2015年09月30日

起伏とか緩急って何だろう

受け手としては何となく感じている、
この説明しがたい感覚の正体は何だろう。
盛り上がりとそうではないところ、
などのような感覚でとらえるのが正解なのか?
そうではないところってどういうことか?
それは詰まらないところなのか?

かつて押井守が、わざと休む所を入れるのだ、
と言っていて成程と思ったが、
それはパト2の夢の島やら浜松町の屋形船あたりの風景に語りが入る、
「退屈なパート」のことを指していて、
それは違うと思った記憶がある。
「北北西に進路を取れ」では有名な、
砂漠の無音部分が続く数分間がある。
これと何が違うのだろう。

僕は、起伏や緩急とは、
観客の緊張感の疎密ではないかと考える。

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posted by おおおかとしひこ at 14:26| Comment(0) | TrackBack(0) | 脚本論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

【日記】ふと、我に帰る

気づいたら2000記事こえてました。

こんなに書いて、まだ新しいこと
(多少は前のを上書きアップデートもしてますが)
が出てくるってどういうことやねん。

習い事ってみんなこんなもんなんでしょうかね。
それとも芸術という、常に新しくならなければならないジャンルだからでしょうかね。
昔は仕事終わりによく飲みに行って、
仕事はこうあるべきだ、なんて話を熱くしたものですが、
他の仕事でもこんなに沢山のことが書けるものでしょうか。

よく分かりませんが、まだまだあなたの知らないことを、
書いていこうかと思います。
ネタ切れにならないのが、脚本の恐ろしいところですな。
それだけ研究書がなく、口伝の多いジャンルなのかも知れませんが。
posted by おおおかとしひこ at 12:27| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年09月29日

動きを表す言葉

baby in carというシールを貼ったクルマを見て、
なんで冠詞がつかないんだろう、
短くする為の省略ということで納得してるんだろうか、
と調べてみて分かったことがある。

この表記は和製英語なのだそうだ。
baby on boardが正しい英語版なのだそうだ。

また疑問が出る。なんで冠詞がつかないんだろう。
で、英語の凄さを垣間見ることになった。

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posted by おおおかとしひこ at 10:47| Comment(0) | TrackBack(0) | 脚本論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

あなたの映画脚本には、何が足りないのかチェックリスト2

前回ではマクロから見たチェックリストだった。
ミクロレベルで見てみよう。
これらの質問に答えられないなら、
その部分があなたの脚本に足りていない。

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posted by おおおかとしひこ at 01:02| Comment(0) | TrackBack(0) | 脚本論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年09月28日

ギャグが書けない

という検索ワードで検索してきた人がいて、驚いた。
そもそも問いが間違っている。
ギャグは書けるように伸びる能力ではない。
これは完全な才能だ。

そもそも普段面白いことが言えない奴は、面白いことは書けない。
面白いことが書ける人は、リアルでも人を笑わせる人だ。

どうしてもギャグが書きたいなら、大阪に住め。漫才師になれ。
十年修行しても、大阪にはつまらない奴もいる。
面白い奴についてゆき、全部真似しろ。
書くのではなく、言えるようにならなければならない。

笑いは、とっさの発想力以外のなにものでもない。
反射神経のようなものだ。
考えて出来るものではない。
posted by おおおかとしひこ at 19:43| Comment(0) | TrackBack(0) | 脚本論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

あなたの映画脚本には、何が足りないのかチェックリスト

以下の質問に、あなたがきちんと答えられないのなら、
そこが足りなく、欠けている。

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posted by おおおかとしひこ at 15:05| Comment(0) | TrackBack(0) | 脚本論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

クライマックスでは、アイデンティティーが一番揺るがされる

というか、お話のどこでも、主人公のアイデンティティーは揺るがされる。
お前は誰だと常に問われ、俺はこうだと示していく過程が、
物語そのものだ。

それは物語が動き始めるきっかけ(カタリスト)から、
重要な大ターニングポイント、
すなわち第一第二ターニングポイント、ミッドポイントで、
常に問われる。
それ以外にも展開上重要なポイントで、
必ず問われ、何かしらのリアクション(行動)で自分を示さなければならない。

そのなかでもマックスが、クライマックスである。

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posted by おおおかとしひこ at 13:20| Comment(0) | TrackBack(0) | 脚本論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年09月27日

【風魔】ブルーレイボックスは出ません

何故なら、HD撮影をしていないからです。
U局ということもあり、納品はSDでした。
HD撮影機材HD編集機材の予算を削ってまで、
安いSD機材でやったのです。
それでもいっぱいいっぱいの安さなのです。
メイキングも同じくで、そこで機材費を削っているのです。

ブルーレイ画質でもない、横もなくて4:3。
面白いか面白くないかは、
規格では決まらないのであります。

削除シーンやNG集などもDVDに入れたかったのですが、
追加予算がなく、出来るはずもなく。
ドラマ版舞台版合わせて、プロモ映像やトレカや写真集や、
脚本やコンテなどコンプリートした、
風魔コンプリートDVD-BOXなら作れるかも知れませんが、
需要あるのかね。
同窓会Vつければ、あるのか?

みんなで東宝さんに要望メールを出せば、動いてくれるかも知れないよ!
(制作プロダクションGEが倒産したので、
資料散逸の可能性は否めませんが)
posted by おおおかとしひこ at 13:24| Comment(0) | TrackBack(0) | 実写版「風魔の小次郎」 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

脚本はボトムアップで書くのか、トップダウンで書くのか?

身も蓋もない言い方をすれば、
「ボトムアップで作り込んだあと、
トップダウンで組織化しなおし、
それに合わせて全ボトムアップを書き直す」
ものである。

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posted by おおおかとしひこ at 12:34| Comment(0) | TrackBack(0) | 脚本論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

松本人志の映画は何故微妙か?

という評論をネットで見た。
全く的はずれだ。
http://news.livedoor.com/lite/article_detail/10635358/

映画的構成になっていないからだ、
というのが主たる理由だと思う。

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posted by おおおかとしひこ at 11:46| Comment(4) | TrackBack(0) | 脚本論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

二幕の終わり

二幕が終わり、三幕へ移行するときとは、
どういうときだろうか。

第二ターニングポイントがその時だ、
というのは誰もが知っているが、
そろそろかな、という基準は何だろう。

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posted by おおおかとしひこ at 10:37| Comment(0) | TrackBack(0) | 脚本論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年09月26日

創作の原動力はどこから来るのだろう

僕は、
「これ面白いぞ」しかないと思う。

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posted by おおおかとしひこ at 16:56| Comment(0) | TrackBack(0) | 脚本論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年09月25日

二幕のリライト

二幕ほどリライトの基準が分からない箇所はない。

実際筆を一番入れるリライトは一幕なのだが、
それは伏線の整理や、既に書き終えたラストに頭を合わせたりするからだ。

しかし二幕のリライトは、一幕のように三幕基準でやれない。
だから基準がなく、難しいパートのひとつである。

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posted by おおおかとしひこ at 23:24| Comment(0) | TrackBack(0) | 脚本論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

二幕は、サブプロット

二幕をどう考えるかは本当に難しい。
何度も別の角度からとらえようとしている。

二幕を、サブプロットの集合と考えると、
考えやすいのではないか、という話。

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posted by おおおかとしひこ at 21:28| Comment(0) | TrackBack(0) | 脚本論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

自分の原稿を客観的に見て、落ち込む経験

自分の黒歴史ノート、という言い方がある。
中二の頃落書きしていた、
中二病溢れる創作ノートだ。

それを高校生ぐらいになって急に恥ずかしくなり、
封印する。そして二度とやらない。

二度とやる人は、そのうちアマチュア作家になり、
プロになる。プロにならずとも二次創作を続けたりする。

自分の過去作を読んで、猛烈に恥ずかしくなったり、
涙を流すほど詰まらないことにショックを受けた経験はあるだろうか。
これがないと、強くなれない。

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posted by おおおかとしひこ at 11:08| Comment(0) | TrackBack(0) | 脚本論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

ぶっ倒れるまで書く経験

精神論かなあ。たぶん違う。

ぶっ倒れるまでただ考えたり、書いたりした経験はどれぐらいあるか?
締め切り前の徹夜とかではなく、
締め切りがないにも関わらず、
とことん考えるだけ考えて、
白紙の前で気絶していたとか、そういう経験だ。

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posted by おおおかとしひこ at 02:29| Comment(0) | TrackBack(0) | 脚本論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

バカにつける薬はない

IQの低い人物がある問題を解決するのに、
それはおかしいだろ、成功する訳ないだろ、
という方法をとっているとしよう。

あなたは親切にも注意する。
それでは成功しない。○○の失敗がありうるぞ、と。
しかしそのバカは答える。
完璧に成功するよと。信じてるからと。

そのバカにつける薬はない。

それはそもそも成功しない作戦だと、痛い目にあうまでは分からないだろう。
否、痛い目にあっても、自分のバカさが自覚出来ずに、
ぼくの作戦は完璧だったが、誰かがしくじった、
などと他人のせいにするに違いない。

そのバカとは、たとえば樋口真嗣のことである。
人類の命運を賭けた最終決戦で、
音一つ出してはいけない、一刻も早く急ぐ必要のある現場で、
車のエンジン音を出し、話させ、
あまつさえ夜営させ、叫ばせ、セックスさせ、
訓練された部隊のくせに赤ん坊の声がするとして離隊させて地雷を踏ませる。
そんなバカ作戦が、成功するわけがない。
おいバカ。つける薬探してこい。


これは、実写進撃の巨人だけの現象ではない。
そこらじゅうの映画(日本社会?)で起こる現象だ。
なぜおかしいと気づかないのだろう。
バカほど、客観性がないからだ。
バカほど、主観的感情、主観的世界でしかものを見れないからだ。

客観性というのは、
それを全員がもっているわけではない。
主観的感情と客観的感情を区別するには、
ある程度の頭のよさが必要なのかも知れない。
(偏差値でない頭のよさだとは思うけど)

関西人は、突っ込まれる為にボケる。
ボケとは、常識をわざと外れることである。
それを普段からやっていれば、客観と主観のズレに敏感になるかも知れない。
僕は時々、全く違うボケを自分でかまして自分で突っ込んで、
理性的客観を保つことがある。

バカはそういうことを、考えたこともないと思う。
そういうバカを、どうやって主観の外に連れていったらいいのか、
僕には正解が見つからない。
裸だと恥をかかせても、次は別の所に服を着てなかったりする。
難しい問題である。

バカにつける薬はない。
俺、バカにつける薬をつけなければ、と思わせることが、
バカにつける薬の効能だと考える。トートロジーですな。


バカかバカじゃないかの境目。
知らないことがあったときに、無視するのがバカ。
僕は不勉強だと自覚し、人に聞いたり調べるのがバカじゃない。
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2015年09月24日

イコン性の後退

どうも最近の映画が印象に残りづらいのは、
年のせいもある(既に見た過去の大名作と同等ならば評価しない)
かも知れないが、
イコン性を考えた絵作りをしてないような気がしている。

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posted by おおおかとしひこ at 15:05| Comment(0) | TrackBack(0) | 脚本論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

主観と客観の差3:変化

僕は昔から小説には馴染みがないので、
よくある、
「主人公が最後一歩踏み出して終わる」形式のエンドが苦手だ。
それは映画でたとえれば第二ターニングポイントで終わるのであって、
これからのクライマックスがないことに等しいからだ。

これは、主観的変化と、客観的変化の差ではないか、
といつも思う。

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posted by おおおかとしひこ at 11:13| Comment(0) | TrackBack(0) | 脚本論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

自己の称賛の深層心理

窓辺系テンプレが女の初心者に多い型、
女子高生と海へ行くテンプレが男の初心者に多い型、
のメアリースーだとして、
これは、深層心理と関係あるのではないかと思う。

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posted by おおおかとしひこ at 08:18| Comment(0) | TrackBack(0) | 脚本論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

主観と客観の差2

その主観的感情を、他人に共有してもらう為には、
どうするのがいいか?

その感情に至った、事情を話すことだ。
こうこうこういう経緯で、こんなことになったのだと。
なるほど、それは○○だね、と思わせるのがゴールだ。

つまり、主観的感情を客観的感情に変えるには、
同情しかないのだ。

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主観と客観の差

あなたが人生で一番驚いたことは何か?
その時の表情をしてみたまえ。
あなたが人生で一番気まずかったことは何か?
その時の表情をしてみたまえ。
あなたが人生で一番怒ったことは何か?
その時の表情をしてみたまえ。

さて、いくらあなたが芝居が上手くても、
その表情だけで、あなたの人生一番の感情は、
決してリアルには伝えられない。

その一番の感情は、あなたのなかにしかない、主観だからだ。

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posted by おおおかとしひこ at 01:40| Comment(0) | TrackBack(0) | 脚本論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年09月23日

一言で落とせ、しかし一言だけでは落ちない

決め台詞というものがある。

この一言で惚れてまうやろ、となったり、
悪を倒したあとにびしりと決める文句だったり、
大爆笑のコントのあとの、最後の落ちだったり。

それは、その一言を書けば万事うまくいくのか?
その一言がすごい名文句ならいいのか?
そんな名文句をどう書くのか?

そう思ってるのなら、脚本のことを何もわかっちゃいない。


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posted by おおおかとしひこ at 23:50| Comment(0) | TrackBack(0) | 脚本論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

魂のない上っ面(セッション批評)

見逃していた作品、ようやく借りて見れました。

上っ面はいいと思うよ。
ラストのだましあいに近い逆転劇も面白かった。
楽譜がない、密告したのはお前だな→
泣いて降板→父親離れ→先手を打つアドリブ
→指揮をしはじめる
→ラストに叫ぶ(口元が隠されていたが、
流れを見る限り、才能を花開かせない最低の言葉、
Good Jobだということは分かる。
最後の試練を与え、更に高みに上ろうとしたのだ)
のやり取りは、ボクサーの殴りあいのようだった。

しかしだ。
ここでもテーマのことが顔を出す。
で、この話のテーマは?

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posted by おおおかとしひこ at 16:43| Comment(0) | TrackBack(0) | 脚本論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

【風魔】そういえば黒獅子を第三勢力にするアイデアだったなあ…

前記事を書いていて、突然思い出したこと。

夜叉を第三勢力に割ることは、壬生が黄金剣を奪って遁走する、
というミッドポイントを決めたときから決まってました。
で、八将軍が、夜叉姫派と壬生派に割れる、
という展開も。

原作に従えば、黒獅子が八将軍筆頭ゆえ、
黒獅子が最もキャラが立つべきだった。
当初はそういう計画でした。

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posted by おおおかとしひこ at 13:56| Comment(0) | TrackBack(0) | 実写版「風魔の小次郎」 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

小説と脚本の違い:彫り込みの差

小説を書いてみて、脚本との違いがいくつか分かった。
そのひとつ。

脚本では登場人物の外見を定めない。

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2015年09月22日

映画と小説と漫画の作劇は異なるか?

ついでにもう一歩踏み込んでみる。

漫画は?

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posted by おおおかとしひこ at 16:10| Comment(0) | TrackBack(0) | 脚本論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

映画と小説の作劇は異なるか?

異なる。
別物だ、という理屈はよく聞くが、
どう別物かを議論したものは、
技法上になってしまい、
物語性そのものに踏み込んでいない。

ということで踏み込んでみる。

両者の差は、技法的には絵で示すか文で示すかの違いだ。

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三幕を書くときに大事なこと

派手な花火を打ち上げること、
それがテーマを示すこと、だ。

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2015年09月21日

監督と脚本家と役者とスタッフの責任範囲

よくある質問にまとめて答えてみる。

この演技がダメなのは、脚本?監督?役者?
この台詞がダメなのは、脚本?監督?役者?
この絵がダサダサなのは、役者?監督?カメラマン?

この話が詰まらないのは、脚本?監督?役者?

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進撃の巨人後編、たぶん見ないが糞。

Yahoo!レビューの人、ありがとう。
ネタバレであらすじを書いてくれてる人がいた。
俺の1800円を興行収入に入れてたまるか!

ということで、それを信用する限り、
エレン(幼児性全能感)、シキシマ(中ニ的全能感)の、
二人のメアリースーが暴れるのだそうな。
「サンダ対ガイラ」という噂を聞いていて、
エレンvsシキシマになることはなんとなく察せられたが。

しかしそれがどちらもメアリースーだとは。

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posted by おおおかとしひこ at 22:27| Comment(0) | TrackBack(0) | 脚本論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

シチュエーションを減らすには何が必要か

実践的な話。

制作サイドからすれば、シチュエーションの数は少ないに越したことはない。
セットが10から5になれば、
美術予算は半分になる。
あるいはポジティブに、1セットに倍の金をかける決断もできる。

映画は元々一点豪華主義だ。
あるウリに金をかけて、他は普通、というものだ。
(オールスター映画ぐらいだろう、予算が豊富なのは)

シチュエーション数は、少ないに越したことはない。
しかしただ減らすのは難しい。話が痩せてしまう。
どうすればいいか。

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2015年09月20日

モジュール脚本論5: リライト

上手くいかないとき、または全体が出来ていて書き直すとき、
モジュールで考えると楽になることがある。

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モジュール脚本論4: 大局的文脈

三幕理論の罪は、
第一幕に「設定」という名前を与えてしまったことだ。

実際には、ある焦点がはじまって、
ターニングポイントで次にうつり、
その繰り返しをしているうちに、
様々な状況が揃ってきて、
第一ターニングポイントが起こるだけのことなのに。

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posted by おおおかとしひこ at 18:44| Comment(0) | TrackBack(0) | 脚本論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

人は、答えが欲しい

人は何故、あの人は私が好きなの?と問うのか。
人は何故、政治に文句を言うのか。
人は何故、宇宙を見るのか。

答えが欲しいからではないかと思う。

人は問う生き物だ。
何故問うのか。答えが欲しいからだ。
答えがわかると、人は快感を感じるように出来ているのではないか?
だからここまで科学や文明は進化したのではないか。

人は何故物語が好きなのか。
そこに、答えがあるからではないかと、僕は考える。

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モジュール脚本論3: マトリョーシカ構造、大局構造

モジュールを複数まとめてモジュールにできる。

シーン単位のモジュールをまとめて、シークエンスに、
シークエンス単位のモジュールをまとめて、ブロックに、
ブロック単位のモジュールをまとめて、幕に。
(ブロック以外は脚本用語だが、
これにあたる単語がないため、ブロックというワードを使った)

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2015年09月19日

モジュール脚本論2: 直列繋ぎと並列繋ぎ

モジュールの記号をこう決める。

…―■
または、
…―〇
とする。

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モジュール脚本論1: モジュールの単位

これまでブロック単位で議論してきたことをまとめると、
なかなかに実践的な話の構造を議論できることが分かってきた。

話の構造はどういうものか?についての理論は、
尺の構成と幕間について定めた三幕構成、
等分の八個の役割について定めたハコガキ、
三幕構成のコメディ特化したブレイクシュナイダービートシート(BS2)、
神話の構成にヒントを得て象徴で行う13ポイント理論、
大岡式トライアングルメソッドなど、
様々なバリエーションがあるが、
巨視的な構造から脚本を俯瞰するものばかりだ。

微視的構造からボトムアップ的に考えるものが、
大岡式モジュール論だ。

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ブロックには、途中などないかも。

僕はいつも二幕が苦手で、
設定と結末は出来た気になっても、
その間の「展開」って何だよ、
ということがいまだにきちんと分からない。
(このブログでも度々仮説は出している)

しかし、ブロックに分けていく考え方では、
小ブロック単位で考えるならば、
展開という途中の部分など、
存在しないのではないか?
という仮説が現実味を帯びてくる。

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2015年09月18日

AのあとにBを言う

言われれば当たり前なのだが、自覚していなければいけないこと。

AのあとにBを言う。
A次第でBのニュアンスが変わってくる。

「カ〜ンチ、セックスしよ」と、
「(パンツを脱ぎながら)セックスしよ」は、
ニュアンス(言葉以上の意味)が真逆だ。

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2015年09月17日

ブロックの結部はターニングポイント

ブロックの冒頭部について詳しく述べたので、
対にあたる結部についても書いておこう。

ブロックの尻は、「つづく」であるべきだ。
その為の一般的なものは、ターニングポイントになることである。

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ボトルネック

工学の研究成果のひとつに「渋滞の理論」というものがある。
僕が数理工学科卒の応用システム工学大学院生だったのはもう20年前だから、
その時の理論から今はだいぶん進化していると思うが、
その時の知識で現実を見てみよう。

何故邦画は死につつあるのか?
今日はボトルネックの話だ。

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2015年09月16日

発見をいれる

昔のCMの企画では、そこに発見がないと平凡だ、とよく却下されたものだ。

新しいものごとは、新しい発見とペアである。

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冒頭の勢い

では、最初の勢いや方向性はどうやってつくるのか。

安易に作ることはいくらでも可能だ。

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ブロックの冒頭は、そのブロックの推進力

脚本は入れ子構造になっている、
などと言われる。
全体は一幕二幕三幕で出来ていて、
その中の一幕の中にまた一幕二幕三幕があり、
またその中に…などと説明される。

僕は昔からこれがさっぱり掴めなくて、
ただのイメージだろうと訝っていた。

最近ようやく自分の言葉になった。
結論から言うと、こういった入れ子構造は、間違いだ。
「ブロックの冒頭に、そのブロックの推進力がある」
ということと、
「お話は、いくらでも小さなブロックに分割出来る」
ということが正しい。

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設定を入れ込みたいなら、ブロックの冒頭に

これもTIPSみたいなものだけど。

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動詞のレッスン

小説家になるためには、
形容詞(形容動詞含む)を、100、200、1000、
すぐに書けるようにならなければならない、
と聞いたことがある。
小説は描写だ、と考える人が残した言葉なのかもだ。
小説家になる方法はよく知らないので、
この真偽についてはここでは問わない。

しかしこれに倣うなら、
脚本家になるためには、動詞を100、200、1000
ぐらい、すぐに書けるようにならなければならないことは、
僕は断言しておこう。

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2015年09月15日

テーマとモチーフの例

ネットで拾ったアメリカンジョークを例に。

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主観的感動は、客観的か

あなたが何かの作品で、猛烈に感動し、
人生を変えるほどの衝撃を受けたとする。

しかし他の人に言っても、それほどでも、と言われたとする。
逆に誰かが猛烈に感動したというのを見てみても、
いやそれほどでも、と思うこともある。

そのことについてどう考えるべきか。
つまり、感動は主観に過ぎないのか。

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