二幕ほどリライトの基準が分からない箇所はない。
実際筆を一番入れるリライトは一幕なのだが、
それは伏線の整理や、既に書き終えたラストに頭を合わせたりするからだ。
しかし二幕のリライトは、一幕のように三幕基準でやれない。
だから基準がなく、難しいパートのひとつである。
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2015年09月25日
自分の原稿を客観的に見て、落ち込む経験
自分の黒歴史ノート、という言い方がある。
中二の頃落書きしていた、
中二病溢れる創作ノートだ。
それを高校生ぐらいになって急に恥ずかしくなり、
封印する。そして二度とやらない。
二度とやる人は、そのうちアマチュア作家になり、
プロになる。プロにならずとも二次創作を続けたりする。
自分の過去作を読んで、猛烈に恥ずかしくなったり、
涙を流すほど詰まらないことにショックを受けた経験はあるだろうか。
これがないと、強くなれない。
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中二の頃落書きしていた、
中二病溢れる創作ノートだ。
それを高校生ぐらいになって急に恥ずかしくなり、
封印する。そして二度とやらない。
二度とやる人は、そのうちアマチュア作家になり、
プロになる。プロにならずとも二次創作を続けたりする。
自分の過去作を読んで、猛烈に恥ずかしくなったり、
涙を流すほど詰まらないことにショックを受けた経験はあるだろうか。
これがないと、強くなれない。
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ぶっ倒れるまで書く経験
精神論かなあ。たぶん違う。
ぶっ倒れるまでただ考えたり、書いたりした経験はどれぐらいあるか?
締め切り前の徹夜とかではなく、
締め切りがないにも関わらず、
とことん考えるだけ考えて、
白紙の前で気絶していたとか、そういう経験だ。
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ぶっ倒れるまでただ考えたり、書いたりした経験はどれぐらいあるか?
締め切り前の徹夜とかではなく、
締め切りがないにも関わらず、
とことん考えるだけ考えて、
白紙の前で気絶していたとか、そういう経験だ。
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バカにつける薬はない
IQの低い人物がある問題を解決するのに、
それはおかしいだろ、成功する訳ないだろ、
という方法をとっているとしよう。
あなたは親切にも注意する。
それでは成功しない。○○の失敗がありうるぞ、と。
しかしそのバカは答える。
完璧に成功するよと。信じてるからと。
そのバカにつける薬はない。
それはそもそも成功しない作戦だと、痛い目にあうまでは分からないだろう。
否、痛い目にあっても、自分のバカさが自覚出来ずに、
ぼくの作戦は完璧だったが、誰かがしくじった、
などと他人のせいにするに違いない。
そのバカとは、たとえば樋口真嗣のことである。
人類の命運を賭けた最終決戦で、
音一つ出してはいけない、一刻も早く急ぐ必要のある現場で、
車のエンジン音を出し、話させ、
あまつさえ夜営させ、叫ばせ、セックスさせ、
訓練された部隊のくせに赤ん坊の声がするとして離隊させて地雷を踏ませる。
そんなバカ作戦が、成功するわけがない。
おいバカ。つける薬探してこい。
これは、実写進撃の巨人だけの現象ではない。
そこらじゅうの映画(日本社会?)で起こる現象だ。
なぜおかしいと気づかないのだろう。
バカほど、客観性がないからだ。
バカほど、主観的感情、主観的世界でしかものを見れないからだ。
客観性というのは、
それを全員がもっているわけではない。
主観的感情と客観的感情を区別するには、
ある程度の頭のよさが必要なのかも知れない。
(偏差値でない頭のよさだとは思うけど)
関西人は、突っ込まれる為にボケる。
ボケとは、常識をわざと外れることである。
それを普段からやっていれば、客観と主観のズレに敏感になるかも知れない。
僕は時々、全く違うボケを自分でかまして自分で突っ込んで、
理性的客観を保つことがある。
バカはそういうことを、考えたこともないと思う。
そういうバカを、どうやって主観の外に連れていったらいいのか、
僕には正解が見つからない。
裸だと恥をかかせても、次は別の所に服を着てなかったりする。
難しい問題である。
バカにつける薬はない。
俺、バカにつける薬をつけなければ、と思わせることが、
バカにつける薬の効能だと考える。トートロジーですな。
バカかバカじゃないかの境目。
知らないことがあったときに、無視するのがバカ。
僕は不勉強だと自覚し、人に聞いたり調べるのがバカじゃない。
それはおかしいだろ、成功する訳ないだろ、
という方法をとっているとしよう。
あなたは親切にも注意する。
それでは成功しない。○○の失敗がありうるぞ、と。
しかしそのバカは答える。
完璧に成功するよと。信じてるからと。
そのバカにつける薬はない。
それはそもそも成功しない作戦だと、痛い目にあうまでは分からないだろう。
否、痛い目にあっても、自分のバカさが自覚出来ずに、
ぼくの作戦は完璧だったが、誰かがしくじった、
などと他人のせいにするに違いない。
そのバカとは、たとえば樋口真嗣のことである。
人類の命運を賭けた最終決戦で、
音一つ出してはいけない、一刻も早く急ぐ必要のある現場で、
車のエンジン音を出し、話させ、
あまつさえ夜営させ、叫ばせ、セックスさせ、
訓練された部隊のくせに赤ん坊の声がするとして離隊させて地雷を踏ませる。
そんなバカ作戦が、成功するわけがない。
おいバカ。つける薬探してこい。
これは、実写進撃の巨人だけの現象ではない。
そこらじゅうの映画(日本社会?)で起こる現象だ。
なぜおかしいと気づかないのだろう。
バカほど、客観性がないからだ。
バカほど、主観的感情、主観的世界でしかものを見れないからだ。
客観性というのは、
それを全員がもっているわけではない。
主観的感情と客観的感情を区別するには、
ある程度の頭のよさが必要なのかも知れない。
(偏差値でない頭のよさだとは思うけど)
関西人は、突っ込まれる為にボケる。
ボケとは、常識をわざと外れることである。
それを普段からやっていれば、客観と主観のズレに敏感になるかも知れない。
僕は時々、全く違うボケを自分でかまして自分で突っ込んで、
理性的客観を保つことがある。
バカはそういうことを、考えたこともないと思う。
そういうバカを、どうやって主観の外に連れていったらいいのか、
僕には正解が見つからない。
裸だと恥をかかせても、次は別の所に服を着てなかったりする。
難しい問題である。
バカにつける薬はない。
俺、バカにつける薬をつけなければ、と思わせることが、
バカにつける薬の効能だと考える。トートロジーですな。
バカかバカじゃないかの境目。
知らないことがあったときに、無視するのがバカ。
僕は不勉強だと自覚し、人に聞いたり調べるのがバカじゃない。