狂言回しのことを考えていたら、
これはまたもや三人称/一人称の問題と関係があるぞ、
と気づいたので書いておく。
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2015年08月28日
当たりは、膨大な外れの中に混ざっている
当たり外れは、比較で決まる。
外れを怖がったら、当たりは生まれない。
当たりは、大体この辺から生まれる、というのがある。
ぼんくらは、当たりを手にしてるのに外れだとして捨ててしまう。
一等賞の当たりを引くまで待つか、三等でも勝ちとして勝負を終えるかは、
いつでも難しい。
当たり外れはランダムで引くのではない。勘で引く。
その勘の感覚こそプロ。ランダムで引くのは素人。
ここに当たりはない、と判断できる勘もある。
我々は有限回数しかくじを引けない。
そして、創作はギャンブルだ。
外れを怖がったら、当たりは生まれない。
当たりは、大体この辺から生まれる、というのがある。
ぼんくらは、当たりを手にしてるのに外れだとして捨ててしまう。
一等賞の当たりを引くまで待つか、三等でも勝ちとして勝負を終えるかは、
いつでも難しい。
当たり外れはランダムで引くのではない。勘で引く。
その勘の感覚こそプロ。ランダムで引くのは素人。
ここに当たりはない、と判断できる勘もある。
我々は有限回数しかくじを引けない。
そして、創作はギャンブルだ。