2015年03月31日

感情移入のみっつの関門

感情移入には、みっつ関門がある。

第一幕、第二幕、第三幕それぞれにである。

続きを読む
posted by おおおかとしひこ at 21:49| Comment(0) | TrackBack(0) | 脚本論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

高見の見物

物語というのは、
そもそも高見の見物が前提である。
遊園地やスリルのある娯楽と違い、
決して危害を加えず、登場人物がいかに右往左往しようが、
あなたの人生には関係ない。

にも関わらず、
良くできた物語は、あなたの心の一番深い所を巻き込む。
高見の見物だったはずの物語世界と同じ地平に立ち、
登場人物達の喜びや悲しみを我が事のように感じ、
深い繋がりを得る。

感情移入によってだ。

続きを読む
posted by おおおかとしひこ at 13:28| Comment(0) | TrackBack(0) | 脚本論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年03月30日

「正しい」と「面白い」はちがう

リライトの話でも出てきたけど。
「正しい」というのは、理論的に正しいこと。(客観的)
「面白い」というのは、主観的に面白いこと。

正しくても詰まらないのはあるし、
正しくないけど、面白いのもある。

最悪は正しくなく詰まらないもの。
最良は正しく面白いもの。

名作は、正しくて、面白い。
(逆に、名作に共通のものを抽出して理論化したものが、理論だ)

一時のものは、面白いかも知れないが、正しくない。

楷書が書けても、実戦は行書や草書。
ここでは主に楷書のことについて、書いているようなものだ。

何故面白いのかは、「才能」以外で説明する言葉がない。
ただ、単に面白いと思考停止せずに、
そこには一定の理論が一部含まれている、という話なのだ。
理論を勉強することは、
理論の限界と実戦の神秘の、境界を見極めることでもあるのだ。
posted by おおおかとしひこ at 15:13| Comment(0) | TrackBack(0) | 脚本論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

練ることは、身体で語ること

僕が(時代錯誤にも)手書きを推奨しているのは、
身体に覚えさせるためだ。

話を練るということは、どのようなことか。
僕は、ただ話をややこしくすることではないと考える。
「身体で語ったときに、気持ちよくなること」
が基準だと考えている。

続きを読む
posted by おおおかとしひこ at 12:21| Comment(0) | TrackBack(0) | 脚本論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

大塚家具の争い3

この話が恐ろしいのは、
「(現実と違う)物語的なものの一人歩き」
のような気がしてならない。

続きを読む
posted by おおおかとしひこ at 11:10| Comment(0) | TrackBack(0) | 脚本論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

【てんぐニュース】リニューアルと第七集

その1。
四月最初の週末に、
第一集から三集のリライト版をアップする目処がつきました。

その意図は、天狗=炎とちゃんと位置づける為です。
その為にエピソード構成も変えます。
各エピソードの大枠は同じですが、より良くなってると思います。
小説の書き方が、最初に比べて、僕の思いに大分追いついてきたのもあります。
(リライトの勉強の為に、旧バージョンを残すかどうかは考え中)
四集〜六集は手を入れないと思います。

その2。
遠野SOS後、シンイチ東京帰還後の第七集ですが、
四月中旬目処に仕上げていきます。
がんばります。
posted by おおおかとしひこ at 00:36| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

尋常じゃない思い

登場人物には、
尋常じゃない思いがある。

だから切実だし、
ちょっとしたことじゃ折れないし、
最後までそれを遂行しようとするし、
多少の反対には挫けない。


続きを読む
posted by おおおかとしひこ at 00:02| Comment(0) | TrackBack(0) | 脚本論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年03月29日

人は、自分を圧倒する人を好きになる(仮説)

ただの威圧とは違う。
自分の好ましい方向でだ。
しかも、既に分かっていることのジャンルで圧倒するのではなく、
自分でも気づかなかった、
「自分はこのことについて圧倒されると好きになることを知らなかった」
という、「新しい発見」こそが、
人が人を好きになる瞬間ではないか。

いわゆるギャップとかも、そのことを言っているような気がする。
例えばイケメンは、大抵姉がいる。
姉のツボを良く知っていて、それを内面化していて、
それを他の女の前でやることで、
「そういう事に素敵と思える私」を気づかせる力に、
長けているのではないだろうか。

だから即モテるかどうかは知らない。
物語に応用できそうな、人を好きになる瞬間の話。
posted by おおおかとしひこ at 16:03| Comment(0) | TrackBack(0) | 脚本論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

大塚家具の争い2

この現実が何故物語的だったのか、
の解説その2。

脚本家は、この現実から物語特有の要素を見いだし、
自作の参考にするべきだ。
あの話は、なぜ物語的だったのか?

続きを読む
posted by おおおかとしひこ at 14:24| Comment(0) | TrackBack(0) | 脚本論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

映画監督になるためには、何を勉強すればいいですか?

映画監督には、二種類のタイプがあります。
新しいタイプと、古いタイプです。
どちらになりたいか、どちらが向いてるかを考えて、
勉強することを変えていきましょう。

新しいタイプは、脚本が既にあるものを監督するタイプ、
古いタイプは、脚本も書き、自分で監督するタイプです。

続きを読む
posted by おおおかとしひこ at 13:26| Comment(0) | TrackBack(0) | 脚本論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

王道には時間がかかる

それは、過去のものを継承して発展させるからである。
過去のものを全無視した覇道のほうが、
時間がかからない。即効性がある。

王道と覇道は、人類の発展の二つの形式だ。

分かりやすいキャラ立てで、パッと目立つものを作るのが覇道だ。
王道は中身を作る。
それがどんな意味があるか、それがどんな意味を人類にもたらすか。
それが歴史的に見てどんな意義があるか。

覇道は才能だが、
王道は過去も学んだ上での知性と才能だ。
覇道は原理から変えること、
王道は全てを踏まえた上での更新。
覇道は即効性があり、広まったら即消える。
王道は広まっても味あわれ、歴史に刻まれる。

大きい器にはな、水を貯めるのに時間がかかるんや。
(映画「いけちゃんとぼく」の台詞から。
これは僕の書いた台詞の中でもかなり上位ランクだろう)

コツコツやっていきましょう。
posted by おおおかとしひこ at 12:32| Comment(0) | TrackBack(0) | 脚本論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

「○○向け」と世界を狭くするな

これは女同士しか共感できないとか、
モテナイ男にしか分からないとか、
関西人にしかわからんやろこれとか、
日本人しか分からない感覚とか、
沖縄人しか分からない感覚とか、
極論すれば俺しか分からないものとか、
そういうものが沢山世の中にはある。

しかし、それをなるべくわかろうとする話と、
分からない人は見なくていいです、と拒否する話がある。

僕は、前者を書くべきだと思う。

続きを読む
posted by おおおかとしひこ at 12:23| Comment(0) | TrackBack(0) | 脚本論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

乱暴なリライト3

更に深く考える。
「人は、途中なんかどうでもいい。
(展開が、矛盾やおかしなところや齟齬がない限り)
スムーズに無理なく流れれば流れるほどそれは忘れてしまい、
頭とケツだけを覚える」

と言えないか。

続きを読む
posted by おおおかとしひこ at 10:07| Comment(0) | TrackBack(0) | 脚本論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

リライトの方法論2

テーマが確定したら、具体的に話を直す。

続きを読む
posted by おおおかとしひこ at 02:25| Comment(0) | TrackBack(0) | 脚本論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

リライトの方法論

1. 思い入れをなくしたほどに、昔の作品をやるのがいい。
そうでないと目が曇るからである。それほど、客観性を得ることは難しい。
(書いてから発表までに恐ろしく時間がかかるのは、そのためだ)

2. まずメモを封じる。そして、一気読みをする。

出来のいい所や悪い所があるのは当然だ。
あなたのこれからやることは、これをいいものにすることだ。
この第一印象は、これからリライトする上での基準になる。
ここからは、少なくともよくすること。
メモを禁じたのは、小にとらわれ大を見落とすことを避ける為だ。

リライトも、書くこと同様、大きなことからはじめて細かくへ至るからだ。
まず大きなことから手をつける。テーマからである。

続きを読む
posted by おおおかとしひこ at 01:13| Comment(0) | TrackBack(0) | 脚本論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年03月28日

大塚家具の争いは、とても物語的だった

前の記事でいうところの、誇張と省略がよく効いた、
物語的なドラマチックさがあった。
映画化決定というネットの書き込みも一杯見た。
これを分析してみよう。

「何が」現実を物語的に変えるのか。

続きを読む
posted by おおおかとしひこ at 22:27| Comment(0) | TrackBack(0) | 脚本論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

事実と誇張と省略

物語は、事実の記録から始まったかも知れない。
それが、いずれ尾ひれ端ひれがついてゆく。

物語的な誇張と省略によってである。

続きを読む
posted by おおおかとしひこ at 20:24| Comment(0) | TrackBack(0) | 脚本論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

【二周年のごあいさつ】脚本添削スペシャル、やるよ!

いつも読んでくれて有り難うございます。

二年もよく毎日毎日書いたなあ、と不思議に思います。
最初は、「ガッチャマン実写化」への僕の思いをどこかに吐き出すことでした。
消えてしまう惜しいものを吐き出して、
褒められたいというか、仕事が欲しいというか(笑)。

そのうち、脚本について考えていること、
教えられそうなことについて、ずっと書いて現在に至ります。
(最新は、ストーリーは要るの?という極端なことを考えていますが)
「語り尽くすまで」は書いていこうと思いますので、
このような辺境の縁側にも、ときどきお越し下さい。

現在一日250から300人、1000から1300ぐらいのアクセスがあります。
うち検索でたどり着くご新規さんが30人ぐらい。
人数しか分からないので、入れ替わってるのか、
レギュラーが脱落しないのかは分かりません。
減らないってことは、それなりに楽しんで頂けているのでしょう。


はじめた頃は、まさか自分が小説書くなんて、おそれ多くて出来ませんでした。
ちょっとは上手くなったのかなあ、とにかく必死でやってます。
それは、僕の生涯のテーマのひとつ、「物語とは何か」に向き合うためかもなあ。


そもそも僕は、絵を描くのは得意だけどストーリーは苦手だったんですね。
でも肩の脱臼癖が弱点だった千代の富士が、異常に肩の筋肉を鍛えたように、
努力して鍛えたことだけはほんとです。
千代の富士は横綱になったけど、俺はどうだろうね。

かつて書けなかった俺が書けるようになったやり方、
どう考えれば脚本が書けて、
何を書いたらストーリーを書いたことになるのか、
そんなことを、つらつらと、書いていこうと思います。



ということで春恒例の、
「脚本添削スペシャル2015」開催!
告知を待て!
posted by おおおかとしひこ at 18:59| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年03月27日

過去を書いている、という意識

そう思うとうまくいく、という経験則。

続きを読む
posted by おおおかとしひこ at 15:23| Comment(0) | TrackBack(0) | 脚本論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

巨視的に見てみる

まさかだけど。

映画や映像から、ストーリーが消えること。
(もうCMやPVはそうなっているし、ドラマも半ば、日本映画も半ば)

続きを読む
posted by おおおかとしひこ at 12:07| Comment(0) | TrackBack(0) | 脚本論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

語り尽くした時に、物語は終わる

「そのこと」について、語る。

そこから考えられること、
その反論、その反論、
付帯する問題についても語る。
語り尽くして、結論が出るとき、
最初の問題をもう一度語り、
それを結論に結びつけて終える。

物語でも、エッセイでも、論文でも、記憶でも、
人の「理解」とは、
そういう形をしているのかも知れない。
posted by おおおかとしひこ at 10:23| Comment(0) | TrackBack(0) | 脚本論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

乱暴なリライト2

このやり方から分かることは、
「最初に語られたことと関係して話が終われば、
人は最初から最後まで見た意味を理解する」
ということだ。

続きを読む
posted by おおおかとしひこ at 09:08| Comment(0) | TrackBack(0) | 脚本論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

乱暴なリライト

ファーストシーンをチェックしろ。
クライマックスをチェックしろ。
ファーストシーンのことが使われていないなら、
そのファーストシーンは落としても構わない。

続きを読む
posted by おおおかとしひこ at 01:10| Comment(0) | TrackBack(0) | 脚本論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年03月26日

物語を俯瞰する、気持ちの方程式

ある人物が、ある気持ちPから、ある気持ちQへ変化したとする。
性格や人生観が180度変わってもいいし、
思っていたことが変わってもいいし、
気分が変わってもいい。
その変化をRとする。数学的には、Q=R(P)などと書けるだろう。

Rには何が必要か。
X:自分の行動による、状況の変化
Y:他人の行動による、状況の変化
Z:場の変化(特定の人によらないもの)
だと思う。

これをもう少し詳しく見てみよう。

続きを読む
posted by おおおかとしひこ at 11:48| Comment(0) | TrackBack(0) | 脚本論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

映画と小説の違い:場面しかない

小説を物真似ながら書きはじめて、
今さら入門的なものを読んでいる。

なかなかに面白いここのサイトのこの記事
「読書猿」
2013.10.12 物語は作れたがどんな文章で小説にしていいか分からない人のための覚書
(リンクの張り方がわからんので、記事名でググってください)
によれば、
説明、場面、描写のみっつが小説にはあるそうだ。

しかし映画には、場面しかない。
逆にいうと、小説の説明と描写に当たることは、
映画には出来ない。

映画脚本とは、場面だけで物語を成立させる技術だ。
小説とは、説明、場面、描写によって物語を成立させる技術だ。

映画には描写はない。だって撮るだけですもの。
(正確には、監督の独特の映像センスこそが、
描写に当たる。脚本にそれは書かれない。
ちょっとだけ書かれることはある)
posted by おおおかとしひこ at 10:53| Comment(0) | TrackBack(0) | 脚本論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年03月25日

AとはBである2

そのテーマが、
全く新しく、斬新で、世界を一言で変えられる、
誰もが驚愕し、度肝を抜かれ、
全員が熱狂的に賛成し、
皆がそれに倣うようのは、理想である。
理想だが、多分ない。

じゃあ現実にありそうな「AとはBである」テーマって?

それは、
「現実でも揺れていること」の中にある。

続きを読む
posted by おおおかとしひこ at 19:13| Comment(0) | TrackBack(0) | 脚本論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

AとはBである

テーマはテーゼの形で書ける
(テーマはひとつでなく複数あることもあり、
むしろそれがポピュラーだ)
と書いた。

つまり、

 AとはBである

という形で書けるということだ。

これには、簡単に反論することができる。

続きを読む
posted by おおおかとしひこ at 16:45| Comment(0) | TrackBack(0) | 脚本論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

冒頭とは、結論の別の形である

冒頭に、既に結論が暗示されていること。
冒頭に結論を示し、結論で同じことを繰り返す(または言い換える)こと。

これは、全ての「人が言うこと」に共通する、
優れた型のひとつである。

この型に嵌まっている必然性はないが、
優れた話は、おそらく全てこの型に書き直せる。
(それがベストの表現形式かどうかは別の話)

続きを読む
posted by おおおかとしひこ at 14:39| Comment(0) | TrackBack(0) | 脚本論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

ポピュラースタート、レアエンド

逆はある?
ポピュラーなスタートではじまり、
レアなエンドになる話。

まどマギや、エヴァがそうだったような気がする。
ポピュラーなスタートは、
ポピュラーなエンドを期待する(あるいはレアを忌避する)
スポンサーを騙すことができる。
そこでレアエンドにすることで作家性を出す、戦略なのではないだろうか。
これらの作品が持つ、「先行作品を踏まえた感じ」
(つまり80年代から直結するパロディの感覚)は、
ポピュラーなスタートゆえ、先行作品との違いを、
レアエンドに持っていく無意識が働くのではないだろうか。

レアエンド(バッドエンドやビターな結末、大団円にならないもの)は、
全てカウンターカルチャーであるような気がするのは、
ポピュラースタートだからかも知れない。

もしあなたがこういうことをしたいのなら、
ポピュラースタートレアエンドを狙うといい。

レアスタートレアエンドはカルト作品に、
ポピュラースタートポピュラーエンドは、凡庸な作品に、
レアスタートポピュラーエンドは、名作に、
それぞれなるであろう。
posted by おおおかとしひこ at 12:59| Comment(0) | TrackBack(0) | 脚本論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

十発のパンチ2

十発のパンチの話、続き。
十発というのはものの例えで、実際の10ではないことに注意。

二三発、いいのを打って、あとは考えようと思っても、
十発のパンチは打てない。

九発を十発と思い込むと足りない。
十一発を十発と思い込み、悩む。

よくある話だ。

続きを読む
posted by おおおかとしひこ at 12:42| Comment(0) | TrackBack(0) | 脚本論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

十発のパンチ

この話、続けます。

結局、ストーリーを書くには、
この十発のパンチの組み立てが、
きちんと出来てるかどうかなのだ。

続きを読む
posted by おおおかとしひこ at 12:14| Comment(0) | TrackBack(0) | 脚本論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

レアスタート、ポピュラーエンド

「バッドスタート、ハッピーエンド」という標語を以前に作ったが、
似たような別の話。

お話は、
滅多にないことからはじまる。

続きを読む
posted by おおおかとしひこ at 02:30| Comment(0) | TrackBack(0) | 脚本論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

じゃあ、点でなく線はどうやってつくるの?

原理は分かった。
じゃ線はどうやってつくるの?
そこを知りたいだろう。

簡単だ。
徐々に面白くすればいいのだ。

続きを読む
posted by おおおかとしひこ at 01:32| Comment(0) | TrackBack(0) | 脚本論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

出落ちも、一発屋である

「で、出たあ〜〜〜!」
「ギャラクティカ・マグナム!」

これは典型的な、
点の娯楽であり、一発ネタであり、即ち出落ちである。
出たあって言ってるし。(笑)

車田正美という作家は、必殺技出落ちを、発明した人なのではないだろうか。
(巨人の星の消える魔球などの必殺技は、
攻略が主なストーリーだったよね)

ペプシ桃太郎も、各キャラの出落ちですよね。

線の娯楽とは、出たあと、
その勢いのまま居続けて、時にその予測を越えることなのだ。
(ギャラクティカ・マグナムのあとには、
一応ギャラクティカ・ファントムが控えているけどね)
posted by おおおかとしひこ at 00:52| Comment(0) | TrackBack(0) | 脚本論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

何故一発屋は一発屋で終わるのか?

つまり、点であり、線になっていないからである。

これも、
人は、何か勢いのある面白い
(ギャグとは限らない)ものを見たら、
その次に来るものを(無意識に)予測するからだ。

続きを読む
posted by おおおかとしひこ at 00:44| Comment(0) | TrackBack(0) | 脚本論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年03月24日

人は、次に来るものを予測し、準備する

ストーリーが点でなく線である、というのは、
人間のこの性質によるのである。

続きを読む
posted by おおおかとしひこ at 12:52| Comment(0) | TrackBack(0) | 脚本論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年03月23日

世界に振り回されることと、制御しようとすること2

僕はハリウッドやヨーロッパの物語論に、
ずっと馴染めない単語がある。

「障害」だ。

続きを読む
posted by おおおかとしひこ at 14:27| Comment(0) | TrackBack(0) | 脚本論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

振り回されることと、制御すること

要するに、主人公は世界に振り回される。
逆に主人公は、その世界を制御しようとする。

制御といっても、色々なレベルがある。
世界征服や王権奪取やクーデター成功から、
仕事を得たいとか安住の地が欲しいとか、
あの子のハートが欲しいとか、
ただ安眠できる家に帰りたいとか、ビール飲みたいとかだ。
いずれにせよ、主人公は安心して笑える、
彼(または彼女)にとっての、幸福を得たいのだ。

にもかかわらず、世界は主人公を翻弄し、利用し、押し流そうとする。
彼(または彼女)は、それに抵抗し、
自分なりの橋頭堡を確保するために、
世界を制御しようとする。

その相克が、ストーリーなのだ。
「世界」という抽象的なものでは、具体的でないから、
それは擬人化されてでも、「人」になる。
その「人」が私を押し流そうとすることと、
私がそれに押し流されないようにするために、
何をするか。
そしてそれがどのような展開があって、どういう結末になるか。

それがストーリーだ。
あとは、その具体違いなのだ。
posted by おおおかとしひこ at 11:58| Comment(0) | TrackBack(0) | 脚本論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年03月22日

構成力があるってどういうことか

いっときも、退屈しないこと。

続きを読む
posted by おおおかとしひこ at 11:56| Comment(0) | TrackBack(0) | 脚本論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

「○○が見たい」といって物語を作るのは、間違いである

何故なら、それは点だからだ。

続きを読む
posted by おおおかとしひこ at 01:45| Comment(0) | TrackBack(0) | 脚本論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

クリエイターの未熟4

そもそもリニューアル(変わる)ことを扱うことが、
問題なのだ。
何故ならムービーは、時間軸を持つからである。

ポスターならば、リニューアルとデカデカと書いたり、
お洒落に書くといい。「変わる」という点を表現する。

しかし、ムービーは時間軸を持つ線である。
「何から」「何へ」変わるのかが必要なのだ。

続きを読む
posted by おおおかとしひこ at 01:02| Comment(0) | TrackBack(0) | 脚本論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年03月21日

1と2の役割

物語が始まる前、
主人公は日常の世界で生きている。
(そしてそれは、大抵の場合出来れば脱出したいと願っている)

そこに、異物が現れる。
その結果、主人公の日常は壊され、それに関わらざるを得なくなる。

これを、何もない状態0から、
はじまりの1になった、と表現することにしよう。

その先を続け、物語を進めるには、2がなければならない。


続きを読む
posted by おおおかとしひこ at 23:41| Comment(0) | TrackBack(0) | 脚本論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

クリエイターの未熟3

残念ながら2話は見れていないが、
1話だけは転がっていたのでもう一度見てみた。

これさ、
元々女クリエイターが作っていた別の話を、
オッサンが形になるように再構成したことによって起こった悲劇じゃね?

前半女クリエイター、
需要の辞書ビジュアル以降が、
オッサンクリエイターの臭いがするぞ?

続きを読む
posted by おおおかとしひこ at 23:00| Comment(0) | TrackBack(0) | 脚本論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

一息に話せるレベル

どんな話であれ、
複雑な話だろうが単純な話だろうが、
我々は頭で理解する。

つまり、我々の頭の中の理解が、お話の形である。

それは、一息で話せるレベルに縮約される。

続きを読む
posted by おおおかとしひこ at 16:26| Comment(0) | TrackBack(0) | 脚本論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

クリエイターの未熟2

先程の論では、本題よりも添削に重点を置いてしまったので。

件のCMが、クリエイターが想像したほど良くならなかったのは、
実体験に拘泥したためである。

続きを読む
posted by おおおかとしひこ at 11:11| Comment(0) | TrackBack(0) | 脚本論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

クリエイターの未熟

打ちきりで話題の、ルミネCMを見ることが出来た。
抗議されるも宜なるかな。
ストーリーそのものは普通だが、
CMとして最も大事なこと、
落ちが甘いことが最大の欠点だ。

落ちが甘いから、その前提に噛みつかれるのだ。
それは、クリエイターとしての未熟が原因である。

もう少し言うと、「自分好き」を客観的に見れていない。

続きを読む
posted by おおおかとしひこ at 02:38| Comment(0) | TrackBack(0) | 脚本論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年03月20日

理想の序盤は、雪だるま

ガツンとかます必要はない。

最初になにかが引っかかる。
それが徐々に徐々に膨れ上がってゆく。
最初はたいしたことないや、と思っていたら、
それは無視できないほどに大きくなり、
引き返せないほど巨大になっている。

これをどうにかしない限り、どうしようもない事態だ。

主に、不安の状態のことを言っている。

もちろんこれまでに、主人公のいる日常世界のこと、
伏線などが設定されていなければならない。


理想は雪だるま。
最初の染みのような一点がなにかを、よくよく考えよう。
posted by おおおかとしひこ at 22:18| Comment(0) | TrackBack(0) | 脚本論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

なぜ悪役を演じると楽しいのだろう

大体、悪役はノリノリだ。
正義のヒーローよりもだ。

たとえば余興の宴会で、
「あなたが悪役に扮し、一番可愛いデスクの子をさらい、
セクハラをしようとしたところに正義の部長が現れ、退治される」
という小芝居をやるとする。

あなたは悪役に指名された。

絶対、ノリノリで悪いことをするはずだ。
胸揉みぐらいはどさくさでやるかも知れないし、
罵詈雑言を吐いたり、会社批判を言ったりするだろう。

続きを読む
posted by おおおかとしひこ at 15:27| Comment(3) | TrackBack(0) | 脚本論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

脚本は、ガラス細工ではない

作品というものは、すべからく精巧につくられるものである。

丁寧に計算され、技巧を尽くし、無駄がなく、
手を尽くされているものを、芸術品という。
そのガラス細工のような繊細さ、美しさ、完璧さが芸術品の価値だ。
そしてその手を尽くしたものが、
何のために手を尽くされて存在しているのか、が、
その作品の存在意義だ。

(CMは、「売りたい」という意味以外に、
かつては別の、フィルムとしての面白さが意味を持っていた。
しかしこの10年で急速にその意味を失い、
「売りたい」だけの意味に収斂された。
つまり、わざわざ見る価値のない、詰まらないものになった)


脚本もそのようなガラス細工の芸術品だと、
我々は思う。
しかし、現実にはそうではないということを、知っておくべきだ。

では我々は「何に」ガラス細工のような繊細さを込めるのか、
という話。

続きを読む
posted by おおおかとしひこ at 14:48| Comment(0) | TrackBack(0) | 脚本論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

序盤15分のために2

ひとつ書き忘れた。

○感情が不安定になること。

平穏無事で仕事も順調で、みなと仲良くビールが旨い世界は、
映画ではない。
どこかおかしく、異変があり、不安定で、
緊張が生まれ、危険の匂いがし、
出来れば逃げ出したい感情が生まれること。

はじまりは平和でも、開始10分以内にその平和は綻びなければならない。
平和に再び戻るのはラストのみだ。
つまり、映画は本編以外が平和で、本編は不安だ。
posted by おおおかとしひこ at 12:09| Comment(0) | TrackBack(0) | 脚本論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする