posted by おおおかとしひこ at 12:59| Comment(0) | TrackBack(0) | 脚本論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

十発のパンチ2

十発のパンチの話、続き。
十発というのはものの例えで、実際の10ではないことに注意。

二三発、いいのを打って、あとは考えようと思っても、
十発のパンチは打てない。

九発を十発と思い込むと足りない。
十一発を十発と思い込み、悩む。

よくある話だ。

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posted by おおおかとしひこ at 12:42| Comment(0) | TrackBack(0) | 脚本論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする