昨日今日と、自由が丘では熊野神社のお祭りである。
今、目黒囃子に続いて、勇壮なる男御輿が通りすぎていった。
祭りは、俺たちが獣の一部であることを思い出させる。
普段都会という理性や約束事に押し込められた、
獣性の解放される場だ。
ケとハレの関係である。
日本人はこうやって、獣性を手なづけて来たのだろう。
今夜のセックスは激しいだろう。
それこそ豊作祭りで、一族と村の発展にふさわしい。
日本が今元気がないのは、理性に頼りすぎて、
獣性を失ったストレスなのではないかという気さえしてくる。
ついでに。昨日の夜の神楽は、
流石に焚き火はなかったものの、猿田彦の舞であった。
猿田彦は天狗と習合して神楽に伝わっている。
御他聞に漏れず、自由が丘熊野神社神楽も天狗の舞であった。
天狗を研究していると、そのうち秦氏に必ずたどり着く。
秦氏→猿田彦と天皇家→神社→秦氏山伏による山(鉱山)開発
→戦後ヤクザと神社の夜店で、
全ては天狗の舞でシャンシャンシャンである。
この辺についてはどこかで本に纏めたい。