2015年10月11日

構成の勉強

前記事の分析の仕方はわりとポピュラーかも知れないと思っていたが、
ひょっとすると僕独自かも、と思ったのでまとめておく。

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posted by おおおかとしひこ at 19:56| Comment(0) | TrackBack(0) | 脚本論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

原稿用紙換算

ワードの原稿用紙換算、昔アンドゥ出来ないと書きましたが、
そうではなかったです。
原稿用紙→原稿用紙設定にする/しないで、
原稿用紙換算モードと元ファイルモードを行き来出来る模様。

とは言っても長い原稿の変換に時間がかかって怖いので、
コピーしたファイルで原稿用紙換算をしたほうがよいです。


さて、これだけではなんなので、
試しに「遠野SOS」を原稿用紙換算してみたところ、
100枚、つまり映画脚本にして100分ぶんの枚数を書いていたことが判明。
あれ映画一本ぶんだよ→そうでもなかった
→やっぱ映画一本ぶんだった(今ここ)
のようですわ。
テレビスペシャル、という尺感は、合ってたってことですな。

これだけではミニ情報なので、
解説をば。

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posted by おおおかとしひこ at 12:58| Comment(0) | TrackBack(0) | 脚本論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年10月10日

【風魔】祝武蔵結婚

遅ればせながら、さっきネットで知りました。
めでたいことです。

飛鳥武蔵はあのあと孤独に仏像の銅像
(オールドファンしか知らないネタ)を掘り、
黄金剣の所有者ゆえに闘いに巻き込まれ、
聖剣戦争で理不尽に次元の彼方?へ葬られ、
仮面を被るかも知れませぬ。
つまりどこまで行っても孤独の修羅の道。
理解者である壬生も、唯一微笑むことの出来る妹も失い、
飛鳥武蔵は孤独の修羅の道に居続けるまま。
異形の力も失ったまま(ドラマ版のみ)、
彼の孤独の相手は黄金剣のみ。

川久保拓司の嫁さんよ。
どうか、彼の黄金剣になってあげてね。
生涯添い遂げて、彼を幸せにしてやってくれ。

それから東京都の川久保さま、
嫁さん泣かしたら、今頃泣いてるファンが刺しに来るぞ。
来年生まれる三人一緒に、幸せになるんだ。
飛鳥武蔵のぶんまでな。
生まれたのが女の子なら、
十年後は、幻夢氷翔剣に作られた幻影の絵里奈をやらせるから、
覚悟しとけよ!
posted by おおおかとしひこ at 22:50| Comment(0) | TrackBack(0) | 実写版「風魔の小次郎」 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

ログラインは、分類の為にある

で結局、ログラインは何のためにあるの?

僕は、分類の為にあると思う。

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posted by おおおかとしひこ at 16:27| Comment(0) | TrackBack(0) | 脚本論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

ログラインに拘るな

ストーリーは一行のログラインからはじまり、
それがとても魅力的な場合に限り、
それは名作になる。
ログラインがそもそも面白くないなら、
そのストーリーは面白くない。

そう誤解しない方がよい。

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posted by おおおかとしひこ at 14:19| Comment(0) | TrackBack(0) | 脚本論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

いい話は、最初と最後しか記憶に残らない

経験則的仮説、つづきます。

とても上手くいって、満足した話は、
頭の部分とラストしか、記憶に残らない。

そして、それがとても良かったという記憶しか、残らない。

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posted by おおおかとしひこ at 10:13| Comment(0) | TrackBack(0) | 脚本論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

二つ前まで過去

経験則をひとつ。

現在のシーンでは、
現在だけでなく、
同時に過去のシーンの記憶と共に、
話が進んでいる。

で、過去のシーンとは、
前のシーンと、前の前のシーン二つの、
2シーンのことだ。



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posted by おおおかとしひこ at 00:59| Comment(0) | TrackBack(0) | 脚本論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年10月09日

二幕前半は、入れ換えられる

経験則だけど、
二幕前半は、わりとスプレッドが多いので、
シーンごと、ブロックごと入れ換えることが可能だ。

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posted by おおおかとしひこ at 19:29| Comment(0) | TrackBack(0) | 脚本論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

トップシーンは、どこで再利用されるか?

