小説の入門書には、こういう逸話が引用されることがある。
小説の書き方がわからない男が、
とにかく書いてみようと、独学でまず一冊、苦労の末書いた。
最初はひどいものだったが、二冊、三冊と書くにつれ上手くなり、
三冊目を書き終えた頃には、「大体分かった」と言って、
そのまま作家になったという。
小説に決まった学び方などないのだ、という意味合いや、
結局才能かよ、という意味合いでよく出てくる。
実在の人かも分からないし、たとえ話かも知れない。
問題は、本三冊が何万字かということだ。
小説文庫一冊の基準は10万字という。
つまり30万字書けば、一通り上達するという仮説だ。
続きを読む
2015年09月08日
そもそもTには躍動感がないではないか
佐野の原案は分かったよ。
それに修正するのが常識というのが分からないが、
まあ仕事だから飲むとしよう。
全然わからないのはさ、
「躍動感がないと突っ込まれて修正」だよ。
Tという左右対称にもともと躍動感はないだろ。
安定感だろあるのは。
躍動感は必要ないだろ。
三つのTと日の丸がデザインの意図(意味)であり、
そこには躍動はないんだから。
小文字のtには躍動感はちょっとある。
でもTokyoのTだから小文字にはできねえだろ。
躍動感がないとダメなら、このデザインは、
意味ごと予選落ちだろ。
つまりね。
「そもそも躍動感と真逆のコンセプトに、
躍動感を混ぜることを要求する」ことがおかしいの。
多くの原作つき実写化が失敗する理由がこれなの。
原作のコンセプトに元々ないものを足すから、
最終形がおかしなことになっていくわけ。
デザイナーに直接言えば、いや躍動感なんてそもそも入ってないですから、
となって、ああそうか、コンセプトが違うもんな、と当事者同士で和解可能だ。
問題は、間に人が入っていることだ。
間に入った人が、
躍動感はそもそも入ってないということを上に説明できず、
躍動感を入れろと言う指示だけをデザイナーに返してくることだ。
そもそも躍動感は入ってないですからと、
デザイナーが間の人が言い返しても、
もう躍動感を入れることは決まったことですから、
と躍動感を入れることがマストで話が進むことなのだ。
こうやって、間の人がいることが、
今の日本のシステムの最大のガンなんだよ!
だったら、デザインする前に、
三つのTと日の丸を、躍動感溢れるようにデザインしてください、
と、頼むべきなの。
躍動感がない意味のものをそもそも作ったのに、
そのガワだけ残して、意味を変えるから間違いなの。
躍動感が必要なら別のコンセプトに変える。
このコンセプトが買いなら、躍動感は捨てる。
そのどちらも選べないから、折衷案になって、
訳のわからないキメラが出来るわけよ。
間の人がいることによって。
だから何一つ伝わらない。
表現はコミュニケーションです。
八方美人や幕の内弁当は、表現じゃない。
嫌われようが叩かれようが、
伝えたいひとつのことを伝えるのが表現です。
そもそもそれを伝えるべきなのか、
その表現としてマックス出来がいいのかを問うべきです。
三つのTと日の丸を伝えるのなら、
日の丸の中に三つのTを配置したって構わんのです。
問題は、そもそも三つのTが、ダサイことなんです。
原案の佐野デザインのお買い上げポイントは、
シンプルなパーツからなる展開性でしょ?
三つのTとか日の丸とかの意味じゃないじゃん。
じゃ、△と○と□で、別の意味を考えるデザインを作れば良かったんだよ。
どうしてそっちにいかないのかね。
ガワしか見ないで意味を見れないからだよね。
戦犯は誰だ?
デザインの意図も把握せず、上からの指示を下に投げてキメラを生む、
五輪委員会なんじゃねえのか?
それに修正するのが常識というのが分からないが、
まあ仕事だから飲むとしよう。
全然わからないのはさ、
「躍動感がないと突っ込まれて修正」だよ。
Tという左右対称にもともと躍動感はないだろ。
安定感だろあるのは。
躍動感は必要ないだろ。
三つのTと日の丸がデザインの意図(意味)であり、
そこには躍動はないんだから。
小文字のtには躍動感はちょっとある。
でもTokyoのTだから小文字にはできねえだろ。
躍動感がないとダメなら、このデザインは、
意味ごと予選落ちだろ。
つまりね。
「そもそも躍動感と真逆のコンセプトに、
躍動感を混ぜることを要求する」ことがおかしいの。
多くの原作つき実写化が失敗する理由がこれなの。
原作のコンセプトに元々ないものを足すから、
最終形がおかしなことになっていくわけ。
デザイナーに直接言えば、いや躍動感なんてそもそも入ってないですから、
となって、ああそうか、コンセプトが違うもんな、と当事者同士で和解可能だ。
問題は、間に人が入っていることだ。
間に入った人が、
躍動感はそもそも入ってないということを上に説明できず、
躍動感を入れろと言う指示だけをデザイナーに返してくることだ。
そもそも躍動感は入ってないですからと、
デザイナーが間の人が言い返しても、
もう躍動感を入れることは決まったことですから、
と躍動感を入れることがマストで話が進むことなのだ。
こうやって、間の人がいることが、
今の日本のシステムの最大のガンなんだよ!
だったら、デザインする前に、
三つのTと日の丸を、躍動感溢れるようにデザインしてください、
と、頼むべきなの。
躍動感がない意味のものをそもそも作ったのに、
そのガワだけ残して、意味を変えるから間違いなの。
躍動感が必要なら別のコンセプトに変える。
このコンセプトが買いなら、躍動感は捨てる。
そのどちらも選べないから、折衷案になって、
訳のわからないキメラが出来るわけよ。
間の人がいることによって。
だから何一つ伝わらない。
表現はコミュニケーションです。
八方美人や幕の内弁当は、表現じゃない。
嫌われようが叩かれようが、
伝えたいひとつのことを伝えるのが表現です。
そもそもそれを伝えるべきなのか、
その表現としてマックス出来がいいのかを問うべきです。
三つのTと日の丸を伝えるのなら、
日の丸の中に三つのTを配置したって構わんのです。
問題は、そもそも三つのTが、ダサイことなんです。
原案の佐野デザインのお買い上げポイントは、
シンプルなパーツからなる展開性でしょ?
三つのTとか日の丸とかの意味じゃないじゃん。
じゃ、△と○と□で、別の意味を考えるデザインを作れば良かったんだよ。
どうしてそっちにいかないのかね。
ガワしか見ないで意味を見れないからだよね。
戦犯は誰だ?
デザインの意図も把握せず、上からの指示を下に投げてキメラを生む、
五輪委員会なんじゃねえのか?
お話の発生のイメージ
生命の発生過程をご存知だろうか。
受精卵が二個に分かれ、四個に分かれ…というのは見たことがあるかも知れないが、
その続きのことだ。
増えた細胞は、ざっくり言うと平面になる。
それがどこかでくるんと筒状になる。
一方の端が口になり、一方の端が肛門になる。
つまり、生命の最初に出来るのは、口と腸と肛門という、
ひとつの管だ。
あとは内蔵や手足や骨が、勝手に出来ていって形が整うという。
つまり生命の根幹は消化管である。
脳や心臓や肺や、皮膚や筋肉や骨や目や口や鼻や、
手や足や生殖器や毛や爪は、
それからの派生である。
お話も、こうやって出来るのだろうか。
最初に出来る管は、一体何に当たるのだろう。
続きを読む
受精卵が二個に分かれ、四個に分かれ…というのは見たことがあるかも知れないが、
その続きのことだ。
増えた細胞は、ざっくり言うと平面になる。
それがどこかでくるんと筒状になる。
一方の端が口になり、一方の端が肛門になる。
つまり、生命の最初に出来るのは、口と腸と肛門という、
ひとつの管だ。
あとは内蔵や手足や骨が、勝手に出来ていって形が整うという。
つまり生命の根幹は消化管である。
脳や心臓や肺や、皮膚や筋肉や骨や目や口や鼻や、
手や足や生殖器や毛や爪は、
それからの派生である。
お話も、こうやって出来るのだろうか。
最初に出来る管は、一体何に当たるのだろう。
続きを読む