2015年04月21日

期待させてくれること、答えてくれること

観客として見ているときには、これを無意識にしているはずだ。
何かを期待して見ること。
具体的なものがあるときもある(予告などで一瞬見ている)。
詳しくは知らないが、何となくの情報もある。
序盤や中盤で、これから期待することもなんとなくある。

これらに見事答えてくれる、
あるいは予想の更に上を行ってくれるとき、
スタンディングオベーションになると思う。

これを、自分の作品でやることが難しい。

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posted by おおおかとしひこ at 14:41| Comment(0) | TrackBack(0) | 脚本論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

この脚本論は全てではなく、基礎に過ぎない

てんぐ探偵35話(「夏祭りの記憶」妖怪ボケ)の
ラスト「スイカ、盗んできたよ!」は、これまでの理論にはない幕切れだ。

神の閃きみたいに、書いてる瞬間に出た。
(プロット時では、「ドタバタするのが家族だし」で締める予定だった)

作劇とは、新しいことをすることだ。
基礎理論はあっても、次の新しさを決める理論はない。
(それは既に過去にあった、
それはなかった、しか人には言えない)

当たり前だけど、本当の創作は、
基礎理論ぐらい目つぶってもこなせるようになった、
その先にある。

ということで、日々、基礎理論を深めて書いていこうと思ってます。
時々基礎じゃないことも書くけど。
創作は自由組手。理論は型。
組手で悩んだら、型を深く探るといい。何回でも基礎に戻るといい。
そういう深みを提供しているつもりです。
書かない人の読み物であるより、書く人の為のものでありたい。
posted by おおおかとしひこ at 10:28| Comment(0) | TrackBack(0) | 脚本論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

リアリティーの範囲

よく音楽ものとかである。
「この人ピアノ弾いてない」とかね。
僕は武術に詳しいから、
「この人は経験者だ」というのは、
数手見れば分かる。

こういうリアリティーが弱いと、感情移入は削がれやすい。
なんだ嘘じゃんと。
しかし、俳優をそこまでトレーニングするのは費用的に困難だ。
(ハリウッドなら三ヶ月スケジュールキープして、
専門のトレーニングをさせることはある。
日本だと、三ヶ月の営業保証金とか言われる。
日米の俳優の実力の差は、こういうところで開いていく)

問題はなんだ。「ピアノを弾く」や「武術」にリアリティーを求めることだ。

「ピアノを弾いてないとき」「戦ってないとき」の、
リアリティーを描くとよいのだ。
それが、人間のリアリティーというものだ。

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posted by おおおかとしひこ at 00:40| Comment(0) | TrackBack(0) | 脚本論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする