観客として見ているときには、これを無意識にしているはずだ。
何かを期待して見ること。
具体的なものがあるときもある(予告などで一瞬見ている)。
詳しくは知らないが、何となくの情報もある。
序盤や中盤で、これから期待することもなんとなくある。
これらに見事答えてくれる、
あるいは予想の更に上を行ってくれるとき、
スタンディングオベーションになると思う。
これを、自分の作品でやることが難しい。
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2015年04月21日
この脚本論は全てではなく、基礎に過ぎない
てんぐ探偵35話(「夏祭りの記憶」妖怪ボケ)の
ラスト「スイカ、盗んできたよ!」は、これまでの理論にはない幕切れだ。
神の閃きみたいに、書いてる瞬間に出た。
(プロット時では、「ドタバタするのが家族だし」で締める予定だった)
作劇とは、新しいことをすることだ。
基礎理論はあっても、次の新しさを決める理論はない。
(それは既に過去にあった、
それはなかった、しか人には言えない)
当たり前だけど、本当の創作は、
基礎理論ぐらい目つぶってもこなせるようになった、
その先にある。
ということで、日々、基礎理論を深めて書いていこうと思ってます。
時々基礎じゃないことも書くけど。
創作は自由組手。理論は型。
組手で悩んだら、型を深く探るといい。何回でも基礎に戻るといい。
そういう深みを提供しているつもりです。
書かない人の読み物であるより、書く人の為のものでありたい。
ラスト「スイカ、盗んできたよ!」は、これまでの理論にはない幕切れだ。
神の閃きみたいに、書いてる瞬間に出た。
(プロット時では、「ドタバタするのが家族だし」で締める予定だった)
作劇とは、新しいことをすることだ。
基礎理論はあっても、次の新しさを決める理論はない。
(それは既に過去にあった、
それはなかった、しか人には言えない)
当たり前だけど、本当の創作は、
基礎理論ぐらい目つぶってもこなせるようになった、
その先にある。
ということで、日々、基礎理論を深めて書いていこうと思ってます。
時々基礎じゃないことも書くけど。
創作は自由組手。理論は型。
組手で悩んだら、型を深く探るといい。何回でも基礎に戻るといい。
そういう深みを提供しているつもりです。
書かない人の読み物であるより、書く人の為のものでありたい。
リアリティーの範囲
よく音楽ものとかである。
「この人ピアノ弾いてない」とかね。
僕は武術に詳しいから、
「この人は経験者だ」というのは、
数手見れば分かる。
こういうリアリティーが弱いと、感情移入は削がれやすい。
なんだ嘘じゃんと。
しかし、俳優をそこまでトレーニングするのは費用的に困難だ。
(ハリウッドなら三ヶ月スケジュールキープして、
専門のトレーニングをさせることはある。
日本だと、三ヶ月の営業保証金とか言われる。
日米の俳優の実力の差は、こういうところで開いていく)
問題はなんだ。「ピアノを弾く」や「武術」にリアリティーを求めることだ。
「ピアノを弾いてないとき」「戦ってないとき」の、
リアリティーを描くとよいのだ。
それが、人間のリアリティーというものだ。
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「この人ピアノ弾いてない」とかね。
僕は武術に詳しいから、
「この人は経験者だ」というのは、
数手見れば分かる。
こういうリアリティーが弱いと、感情移入は削がれやすい。
なんだ嘘じゃんと。
しかし、俳優をそこまでトレーニングするのは費用的に困難だ。
(ハリウッドなら三ヶ月スケジュールキープして、
専門のトレーニングをさせることはある。
日本だと、三ヶ月の営業保証金とか言われる。
日米の俳優の実力の差は、こういうところで開いていく)
問題はなんだ。「ピアノを弾く」や「武術」にリアリティーを求めることだ。
「ピアノを弾いてないとき」「戦ってないとき」の、
リアリティーを描くとよいのだ。
それが、人間のリアリティーというものだ。
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