という問いを、自分にしてみよう。

トップシーンの第一の役割は、
まだ何も知らない観客を、世界にひきこむことである。
簡単なのは凄い事を起こして無理矢理引きずり込む、
簡単なるツカミだけど、
それはすぐに馬脚をあらわして、次のシーンからつまらなくなることは警告している。

ほんとうのツカミとは、静かにはじめたのにいつの間にか掴まれているというものである。
とにかく、どういう意味でも、
トップシーンの第一の役目はそれである。

ところがだ。

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posted by おおおかとしひこ at 11:07| Comment(0) | TrackBack(0) | 脚本論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

わたしのいない空間での出来事

フィクションを楽しむ人は、
どちらを本当に楽しむのだろう。

自分に近い世界か、自分に遠い世界か。

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posted by おおおかとしひこ at 10:56| Comment(0) | TrackBack(0) | 脚本論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

デザインの話2

極論しよう。

あなたは、日本をどう救うのか?
あなたは、世界をどう救うのか?
あなたは、地方をどう救うのか?

演説によってではなく、
新しい思想を発明することでもなく、
新しい政治をすることでもなく、
新しい仕組み作りでもなく、
物語によってだ。

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posted by おおおかとしひこ at 10:09| Comment(0) | TrackBack(0) | 脚本論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

世の中の何かを解決することがデザイン

マークをデザインするときは、
何かの意図が言葉を使わなくても分かるようにデザインする。
非常口はこちら、トイレはこちら、
東京五輪のコンセプトは○○、
などを、言葉を使わなくても絵だけで分かるようにする。

その次に、美しいという美学的観点が問われる。
一番は、機能を果たすかどうかだ。

広告はすべからくデザインだ。
広告主の言いたいことが、
スムーズに、上手く、深く、無意識に伝わるようにデザインする。
ポスターもCMもその他もだ。
キャッチコピーやコンセプトと言ったものが、中心になる。


さて、物語はデザインだろうか。

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posted by おおおかとしひこ at 09:19| Comment(0) | TrackBack(0) | 脚本論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年10月08日

ネットで拾った名言

「今、こういうことされて、こんなに辛い。傷を見て」っていうのが子どもの作品で、
「ぼくはこういうふうに治しましたよ」って、治った傷口を見せて言うのが大人の作品だ
by ほぼ日刊イトイ新聞

僕はこういう風に短くうまく言えないので、
参考までに。
posted by おおおかとしひこ at 17:53| Comment(0) | TrackBack(0) | 脚本論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

集団としての意志

どの会社か忘れたけど、
レンタルDVDを再生するとき、最初に
「この映画内での主張や思想は、
個人のものであり、弊社の人間のものではありません」
のような表記があってびっくりすることがある。
(文言はもっと柔らかく表現されてるだろうけど)

濡れた猫を乾燥させようとして電子レンジに入れて殺した飼い主が、
電子レンジに猫を入れてはいけないと書いてなかったと訴訟を起こした、
阿呆な事件を思い出す。

PL法は、そういう馬鹿から会社を守るために、
いちいち注意書をつける手間を増やした。

僕はいまだに、
「これはCM上の演出です」とか「個人の感想です」とか、
「スタッフが美味しく頂きました」とか字幕で出すのは、
馬鹿の極みだと思っている。

たかがテレビの真似をして文句を言う大人は馬鹿だ。
子供が真似したら大人が叱れ。
大人よりテレビに影響される程度の躾しか出来ないのなら、それをまず恥じよ。

ところがだ。
最近また阿呆な話を聞いたのだ。

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posted by おおおかとしひこ at 13:35| Comment(0) | TrackBack(0) | 脚本論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

お話とは、人間の不安を安心させる道具ではないか

フィクションのストーリーはなんのためにあるのか。
何故人は話を書き、
それらを共有し、
名作とか面白くないとか言うのか。

僕は、
不安に興味をもち、
安心したいからではないかと考える。

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posted by おおおかとしひこ at 10:52| Comment(0) | TrackBack(0) | 脚本論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年10月07日

腐女子の男体化は何故気持ち悪いのか?

男女論。

twiiterなどで出回り、多くの男たちが気味悪がる、
女作者絵師の男体化表現。
なぜあれはあんなにも吐き気を催すのだろう?
なぜあれはあんなにも気持ち悪いのだろう?

「女が考える男」が、我々男が考える男と、だいぶん違うからだ。
どう違うのだろう?

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posted by おおおかとしひこ at 14:18| Comment(4) | TrackBack(0) | 脚本論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

三人称の内面

という検索ワードがあったので、書いてみよう。

三人称でその人の内面を表す方法のまとめ。

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posted by おおおかとしひこ at 12:39| Comment(0) | TrackBack(0) | 脚本論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

無限の住人?いい加減にしてくれ

無限の住人という、僕にとって結構大切な漫画がある。
金のない大学時代、ああ女神様が連載中の分厚いアフタヌーンを、
コンビニの立ち読みで殆ど読んだ漫画だ。
時代劇でないネオ時代劇という可能性を、
僕に気づかせて蒙を開いてくれた作品だ。
最終回はどうなったかまで追いかけていないが、
いつか一気読みをする漫画のリストに入っていた。

キムタクはないやろ。
木村拓哉はいい役者なのだから、もっと適役やらせてやれよ!
ミスキャストならぬ、ミス原作だと思う。
どろろのときも同じこと感じたなあ。

キムタク主役映画を作らなきゃ
→なんかいい原作ないの?
→若い役は無理、オリジナルだとオッサン役しかない
→漫画みたいな超人ならなんとか
→永遠の生命を持つ男ならいけるんとちゃう?
→せや、無限の住人や!キムタク前も時代劇やってたやん!
→時代劇やった三池監督呼んだろ!アクションも得意やろ!

原作無視の怪作以外は却下だ。
愛と誠ぐらい別物にしてくれ。
蟲師とかSHINOBIみたいにしたら、殺す。

ただでさえ、ちはやふる、三月のライオンがヤバそうだ。
もうやめてくれよ。ほんとに好きな漫画なんだよ。
バクマンも怖くて見れないのに。


一体どうなってんだ日本映画は?
俺が愛した映画という至高は、
こんな糞みたいなものを考えているジャンルではなかった。
posted by おおおかとしひこ at 01:02| Comment(0) | TrackBack(0) | 脚本論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年10月06日

面白いものとは、世界が変わろうとする予感

これ面白そう、と思うものはどういうものか。

この作品が、
今までの(詰まらない)世界の見方を変えてくれそうなもの、
という予感がするときではないだろうか。

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posted by おおおかとしひこ at 23:37| Comment(0) | TrackBack(0) | 脚本論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

もはや一からのもの作りは出来ないのか?

デジタルは人を幸せにしない。
こと、もの作りにおいては。

業界全体の問題か、日本全体の問題か、世界の問題かは分からない。
サノケンの問題で表面化した、もの作りの問題に切り込んでみる。

一からのもの作りが、今、とても困難になっている、
息詰まりがある。

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私たちの記憶は二次元まででは、という話

三次元を記憶出来るだろうか。

頭の中で、三次元立体である人体を回転させ、
どの角度でも頭の中で思い浮かべられるだろうか。
アニメーターや漫画家や画家にとってのこの基本技能は、
恐らくはほとんどの人にない特殊能力だ。

IQテストでも複雑な立体の回転問題がよく出るけど、
僕は間違ったことがない。
でも問題であるからには間違う人もいるということだろう。
つまり、頭の中で三次元モデルがあり、
それを頭の中で操作できる人は多くない。

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posted by おおおかとしひこ at 11:13| Comment(0) | TrackBack(0) | 脚本論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年10月05日

【日記】ここを朝読む方へ

意外と、ここを読む方は朝7時〜9時台が多くてびっくりします。

今日ロケハンの為に、
久しぶりに8時台の山手線のラッシュに乗ったのですが、
(目黒→新橋)
殺人的混み方で既にパワーダウンしてます。

朝読む人は、ちゃんと読めてるのだろうか、
こんな難しい内容を、あの混み方で読めるのか、
ちょっと不安になり。
とは言え、内容のレベルを落とすのも本末転倒なので、
お昼休みや夜にPCで読むのがオススメですよと。

あと、スマホなら「PC版で読む」ボタンを押すと、
拡大や縮小がきくので、
融通の利かないスマホ版で読む理由はないと思います。
(普段スマホで書いてて、アップした記事の確認はそれでやってたり)
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不安と確信を行き来する

ものづくりは常に不安と確信の繰り返しだ。

白紙を前に夢想した白昼夢を手がかりに、
具体的設計を組んでは、その出来の悪さに失望したり、
その白昼夢通りになっていることに満足したり、
客観的になってその白昼夢がそもそも子供の夢想と気づいて、
恥ずかしくなってしまうことの、
繰り返しだ。

それが可能なのは、最後まで書けてからの話だが。

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posted by おおおかとしひこ at 09:42| Comment(0) | TrackBack(0) | 脚本論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

書けない人用のトレーニング:冒頭を飛ばす

書けない人用の強制トレーニング。

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一気読みを何度もしよう

脚本は楽譜のようなものだ。
1ページが1分相当のフォーマットな訳だから、
それは小説のような尺と内容が関係ないものではなく、
尺と内容が直結した関係のものである。

音楽のようなもので、
始まったら終わるまで止まらない前提である。

にも関わらず、一気読みをあなたは何度やっただろう。
数える程度しかしてないのは、
おかしいよね?

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posted by おおおかとしひこ at 00:42| Comment(0) | TrackBack(0) | 脚本論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年10月04日

800字で梗概を書こう

以前にも梗概のススメを書いたけど、
マジこれは役に立つぞ、
と思ったので再びオススメしておく。

梗概がちゃんと書けるときは、
客観的になっている時だけだからだ。

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ストーリーが書けない理由追記:世界の創造

ストーリーを書くことの障害のひとつに、
世界観の創造があるのでは、という話。

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2015年10月03日

中盤のシャッフル

リライトのときの話。

二幕のブロックをシャッフルし直すことは、
かなりよくあると思う。

一幕のシーンを二幕にこぼして持ってきたりすることもある。

二幕は面白おかしい展開ほど優れる訳だから、
因果関係の展開よりも、
面白さが広がっていく感じを大事にした方がいい。
ということで、これとこれを入れ換えてはどうか、
これを先にやって、だいぶあとにあるこっちをもってきて、
なんて、リライトのときに試行錯誤することはしょっちゅうだ。

そのときのTIPS。

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posted by おおおかとしひこ at 23:19| Comment(0) | TrackBack(0) | 脚本論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

「書きたいのだが書けない」は本当か?

多くの初心者にとって、この悩みはポピュラーだと思う。
しかしよく考えてみると変な話だ。
書きたいのなら、書けばいいからだ。

実は「書きたいのだが、書けない」という悩みは、
別の問題を抱えているときの言葉だと思う。

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2015年10月02日

こういうとき、こういうこと言うかなあ

今日は台詞のリアリティーの話。

「こういうとき、こういうこと言うかなあ」
と直感で疑問に思うことは大事だ。

文脈と台詞にギャップがあって、
台詞にリアリティーがない、
ということを意味する可能性がある。

リライトのチャンスととらえよう。

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2015年10月01日

台詞は、半分以上観客に言っている

台詞は目の前の相手に言うのではない。

相手に言いながら、観客にも言っている。

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削ったり増やしたり

そこを増やすことは、
内容を豊かにすることだ。
想像力を刺激し、連想を増やし、含みを持たせる。

そこを削ることは、
スピードを上げることだ。
余計な贅肉を落とし、余談をやめて、
カットすることでむしろ内容を豊かにする。

どっちにするべきか、選択基準は。

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posted by おおおかとしひこ at 10:49| Comment(0) | TrackBack(0) | 脚本論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

昔の人のパクりと今の人のパクり

昔の人のパクりは、記憶からパクった。
元ネタから大分変形し、改変されたいい加減な記憶を元に、
自分の手で一から作っていた。
だから結局その人の個性が出て、
自家薬籠中のものが出来上がっていたのだ。
結果的に、それはオリジナルをつくったことになった。

ビーフシチューを伝聞だけでつくったら、
肉じゃがという新しい料理を作ってしまったのと同じだ。

デジタル時代のパクりは、
ネット検索で出てきた、今目の前にあるものを無劣化でコピペ出来る。
だからばれないようにわざと劣化させて、
さらに組み合わせて、さらに劣化させる。

今のパクりは劣化だ。
昔のパクりは昇華だ。
方向性が、結果的に真逆だ。


あなたがパクりをしたいなら、
資料を一切見ず、記憶からパクり、
なおかつ自分のやり方を使って作品を作ることだ。
それはばれないどころか、称賛される。
だって一点のパクり以外は、
あなたは殆どポジティブ方向に力を使ったからだ。

デジタル時代のパクりは、
劣化隠蔽という、ネガティブ方向にしか力を使っていない。
僕が佐野を非難しているのは、そこだと思う。

デジタルは人を幸せにしない。
人の品性を地に落とす。
posted by おおおかとしひこ at 02:15| Comment(0) | TrackBack(0) | 脚本論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする