リライトの話でも出てきたけど。
「正しい」というのは、理論的に正しいこと。(客観的)
「面白い」というのは、主観的に面白いこと。
正しくても詰まらないのはあるし、
正しくないけど、面白いのもある。
最悪は正しくなく詰まらないもの。
最良は正しく面白いもの。
名作は、正しくて、面白い。
(逆に、名作に共通のものを抽出して理論化したものが、理論だ)
一時のものは、面白いかも知れないが、正しくない。
楷書が書けても、実戦は行書や草書。
ここでは主に楷書のことについて、書いているようなものだ。
何故面白いのかは、「才能」以外で説明する言葉がない。
ただ、単に面白いと思考停止せずに、
そこには一定の理論が一部含まれている、という話なのだ。
理論を勉強することは、
理論の限界と実戦の神秘の、境界を見極めることでもあるのだ。
2015年03月30日
練ることは、身体で語ること
僕が(時代錯誤にも)手書きを推奨しているのは、
身体に覚えさせるためだ。
話を練るということは、どのようなことか。
僕は、ただ話をややこしくすることではないと考える。
「身体で語ったときに、気持ちよくなること」
が基準だと考えている。
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身体に覚えさせるためだ。
話を練るということは、どのようなことか。
僕は、ただ話をややこしくすることではないと考える。
「身体で語ったときに、気持ちよくなること」
が基準だと考えている。
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【てんぐニュース】リニューアルと第七集
その1。
四月最初の週末に、
第一集から三集のリライト版をアップする目処がつきました。
その意図は、天狗=炎とちゃんと位置づける為です。
その為にエピソード構成も変えます。
各エピソードの大枠は同じですが、より良くなってると思います。
小説の書き方が、最初に比べて、僕の思いに大分追いついてきたのもあります。
(リライトの勉強の為に、旧バージョンを残すかどうかは考え中)
四集〜六集は手を入れないと思います。
その2。
遠野SOS後、シンイチ東京帰還後の第七集ですが、
四月中旬目処に仕上げていきます。
がんばります。
四月最初の週末に、
第一集から三集のリライト版をアップする目処がつきました。
その意図は、天狗=炎とちゃんと位置づける為です。
その為にエピソード構成も変えます。
各エピソードの大枠は同じですが、より良くなってると思います。
小説の書き方が、最初に比べて、僕の思いに大分追いついてきたのもあります。
(リライトの勉強の為に、旧バージョンを残すかどうかは考え中)
四集〜六集は手を入れないと思います。
その2。
遠野SOS後、シンイチ東京帰還後の第七集ですが、
四月中旬目処に仕上げていきます。
がんばります。