2015年09月13日

「俺のターン」なんて言う奴がメアリースー

ずっと嫌いな言葉がある。
漫画における、俺のターンという言い方だ。

ターンといってもくるくる回るわけではない。
番手という意味のゲーム用語である。
将棋は、二人が一手ずつターンを繰り返すゲームだ。
好きなキャラが活躍するときでも、○○のターンとか言う言い方がある。

ターンが終われば出番が終わりで、
またターンが来るまで待つことになる。

これは何重にもおかしな現象である。

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posted by おおおかとしひこ at 23:51| Comment(0) | TrackBack(0) | 脚本論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

タイトルとテーマ(アンフェア批評3)

もうひとつ気になったものがあるので、
アンフェア批評追加。

「アンフェアなのは誰か?」は、
ドラマ当初、よく使われた扇情的ワードだった。
この答えは、完結編に至るまで、結局出なかった。

このモヤモヤがずっと残るのがこの作品のアイデンティティーなのか?

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posted by おおおかとしひこ at 14:55| Comment(0) | TrackBack(0) | 脚本論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

ターニングポイントとストーリーのフェイズ

ターニングポイントは、
これまでと状況が変わるポイントだ。
ストーリーにもよるけど、10個から100個ぐらいある。

僕は、ターニングポイントでストーリーのフェイズが変わる、
というような言い方をする。

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posted by おおおかとしひこ at 12:22| Comment(0) | TrackBack(0) | 脚本論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

女が女に嫉妬する醜さ(アンフェアthe end批評2)

女が書き手のとき、主人公の女に、
自己投影(何故か男にチヤホヤされる)する場合と、
主人公を徹底的に不幸にする場合がある。

持ち上げて落とす、という物語上のテクニックなら分かるのだけど、
一旦不幸になったら、ずっと不幸の道を歩む主人公の女が多い。
これは何でだろう。
女としての自分の不安が投影されているか、
その女に嫉妬しているのではないだろうか。

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posted by おおおかとしひこ at 11:57| Comment(0) | TrackBack(0) | 脚本論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

おばさんの孤独(アンフェアthe end批評)

2006年、偶然第一話をオンエアで見て、物凄くハマったドラマ。
アネゴと若手の凸凹刑事物と思わせておいての、
どんでん返しの連続。
10年に1本の傑作ドラマだった。
ドラマはね。

10年かかって、何本もスペシャルや映画を経て、
たどり着いたのは、
「パーティーが終わったあとの、オバサンの孤独」だった。

つまりは佐藤某の、メアリースーを見させられたのだ。

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posted by おおおかとしひこ at 00:21| Comment(0) | TrackBack(0) | 脚本論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする