2015年03月20日

理想の序盤は、雪だるま

ガツンとかます必要はない。

最初になにかが引っかかる。
それが徐々に徐々に膨れ上がってゆく。
最初はたいしたことないや、と思っていたら、
それは無視できないほどに大きくなり、
引き返せないほど巨大になっている。

これをどうにかしない限り、どうしようもない事態だ。

主に、不安の状態のことを言っている。

もちろんこれまでに、主人公のいる日常世界のこと、
伏線などが設定されていなければならない。


理想は雪だるま。
最初の染みのような一点がなにかを、よくよく考えよう。
posted by おおおかとしひこ at 22:18| Comment(0) | TrackBack(0) | 脚本論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

なぜ悪役を演じると楽しいのだろう

大体、悪役はノリノリだ。
正義のヒーローよりもだ。

たとえば余興の宴会で、
「あなたが悪役に扮し、一番可愛いデスクの子をさらい、
セクハラをしようとしたところに正義の部長が現れ、退治される」
という小芝居をやるとする。

あなたは悪役に指名された。

絶対、ノリノリで悪いことをするはずだ。
胸揉みぐらいはどさくさでやるかも知れないし、
罵詈雑言を吐いたり、会社批判を言ったりするだろう。

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posted by おおおかとしひこ at 15:27| Comment(3) | TrackBack(0) | 脚本論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

脚本は、ガラス細工ではない

作品というものは、すべからく精巧につくられるものである。

丁寧に計算され、技巧を尽くし、無駄がなく、
手を尽くされているものを、芸術品という。
そのガラス細工のような繊細さ、美しさ、完璧さが芸術品の価値だ。
そしてその手を尽くしたものが、
何のために手を尽くされて存在しているのか、が、
その作品の存在意義だ。

(CMは、「売りたい」という意味以外に、
かつては別の、フィルムとしての面白さが意味を持っていた。
しかしこの10年で急速にその意味を失い、
「売りたい」だけの意味に収斂された。
つまり、わざわざ見る価値のない、詰まらないものになった)


脚本もそのようなガラス細工の芸術品だと、
我々は思う。
しかし、現実にはそうではないということを、知っておくべきだ。

では我々は「何に」ガラス細工のような繊細さを込めるのか、
という話。

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posted by おおおかとしひこ at 14:48| Comment(0) | TrackBack(0) | 脚本論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

序盤15分のために2

ひとつ書き忘れた。

○感情が不安定になること。

平穏無事で仕事も順調で、みなと仲良くビールが旨い世界は、
映画ではない。
どこかおかしく、異変があり、不安定で、
緊張が生まれ、危険の匂いがし、
出来れば逃げ出したい感情が生まれること。

はじまりは平和でも、開始10分以内にその平和は綻びなければならない。
平和に再び戻るのはラストのみだ。
つまり、映画は本編以外が平和で、本編は不安だ。
posted by おおおかとしひこ at 12:09| Comment(0) | TrackBack(0) | 脚本論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

竹取物語って言うほど竹取らないよな

というスレタイに爆笑した。
これは、タイトルと内容の関係に本質的な話だ。

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posted by おおおかとしひこ at 01:44| Comment(0) | TrackBack(0) | 脚本論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

序盤15分をちゃんと書くために

序盤15分は、脚本の中で多分一番難しい。
しかも厄介なのは、その一番難しいのを、
一番最初に書かなければならないところだ。

おすすめのやり方は、最後まで書いた上で、
もう一度序盤15分をあらためて練り直す方法だ。

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posted by おおおかとしひこ at 00:34| Comment(0) | TrackBack(0) | 脚本論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする