2015年03月25日

十発のパンチ

この話、続けます。

結局、ストーリーを書くには、
この十発のパンチの組み立てが、
きちんと出来てるかどうかなのだ。

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レアスタート、ポピュラーエンド

「バッドスタート、ハッピーエンド」という標語を以前に作ったが、
似たような別の話。

お話は、
滅多にないことからはじまる。

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じゃあ、点でなく線はどうやってつくるの?

原理は分かった。
じゃ線はどうやってつくるの?
そこを知りたいだろう。

簡単だ。
徐々に面白くすればいいのだ。

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出落ちも、一発屋である

「で、出たあ〜〜〜!」
「ギャラクティカ・マグナム!」

これは典型的な、
点の娯楽であり、一発ネタであり、即ち出落ちである。
出たあって言ってるし。(笑)

車田正美という作家は、必殺技出落ちを、発明した人なのではないだろうか。
(巨人の星の消える魔球などの必殺技は、
攻略が主なストーリーだったよね)

ペプシ桃太郎も、各キャラの出落ちですよね。

線の娯楽とは、出たあと、
その勢いのまま居続けて、時にその予測を越えることなのだ。
(ギャラクティカ・マグナムのあとには、
一応ギャラクティカ・ファントムが控えているけどね)
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何故一発屋は一発屋で終わるのか?

つまり、点であり、線になっていないからである。

これも、
人は、何か勢いのある面白い
(ギャグとは限らない)ものを見たら、
その次に来るものを(無意識に)予測するからだ。

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2015年03月24日

人は、次に来るものを予測し、準備する

ストーリーが点でなく線である、というのは、
人間のこの性質によるのである。

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2015年03月23日

世界に振り回されることと、制御しようとすること2

僕はハリウッドやヨーロッパの物語論に、
ずっと馴染めない単語がある。

「障害」だ。

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posted by おおおかとしひこ at 14:27| Comment(0) | TrackBack(0) | 脚本論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

振り回されることと、制御すること

要するに、主人公は世界に振り回される。
逆に主人公は、その世界を制御しようとする。

制御といっても、色々なレベルがある。
世界征服や王権奪取やクーデター成功から、
仕事を得たいとか安住の地が欲しいとか、
あの子のハートが欲しいとか、
ただ安眠できる家に帰りたいとか、ビール飲みたいとかだ。
いずれにせよ、主人公は安心して笑える、
彼(または彼女)にとっての、幸福を得たいのだ。

にもかかわらず、世界は主人公を翻弄し、利用し、押し流そうとする。
彼(または彼女)は、それに抵抗し、
自分なりの橋頭堡を確保するために、
世界を制御しようとする。

その相克が、ストーリーなのだ。
「世界」という抽象的なものでは、具体的でないから、
それは擬人化されてでも、「人」になる。
その「人」が私を押し流そうとすることと、
私がそれに押し流されないようにするために、
何をするか。
そしてそれがどのような展開があって、どういう結末になるか。

それがストーリーだ。
あとは、その具体違いなのだ。
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2015年03月22日

構成力があるってどういうことか

いっときも、退屈しないこと。

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「○○が見たい」といって物語を作るのは、間違いである

何故なら、それは点だからだ。

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クリエイターの未熟4

そもそもリニューアル(変わる)ことを扱うことが、
問題なのだ。
何故ならムービーは、時間軸を持つからである。

ポスターならば、リニューアルとデカデカと書いたり、
お洒落に書くといい。「変わる」という点を表現する。

しかし、ムービーは時間軸を持つ線である。
「何から」「何へ」変わるのかが必要なのだ。

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2015年03月21日

1と2の役割

物語が始まる前、
主人公は日常の世界で生きている。
(そしてそれは、大抵の場合出来れば脱出したいと願っている)

そこに、異物が現れる。
その結果、主人公の日常は壊され、それに関わらざるを得なくなる。

これを、何もない状態0から、
はじまりの1になった、と表現することにしよう。

その先を続け、物語を進めるには、2がなければならない。


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posted by おおおかとしひこ at 23:41| Comment(0) | TrackBack(0) | 脚本論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

クリエイターの未熟3

残念ながら2話は見れていないが、
1話だけは転がっていたのでもう一度見てみた。

これさ、
元々女クリエイターが作っていた別の話を、
オッサンが形になるように再構成したことによって起こった悲劇じゃね?

前半女クリエイター、
需要の辞書ビジュアル以降が、
オッサンクリエイターの臭いがするぞ?

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posted by おおおかとしひこ at 23:00| Comment(0) | TrackBack(0) | 脚本論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

一息に話せるレベル

どんな話であれ、
複雑な話だろうが単純な話だろうが、
我々は頭で理解する。

つまり、我々の頭の中の理解が、お話の形である。

それは、一息で話せるレベルに縮約される。

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posted by おおおかとしひこ at 16:26| Comment(0) | TrackBack(0) | 脚本論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

クリエイターの未熟2

先程の論では、本題よりも添削に重点を置いてしまったので。

件のCMが、クリエイターが想像したほど良くならなかったのは、
実体験に拘泥したためである。

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posted by おおおかとしひこ at 11:11| Comment(0) | TrackBack(0) | 脚本論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

クリエイターの未熟

打ちきりで話題の、ルミネCMを見ることが出来た。
抗議されるも宜なるかな。
ストーリーそのものは普通だが、
CMとして最も大事なこと、
落ちが甘いことが最大の欠点だ。

落ちが甘いから、その前提に噛みつかれるのだ。
それは、クリエイターとしての未熟が原因である。

もう少し言うと、「自分好き」を客観的に見れていない。

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posted by おおおかとしひこ at 02:38| Comment(0) | TrackBack(0) | 脚本論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年03月20日

理想の序盤は、雪だるま

ガツンとかます必要はない。

最初になにかが引っかかる。
それが徐々に徐々に膨れ上がってゆく。
最初はたいしたことないや、と思っていたら、
それは無視できないほどに大きくなり、
引き返せないほど巨大になっている。

これをどうにかしない限り、どうしようもない事態だ。

主に、不安の状態のことを言っている。

もちろんこれまでに、主人公のいる日常世界のこと、
伏線などが設定されていなければならない。


理想は雪だるま。
最初の染みのような一点がなにかを、よくよく考えよう。
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なぜ悪役を演じると楽しいのだろう

大体、悪役はノリノリだ。
正義のヒーローよりもだ。

たとえば余興の宴会で、
「あなたが悪役に扮し、一番可愛いデスクの子をさらい、
セクハラをしようとしたところに正義の部長が現れ、退治される」
という小芝居をやるとする。

あなたは悪役に指名された。

絶対、ノリノリで悪いことをするはずだ。
胸揉みぐらいはどさくさでやるかも知れないし、
罵詈雑言を吐いたり、会社批判を言ったりするだろう。

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posted by おおおかとしひこ at 15:27| Comment(3) | TrackBack(0) | 脚本論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

脚本は、ガラス細工ではない

作品というものは、すべからく精巧につくられるものである。

丁寧に計算され、技巧を尽くし、無駄がなく、
手を尽くされているものを、芸術品という。
そのガラス細工のような繊細さ、美しさ、完璧さが芸術品の価値だ。
そしてその手を尽くしたものが、
何のために手を尽くされて存在しているのか、が、
その作品の存在意義だ。

(CMは、「売りたい」という意味以外に、
かつては別の、フィルムとしての面白さが意味を持っていた。
しかしこの10年で急速にその意味を失い、
「売りたい」だけの意味に収斂された。
つまり、わざわざ見る価値のない、詰まらないものになった)


脚本もそのようなガラス細工の芸術品だと、
我々は思う。
しかし、現実にはそうではないということを、知っておくべきだ。

では我々は「何に」ガラス細工のような繊細さを込めるのか、
という話。

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posted by おおおかとしひこ at 14:48| Comment(0) | TrackBack(0) | 脚本論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

序盤15分のために2

ひとつ書き忘れた。

○感情が不安定になること。

平穏無事で仕事も順調で、みなと仲良くビールが旨い世界は、
映画ではない。
どこかおかしく、異変があり、不安定で、
緊張が生まれ、危険の匂いがし、
出来れば逃げ出したい感情が生まれること。

はじまりは平和でも、開始10分以内にその平和は綻びなければならない。
平和に再び戻るのはラストのみだ。
つまり、映画は本編以外が平和で、本編は不安だ。
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竹取物語って言うほど竹取らないよな

というスレタイに爆笑した。
これは、タイトルと内容の関係に本質的な話だ。

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posted by おおおかとしひこ at 01:44| Comment(0) | TrackBack(0) | 脚本論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

序盤15分をちゃんと書くために

序盤15分は、脚本の中で多分一番難しい。
しかも厄介なのは、その一番難しいのを、
一番最初に書かなければならないところだ。

おすすめのやり方は、最後まで書いた上で、
もう一度序盤15分をあらためて練り直す方法だ。

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posted by おおおかとしひこ at 00:34| Comment(0) | TrackBack(0) | 脚本論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年03月19日

最も強いオリジナリティは何か

話がややこしくなってきたり、
全体がぼやけてきたり、
何がポイントか分からなくなってきたら、
常にこの問いに戻るとよい。

或いは、そもそもその話は、
最初に思いついたどういうアイデアから発展してきたかを、
思い出すとよい。

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posted by おおおかとしひこ at 13:44| Comment(0) | TrackBack(0) | 脚本論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

酷い広告を見た3

「そもそも広告とは、我が売りたい欲望を晒す、醜いものである。
従って、少なくとも強制的に大衆の御目を汚すからには、
何らかの楽しんでもらう芸をしなければならない。
すなわち、広告は文化であらねばならない」

という意識は、少なくとも80年代には常識だった。
もはやその常識は、どこにもないのだろうか。
伝統的にきちんとした広告をつくっている、
サントリーや資生堂ぐらいしか、それを意識してないのだろうか。

全ての会社の広報部、宣伝部に告ぐ。
不快だ。
紳士たれ。
文化をせよ。

かつて広告は文化だった。しかも最新更新の文化だった。
今はちんこのさらしあいだ。


話を脚本論に戻そう。
どうしてテーマが主張であってはならないか、
テーマを売りたい欲望に置き換えれば明らかだろう。
そして、映画は文化の極みのひとつだ。
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酷い広告を見た2

「十月十日の進化論」の宣伝の話、つづきがあった。
公式を最後まで読んでなかった。

偏屈な昆虫学者が?その妄想を新進気鋭のアニメーターで?
プロナチュラリスト監修?
主人公には人には言えない秘密が?

ちょっと待ってよ。ちっともポスターに書いてないじゃん。
「偏屈な女昆虫学者の、妊娠奮戦記」と纏めていいんじゃないの?
「昆虫の交尾には慣れてますが、
人類の妊娠は初めてです」
みたいなキャッチコピーでいいんじゃないの?

(そもそもさ、哺乳類までの進化を子宮の中でやるわけでさ、
宇宙から来たと冗談で言われる別系統の進化の虫は、
子宮の中でやらないよね?どういうことや?)

なんなんやWOWOW。絞りきってないやんか。
「昆虫推しは受けない」という判断が働いたのか?
だったら前の記事のような、ヒューマンドラマへの誤誘導をちゃんとすべきでしょ。
はらたってきた。ダメにも程がある。関係者各位の報われないこと。

宣伝部が絞りきれてないか、
作品が絞りきれてないかは、作品を見るしかないが。
まさか炎上マーケティングちゃうやろな。
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今電車で酷い広告を見た

WOWOWのドラマの中吊り。「十月十日の進化論」。

メインコピー
「胎児は、十月十日で、生命の30数億年の進化を再現する、らしい。」

ボディコピー
「奔放で、マイペースで、不器用な主人公・鈴が、
命を宿したことで周囲を取り巻く人々と
次第に心を通わせていくハートフルストーリー!」

ひどい。ちっとも面白そうじゃない。
WOWOW潰れるだろこれじゃ。


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posted by おおおかとしひこ at 02:12| Comment(2) | TrackBack(0) | 脚本論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

モブかどうか

モブとは、群衆などを指す言葉で、
背景にうつる、誰でもない通行人レベルのことを指す。
スタジアムの観客や、駅にいる人々など広い場所だけでなく、
クラスの主要キャラ以外のメンバーもモブという。

ドラえもんなら、Aと書いた帽子の奴とデブの、
準レギュラーモブがいるよね。
ガンダムならジョブジョンはモブだろう。

さて本題。
どんなに出演場面が多かったり、台詞があったとしても、
モブと変わらないことがある。

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2015年03月18日

「心を奪われる」には二種類ある

我々が心を奪われるのは、瞬間的な場面であり、
ストーリー全体ではない。

瞬間的に奪われるから、「奪われる」という言い方をするのかも知れない。
それには、二種類あると思う。


「畏怖」と、「自分と同じものをみつけた瞬間」だ。


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posted by おおおかとしひこ at 16:30| Comment(0) | TrackBack(0) | 脚本論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

「心奪われる」のは、ストーリーに、ではない

という仮説。

もっと正確に言うと、ストーリーそのもので心奪われる瞬間はない。
あるとすると、「場面」に心奪われる。

心奪われると、夢中がやってくる。
そうすると、「わたしは○○に心奪われている」
という自覚の○○は、作品名になり、その場面そのものではなくなる。
(キャストとかCGキャラかも知れない)

しかし我々が作品を書くときは、
心奪う場面を書くのではなく、
事件と解決と感情移入を軸として書く。
結果的にどこかで心奪うのだ。

その温度差について。


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posted by おおおかとしひこ at 15:08| Comment(0) | TrackBack(0) | 脚本論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

マイナーな名詞の扱い2

ひとつ思い出したので追加。

「あだ名をつける」という有効性について。

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posted by おおおかとしひこ at 14:14| Comment(0) | TrackBack(0) | 脚本論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする