2015年03月03日

白金vs青黒のドレスの謎を説く

俺には白金にしか見えないのだが、
実物は青黒だと聞いてびっくりした。
映像の専門家として、分かることを書いておく。

結論から言うと、デジカメの自動補正が犯人だ。
しかし青黒には僕は見えない。
左下の白黒模様のドレスの黒の黒さは、
当該ドレスの黒と言われる金部分より遥かに暗い。
したがって、比較のせいか黒には少なくとも見えない。

背景のせいかも知れない。
ドレスだけマスク切って取り出せば、青黒に見えないこともない。

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posted by おおおかとしひこ at 14:30| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

ドリーム3

ということは。

ここまで執念と技術と丹精を込めて描かれる、
(成功した)ドリームが、
作者の思想や主張と、受け手に思われるのもやむなしかも知れない。

というか、
恐らくそのドリームは、あなたそのものでもあるのだ。
そうでなければ、
こんなにも苦しい、物語を書く行為の原動力にはなり得ないのだと、
僕は思う。

テーマは主張ではない。
しかし主張に見えるのは、そのような構造なのだ。


「てんぐ探偵」のドリームはなんだろう。
天狗がいること?天狗の弟子になること?
少年が知性と勇気でものごとを解決すること?
三番目かも知れない。
あるいは、正当な少年ヒーローの復活、かも知れない。
posted by おおおかとしひこ at 13:08| Comment(0) | TrackBack(0) | 脚本論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

ドリーム2

物語の中の世界は、
ある意味では現実よりも現実っぽい。
それは、理想の現実を描くからだ。

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posted by おおおかとしひこ at 12:43| Comment(0) | TrackBack(0) | 脚本論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

感情移入とカタルシスの相似形

これから書くことは、上級者向けの内容だ。
しかし、とても本質的なことを書く。

普段から僕の論を読み込んでる人は分かるけど、
一見さんにはサッパリの内容だと思われる。

作品内のカタルシスの構造と、
作品と観客の間にある感情移入の構造には、
相似形があるという話。

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ドリーム

あなたが夢見る少女や、妄想だらけの少年ならば、
脚本を書くのは向いてない。
あなたが現実をレポートする新聞記者のような人や、
事実を冷徹に書く検死医や数学者のような人でも、
脚本を書くのは向いてない。

その両方の才能が必要である。


最近リアリティーの話が多かったので、
今回はドリームの話。

映画は、リアリティーばかりを追うことではない。
そこに現れる、ドリームな瞬間をも、描くことだ。

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posted by おおおかとしひこ at 01:51| Comment(0) | TrackBack(0) | 脚本論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年03月02日

敵のために、皆が一致団結する

のは、どうしてこんなに気持ちがいいのだろうか。
我々の狩りの民族としての機構に入っているとしか思えない。

これを利用したのがヒトラーの演説というのは有名だ。
心理学にも「仮想敵国の原理」として知られる原理の応用だ。

あなたがリーダーなら、嘘でも本当でも、
敵の強大さや危機を訴え、今こそ皆が普段のいさかいを捨てて一致団結するときだ、
と演説すると、それが名演説なら、皆の心をつかむことが出来る。
あなたがリーダーでないなら、
リーダーが小賢しいそのテクニックを使っているか、
チェックすることが出来る。

そして本当に皆が心から一致団結するのかは、
敵が本当に強大で、しかも許せない時だ。
現実のナチスの敵はどうだったか知らないが、
物語のなかではそれを作ることが出来る。
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カタルシス

今の俺は、本当の俺じゃない。
誤解されて、小さな型に嵌められた、間違った俺だ。
そこにチャンスが現れる。
全員から無理だと言われるか、誰もが反対することを予測される。
しかしそれは本当の俺を示す、唯一のチャンスだ。
だから苦しくても、何があっても、
出来なくても、やりとげる。
命と引き換えにしてでも。
それは本当の俺を、まだ誰にも見せてないからだ。

そのような主人公がハッピーエンドを迎えるとき、
主人公は、生まれ変わりに成功したと言えるだろう。

これがカタルシス、生まれ変わりの感覚だ。

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posted by おおおかとしひこ at 14:09| Comment(0) | TrackBack(0) | 脚本論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

テーマとはなにか10:アンケートは信用できない

アンケートは過去を分析することは出来るが、
未来を予測することが出来ない。

従って、次に何をつくるべきかを調査することは出来ない。

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posted by おおおかとしひこ at 12:00| Comment(0) | TrackBack(0) | 脚本論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年03月01日

映画は何故二時間なのか?2

以前にも書いたけど、
さらに実感から仮説を言ってみる。

「人と人が仲良くなるのに、二時間ぐらいかかるから」
というものだ。

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posted by おおおかとしひこ at 14:50| Comment(0) | TrackBack(0) | 脚本論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

巨人伝説ってさ2

てことはさ。

「夢で恐竜に追われるのは、太古の記憶が我々にあるからだ」
なんてロマン説はさ、
「幼児期に自分より大きな犬とか、
近所のガキどもに追い回された、視覚が未発達な時期の体感覚記憶」
なんじゃね?

夢のなかで足が遅くなるのは、
大人の我々の走る感覚よりも、四つん這いの走行感覚なんじゃね?

幼少の記憶が何故我々にないのか、については、
発達心理学的にまだ究明されていないのだそうだ。
言語や記憶定着の仕組みが未発達だから、
という風に納得されているみたいだが、
大脳皮質より下部に体感覚としては記憶されていて、
それが夢や幻影として出てくるんではないか?

体感覚といえば、
昔住んでた場所の、「ここをこう行ったらあれがあるはず」
みたいな感覚があるじゃん。
俺京都に七年住んでたから、交差点とか通りで記憶してるのよ。
その「直角の感覚」(今住んでる東京にはない感覚)を、
夢に見たりするんだよ。

それの、もっと昔の昔の感覚が、
巨人伝説や、巨大な恐竜に追われる夢や、
もののけ姫のイノシシみたいな、
巨大モンスターの幻獣になっていたとしたら…?
あいつらに感じる、原始的な感覚の正体は?

夢のない話?夢のある話?
posted by おおおかとしひこ at 13:00| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

推薦図書

昨日本屋で見つけて、面白かったので買ってみた。

「俳優のためのハンドブック」
メリッサ・ブルーダー他著
フィルムアート社

フィルムアート社の本なので、
アート系の充実してる映画や演劇論のちゃんとした本屋か、
ブックファーストなどの大きめの本屋にしかないと思う。

演技とは何かに関する、ものすごくシンプルな本。
俳優が脚本をどう読んでいくかを、知ることが出来る。

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posted by おおおかとしひこ at 12:22| Comment(0) | TrackBack(0) | 脚本論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

テーマとはなにか9:テーマに関連するもの

テーマの話がまだあった。

物語の中で、こういう所とテーマが強く関係する部分がある、
という話。

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posted by おおおかとしひこ at 11:56| Comment(0) | TrackBack(0) | 脚本論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

巨人伝説ってさ

幼児期の体感覚の記憶じゃね?

昔大人という巨人に囲まれてたときの、
視覚よりももっと原始的な記憶じゃね?
世界中にあるってことは、
人類共通の記憶って、それじゃね?

ネフィリムやらデイダラボッチやらタイタンやらは、
遥か昔の親や大人を見上げてた記憶じゃね?


…と、第30話を書き終えてなんとなく思いました。
posted by おおおかとしひこ at 09:58| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする