ヤンチヒョルトのT.と、佐野のTと日の丸は、
佐野が9分割であるから考え方が違うため、
委員会は別物だととらえるのだそうだ。
それは見た目のガワの話だ。
佐野の9分割が、「どんな意味があるのか」が、
デザインである。
どんなコンセプト(意味)を、
9分割というモチーフで示したのか、
という部分(考え方)がデザインだ。
例えば中国では、九は完全数といって世界の完成を意味する。
仮に中国オリンピックで9分割ならば、
「九で世界が完成するから、オリンピックによって中国も完成するのだ、
という意味にしたかった」と言われれば、
成る程と、「腑に落ちる」。
9分割というガワが、何を意味しているのか、
僕には分からない。
(例えば東京の九品仏で行われる九品仏オリンピックのロゴなら、
九にひっかけました、と意味をつけられるだろう)
テーマやコンセプトらしき、
「3つのT」と、「鼓動や日の丸を暗示した赤丸」とも、
9分割は関係ない。
つまり佐野エンブレム(原案、最終形とも)は、
ガワだけがあって、
テーマがない。
テーマとガワがペアで、
芸術は成り立つ。
(AでBを表現する、あたりで詳しく書いた)
ガワがオシャレならば、「一般国民」は誤魔化せたかも知れない。
もし僕のブログを理解している人なら、
それでも誤魔化せなかっただろう、と思いたい。
脚本にとってのモチーフは、
シナリオ原稿に描かれた全ての文字と、
それが表すビジュアル、その動きだ。
それが果たしてなんの意味があるのか、がテーマだ。
佐野エンブレムには9分割なるモチーフで示す、
テーマがない。
おいマスコミ、ここを記者会見で追求しろや。
芸術というものは、
テーマを新しく作ることである。
それを、モダンなモチーフを使って、華麗に表現するものだ。
モチーフが被るのなら、
テーマを維持したままモチーフを変えちまえばいい。
モチーフは服だ。
中身と服の組み合わせ(マリアージュ)が芸術だ。
服だけのものは、芸術ではない。
五輪委員会の答弁は、
芸術の一番大事なところに触れていない。
解答はふたつだ。
デザインとは、そもそも芸術ではない。
佐野デザインは、芸術ではない。
僕は後者だと思いたいが、
日本のデザイン業界が、前者を匂わせている。
僕の主な怒りはこのようである。(大体いつもと同じだが)
9/2追記:ちなみに、この下に僕が怒っているリストを書いておく。
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2015年09月01日
「ただし、一度も罪を犯したことのない正しき者だけこの者に石をぶつけなさい」
俺は堂々と石を投げるぞ。
イミテイター撲滅!
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