2015年03月14日

人は何故物語を見るのか

人生のある種のシミュレーションではないか?
自分と近かろうが遠かろうが、
ある種の人生を「理解」して、
ああだから失敗だとか、
こうだから成功だとか、
ああしたらどうなっていただろうとか、
こうしなければどうなっていただろうとか。

ある種の成功談は模範になり、
ある種の失敗談は教訓になる。
そうやって、人生のシミュレーションをする楽しみなのではないか?

だとしたら、我々はその価値のある、
人生のリアリティーを提供すべきではないだろうか。
posted by おおおかとしひこ at 17:59| Comment(0) | TrackBack(0) | 脚本論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

流れは流れているか

流れって何か、いつも上手く言えない。
流れが悪いとき、それだけは自覚出来る。
流れがいいときは嘘みたいに流れる。

流れとは、どこかからどこかへ流れる、
という観点から。

続きを読む
posted by おおおかとしひこ at 16:40| Comment(0) | TrackBack(0) | 脚本論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

設定と物語の違い

設定を書いていると、物語を書いた気になる。
バックストーリー(過去)や
周辺の世界の設定(現在)もするし、
どういう事件が起こるか、
どういう結末を迎えるか、
どういう展開や事件があるかなどの、
ざっくりしたプロットもついてくることがある。

面白い設定は、
事件の起こった理由や、どんでん返しまで推測できる、
面白そうな話を想像させる。(例:ファイブスターストーリーズ)

にも関わらず、設定を書いても、物語を書いたことにはならない。
設定を書いても、プロットを書いたことにはならない。

何が違うのか。
目的である。

続きを読む
posted by おおおかとしひこ at 12:42| Comment(2) | TrackBack(0) | 脚本論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする