2015年09月12日

作家先生になりたいのか、物語を書きたいのか

自己承認の話、続けます。
要するにあなたは、どっちなんだ?
偉くなりたいのか、ただ書きたいのか?

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posted by おおおかとしひこ at 16:49| Comment(0) | TrackBack(0) | 脚本論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

逆に、テーマ「近辺」を定める手もある

梶原一騎は、
「巨人の星」「あしたのジョー」「愛と誠」を、
それぞれ、
「父と子」「男と男」「男と女」を描こうとして、
三部作として考えていたという。

それぞれは、テーマではなくモチーフであることは、
このブログを読んでいる人には認識できるだろう。
このようなやり方も、あることはあるのだ。

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posted by おおおかとしひこ at 16:11| Comment(0) | TrackBack(0) | 脚本論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

【風魔】【鬼怒川】柳生屋敷は無事

大生郷町坂野家住宅というのを確認し、
鬼怒川右岸、決壊箇所(左岸)より上流を地図で確認。
国土地理院の水没マップと比較、無事を確認。
昔の家だから、川は溢れるものという前提で、
やはり丘の上にあった模様。

そもそもあの水没地域は水海道(みつかいどう)という、
水が海になるような道という、名前通りの場所だったのだねえと納得。
茨城は数十年前にも水没したらしく、
それは隣に走る小貝川決壊だそうです。
地図を見れば分かりますが、小貝川の市境が、
恐らく氾濫以前の川の流れのトレースなのでしょう、
ぐちゃぐちゃになっていて、
小貝川がいかに土木工事されたかが、よく分かります。

今回の件で、ソーラー利権などの土地絡みのことを知ることが出来ました。
土地と権力は、こういう時でもないと暴けないのですなあ。

大きなロケ地は、
そういう昔ながら無事な所に建っていたかも知れない。
問題は小さな住宅街とか、人々の小さな幸せに関わる、
ちょっとした所じゃないかなあ。
たとえば一話の交通事故の場所とか、
姫子がため息をついたベンチとか。


鬼の怒りは、収まったのでしょうか。
一刻も早い復興をお祈りしています。
義援金も出します。
posted by おおおかとしひこ at 11:02| Comment(0) | TrackBack(0) | 実写版「風魔の小次郎」 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

あなたは、自己承認以外の何を書きたいのだろう?

窓辺系だろうが、女子高生と海へ行く系だろうが、
メアリースーはいつでもどこにでも現れる。

それは、あなたが不幸で認められていないからである。
根本的にあなたは認められていないから、
創作をするのだと思う。(リア充は脚本を書かない)

では、メアリースーはいつでも現れる前提に立つとすると、
こういう問いは可能だ。

つまり、あなたは自己承認以外の、何を本当に書きたいのだろう?

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posted by おおおかとしひこ at 02:21| Comment(0) | TrackBack(0) | 脚本論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

何かを何かで象徴すること

抽象的なことを言うとき、
抽象的に表現してはならない。

具体的なモノに例えたりするとよい。
何故なら、映画は目で見るメディアだからだ。
(恐らく小説ですら、
具体的に目で見えるもので、最終的に表現されるような気がする)

特にやるべきことは、
何か象徴的なものに、
抽象的な意味を託せるかどうかである。

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posted by おおおかとしひこ at 00:53| Comment(0) | TrackBack(0) | 脚本論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年09月11日

【風魔】茨城のロケ地は、壊滅かも知れない

空撮の写真と、地図を必死で対照していました。
鬼怒川から東、少なくとも小貝川までは水没のようです。

監督やスタッフは、車に乗ってる間はなるべく寝て、
現場についたら起きて仕事をして、次の現場まで寝て、体力温存するものです。
(それぐらい過酷な現場だったし)
だから、ロケ地の詳しい位置関係がわかりません。
茨城フィルムコミッションのロケ地にも登録されてなくて、ちょっぴり悲しい。
(低予算だったからかなあ…)

柳生屋敷は武家屋敷で、丘の上にあったような記憶もあります。
あそこ以外は、壊滅かもしれない。

河川の氾濫というのは、恐ろしいものですね。
自衛隊たちは生存者救出に、がんばって欲しいです。

水が引いたら復興が待っているはずだけど、
かつてのロケ地や、俺たちが座って弁当食べたりした場所は、
なくなるかも知れませんね。つらい。
posted by おおおかとしひこ at 20:42| Comment(0) | TrackBack(0) | 実写版「風魔の小次郎」 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

「働きマン」のラストは、窓辺系だった

さっき昼飯食べた定食屋に漫画がいっぱい置いてあって、
そういえば「働きマン」のラスト、どうなったんだっけ、
と最終巻を読んでおどろいた。

窓辺系だ。

女子の描くメアリースーの典型のストーリーで、びっくらこいた。

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posted by おおおかとしひこ at 16:14| Comment(0) | TrackBack(0) | 脚本論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

リライトの道具

以下のようなことを使って、
リライトをしてみよう。

良くないのは分かるが、
どう直していいか分からないのは、
以下のような手段をマスターしていない可能性がある。

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posted by おおおかとしひこ at 14:03| Comment(0) | TrackBack(0) | 脚本論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

リライトは、313、23でやれ

と、呪文にしてみた。
三幕、一幕、三幕、二幕、三幕という順、
という意味だ。

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posted by おおおかとしひこ at 12:07| Comment(0) | TrackBack(0) | 脚本論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

世の中にどのような価値を与えるのか

あなたの作品がどのような価値を、
世界にもたらすのだろうか。

需要と供給の関係ではないけれど、
以下のようなものがあると思う。

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posted by おおおかとしひこ at 01:14| Comment(0) | TrackBack(0) | 脚本論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年09月10日

【風魔】常総市、心配です

さっきニュースを見てびっくりしました。
民家の一階が完全に水没してる映像と、空撮の広い絵しか見れてないので、
まだ全貌を把握してませんが…。

鬼怒川氾濫の現場、茨城常総市といえば風魔のロケ地ではないですか。

柳生屋敷のあの門も、庭も、縁側も、竹林も、風林火山の蔵も、井戸も、
絵里奈が孤独を見つめた病院も、
姫子と小次郎がデートの約束をしたり、蘭子が告白したり小次郎がキスした、
白凰学院のあの中庭も、
美術部の展覧会の会場も、シンクロのプールも、
エンディングでわちゃわちゃしたあの教室も、合成素材を撮影した体育館も、
全部沈んだというのか?

だとすると悲しすぎる。復旧、出来るのだろうか。

空撮で見る限り、もうすぐ収穫だろう田んぼは全滅に見えたけど。
常総市すべてが沈んだのではないだろうし、
海抜の低い所だけがニュースになったのかも知れないけど。

心配です。常総市のみなさん、とにかく生き延びてください。
posted by おおおかとしひこ at 17:51| Comment(0) | TrackBack(0) | 実写版「風魔の小次郎」 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

ブロックの終わりだけを取り出す2

具体例がないと分かりにくいだろうから、例で。

現在リライト中の「てんぐ探偵」を例にします。
(以下ネタバレ)


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posted by おおおかとしひこ at 12:47| Comment(0) | TrackBack(0) | 脚本論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

楽譜の話2

楽譜ということはどういうことかというと、
オンタイムで書かれるということだ。
言葉を変えれば、実況なのだ。

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posted by おおおかとしひこ at 09:39| Comment(0) | TrackBack(0) | 脚本論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

それが受け入れられるかどうかの境目は、テーマ

なぜその作品が名作として、世の中に認められるのだろう。
なぜその作品が名作として、後世に受け継がれるのだろう。
なぜその作品が名作として、売れるのだろう。
(今売れるのは名作ではなく、マスコミが売りやすいものである、
という揶揄はこの際置いておく)

面白くて新しいからだ、というのは最低条件だ。

僕はそれにプラス、テーマ性が関わると思う。

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posted by おおおかとしひこ at 08:11| Comment(0) | TrackBack(0) | 脚本論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年09月09日

脚本的でないものを、脚本的だと勘違いするリストまとめ

とりあえずまとめてみた。

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posted by おおおかとしひこ at 21:17| Comment(0) | TrackBack(0) | 脚本論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

ブロックの終わりだけを取り出してみよう

ひとつのチェック法だ。
最初の第一稿を書いているときも、
リライトの時にも使えるやり方である。

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posted by おおおかとしひこ at 17:34| Comment(0) | TrackBack(0) | 脚本論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

小説と映画の違い:楽譜かどうか

今小説「てんぐ探偵」再編集版を作っているのだが、
初期の頃と違い、最後の方では随分上達したなあ、
という感慨がある。
最後の方は小説的になっていて、
初期の頃は脚本的な気がする。

その差は何だろうと思い、ようやく言葉になった。

楽譜かどうかの違いである。

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posted by おおおかとしひこ at 15:21| Comment(0) | TrackBack(0) | 脚本論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

テーマの深さの計り方

大岡式には、テーマとは、
「PはQである」という命題形式で書ける、
という説をとなえている。

この命題がカバーする範囲が、
テーマの深さになると思う。

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posted by おおおかとしひこ at 12:58| Comment(0) | TrackBack(0) | 脚本論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年09月08日

30万字仮説

小説の入門書には、こういう逸話が引用されることがある。

小説の書き方がわからない男が、
とにかく書いてみようと、独学でまず一冊、苦労の末書いた。
最初はひどいものだったが、二冊、三冊と書くにつれ上手くなり、
三冊目を書き終えた頃には、「大体分かった」と言って、
そのまま作家になったという。
小説に決まった学び方などないのだ、という意味合いや、
結局才能かよ、という意味合いでよく出てくる。

実在の人かも分からないし、たとえ話かも知れない。
問題は、本三冊が何万字かということだ。

小説文庫一冊の基準は10万字という。
つまり30万字書けば、一通り上達するという仮説だ。

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posted by おおおかとしひこ at 14:03| Comment(0) | TrackBack(0) | 脚本論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

そもそもTには躍動感がないではないか

佐野の原案は分かったよ。
それに修正するのが常識というのが分からないが、
まあ仕事だから飲むとしよう。

全然わからないのはさ、
「躍動感がないと突っ込まれて修正」だよ。
Tという左右対称にもともと躍動感はないだろ。
安定感だろあるのは。

躍動感は必要ないだろ。
三つのTと日の丸がデザインの意図(意味)であり、
そこには躍動はないんだから。

小文字のtには躍動感はちょっとある。
でもTokyoのTだから小文字にはできねえだろ。

躍動感がないとダメなら、このデザインは、
意味ごと予選落ちだろ。


つまりね。
「そもそも躍動感と真逆のコンセプトに、
躍動感を混ぜることを要求する」ことがおかしいの。

多くの原作つき実写化が失敗する理由がこれなの。
原作のコンセプトに元々ないものを足すから、
最終形がおかしなことになっていくわけ。

デザイナーに直接言えば、いや躍動感なんてそもそも入ってないですから、
となって、ああそうか、コンセプトが違うもんな、と当事者同士で和解可能だ。
問題は、間に人が入っていることだ。
間に入った人が、
躍動感はそもそも入ってないということを上に説明できず、
躍動感を入れろと言う指示だけをデザイナーに返してくることだ。
そもそも躍動感は入ってないですからと、
デザイナーが間の人が言い返しても、
もう躍動感を入れることは決まったことですから、
と躍動感を入れることがマストで話が進むことなのだ。

こうやって、間の人がいることが、
今の日本のシステムの最大のガンなんだよ!


だったら、デザインする前に、
三つのTと日の丸を、躍動感溢れるようにデザインしてください、
と、頼むべきなの。
躍動感がない意味のものをそもそも作ったのに、
そのガワだけ残して、意味を変えるから間違いなの。


躍動感が必要なら別のコンセプトに変える。
このコンセプトが買いなら、躍動感は捨てる。

そのどちらも選べないから、折衷案になって、
訳のわからないキメラが出来るわけよ。
間の人がいることによって。
だから何一つ伝わらない。


表現はコミュニケーションです。
八方美人や幕の内弁当は、表現じゃない。
嫌われようが叩かれようが、
伝えたいひとつのことを伝えるのが表現です。

そもそもそれを伝えるべきなのか、
その表現としてマックス出来がいいのかを問うべきです。

三つのTと日の丸を伝えるのなら、
日の丸の中に三つのTを配置したって構わんのです。

問題は、そもそも三つのTが、ダサイことなんです。

原案の佐野デザインのお買い上げポイントは、
シンプルなパーツからなる展開性でしょ?
三つのTとか日の丸とかの意味じゃないじゃん。
じゃ、△と○と□で、別の意味を考えるデザインを作れば良かったんだよ。
どうしてそっちにいかないのかね。
ガワしか見ないで意味を見れないからだよね。

戦犯は誰だ?
デザインの意図も把握せず、上からの指示を下に投げてキメラを生む、
五輪委員会なんじゃねえのか?
posted by おおおかとしひこ at 08:56| Comment(0) | TrackBack(0) | 脚本論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

連載漫画の失速は、なぜ起こるのか

我々が、脚本が途中で書けなくなる現象と、
同じ原因ではないかという仮説を唱えてみる。

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posted by おおおかとしひこ at 04:19| Comment(0) | TrackBack(0) | 脚本論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

お話の発生のイメージ

生命の発生過程をご存知だろうか。
受精卵が二個に分かれ、四個に分かれ…というのは見たことがあるかも知れないが、
その続きのことだ。
増えた細胞は、ざっくり言うと平面になる。
それがどこかでくるんと筒状になる。
一方の端が口になり、一方の端が肛門になる。
つまり、生命の最初に出来るのは、口と腸と肛門という、
ひとつの管だ。
あとは内蔵や手足や骨が、勝手に出来ていって形が整うという。

つまり生命の根幹は消化管である。
脳や心臓や肺や、皮膚や筋肉や骨や目や口や鼻や、
手や足や生殖器や毛や爪は、
それからの派生である。


お話も、こうやって出来るのだろうか。
最初に出来る管は、一体何に当たるのだろう。

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posted by おおおかとしひこ at 02:07| Comment(0) | TrackBack(0) | 脚本論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年09月07日

テーマの大きさと尺の釣り合い

この話、続けます。


なぜ一本の傑作が生まれて、しかも続編が生まれるのだろうか。
ターミネーターシリーズを例に出して考えよう。

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posted by おおおかとしひこ at 18:37| Comment(0) | TrackBack(0) | 脚本論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

大きなストーリーの書き方

普段僕は5分とか短編とか言ってるけど、
じゃあ逆に壮大な話はどう書くの?

文庫7冊分を壮大と言って良ければ、
この規模までなら答えられる。

それは、その尺に相応しいテーマを選ぶことだ。

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posted by おおおかとしひこ at 15:08| Comment(0) | TrackBack(0) | 脚本論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

一度も最後まで書いたことのない人が、最後まで書く方法

最初から二時間はやめておこう。
5分から15分程度を想定しよう。
落語や「世にも奇妙な物語」あたりをイメージするといいかもだ。
あるいは漫画の読み切り短編(31P)でもいい。

一切の理論は捨てて、がむしゃらに書いてみよ。
それで最後まで書けたらラッキー。
それで最後まで書けない場合の学習法。

研究である。

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posted by おおおかとしひこ at 14:27| Comment(0) | TrackBack(0) | 脚本論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

続編と映画単品は異なる(T5批評2)

続編として絶賛したT5だが、
映画単品としては微妙なところだ。
仮にこれがT3として公開されたとしたら、
やはり不満たらたらだったような気がする。
それくらい、T12は神作品で、
それをどのようにとらえ、どのように越えるかを考えなければならない。

続編は、続編でありながら、
単品として前作を越えなければならない。

ではターミネーターとして越えるべきものは何か。
敵の凄さである。

(以下ネタバレ)

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posted by おおおかとしひこ at 12:43| Comment(0) | TrackBack(0) | 脚本論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

お話作りとは、自分への無茶ぶりである

薄々そうじゃないかと思ってたけど、
多分ほんとにそうじゃないかなあ。

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posted by おおおかとしひこ at 01:36| Comment(0) | TrackBack(0) | 脚本論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

完璧なる続編(T5批評)

夏休み映画を駆け込みで見ております。
7、8月はてんぐ完結に全力投球だったもので。

いや、見事でした。
T5、完璧なる完結編を堪能しました。
T3?4?そんなのなかった!
T1、2、5で三部作だよ!

以下ネタバレ。

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posted by おおおかとしひこ at 00:06| Comment(0) | TrackBack(0) | 脚本論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年09月06日

祭りの話

昨日今日と、自由が丘では熊野神社のお祭りである。
今、目黒囃子に続いて、勇壮なる男御輿が通りすぎていった。

祭りは、俺たちが獣の一部であることを思い出させる。
普段都会という理性や約束事に押し込められた、
獣性の解放される場だ。
ケとハレの関係である。
日本人はこうやって、獣性を手なづけて来たのだろう。
今夜のセックスは激しいだろう。
それこそ豊作祭りで、一族と村の発展にふさわしい。

日本が今元気がないのは、理性に頼りすぎて、
獣性を失ったストレスなのではないかという気さえしてくる。

ついでに。昨日の夜の神楽は、
流石に焚き火はなかったものの、猿田彦の舞であった。
猿田彦は天狗と習合して神楽に伝わっている。
御他聞に漏れず、自由が丘熊野神社神楽も天狗の舞であった。

天狗を研究していると、そのうち秦氏に必ずたどり着く。
秦氏→猿田彦と天皇家→神社→秦氏山伏による山(鉱山)開発
→戦後ヤクザと神社の夜店で、
全ては天狗の舞でシャンシャンシャンである。
この辺についてはどこかで本に纏めたい。
posted by おおおかとしひこ at 15:00| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

脚本を書くための4つのサブテキスト

実際の原稿を書く前に、以下のものが用意されているべきだ。

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posted by おおおかとしひこ at 13:04| Comment(0) | TrackBack(0) | 脚本論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする