2015年10月01日

台詞は、半分以上観客に言っている

台詞は目の前の相手に言うのではない。

相手に言いながら、観客にも言っている。

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posted by おおおかとしひこ at 14:42| Comment(0) | TrackBack(0) | 脚本論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

削ったり増やしたり

そこを増やすことは、
内容を豊かにすることだ。
想像力を刺激し、連想を増やし、含みを持たせる。

そこを削ることは、
スピードを上げることだ。
余計な贅肉を落とし、余談をやめて、
カットすることでむしろ内容を豊かにする。

どっちにするべきか、選択基準は。

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posted by おおおかとしひこ at 10:49| Comment(0) | TrackBack(0) | 脚本論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

昔の人のパクりと今の人のパクり

昔の人のパクりは、記憶からパクった。
元ネタから大分変形し、改変されたいい加減な記憶を元に、
自分の手で一から作っていた。
だから結局その人の個性が出て、
自家薬籠中のものが出来上がっていたのだ。
結果的に、それはオリジナルをつくったことになった。

ビーフシチューを伝聞だけでつくったら、
肉じゃがという新しい料理を作ってしまったのと同じだ。

デジタル時代のパクりは、
ネット検索で出てきた、今目の前にあるものを無劣化でコピペ出来る。
だからばれないようにわざと劣化させて、
さらに組み合わせて、さらに劣化させる。

今のパクりは劣化だ。
昔のパクりは昇華だ。
方向性が、結果的に真逆だ。


あなたがパクりをしたいなら、
資料を一切見ず、記憶からパクり、
なおかつ自分のやり方を使って作品を作ることだ。
それはばれないどころか、称賛される。
だって一点のパクり以外は、
あなたは殆どポジティブ方向に力を使ったからだ。

デジタル時代のパクりは、
劣化隠蔽という、ネガティブ方向にしか力を使っていない。
僕が佐野を非難しているのは、そこだと思う。

デジタルは人を幸せにしない。
人の品性を地に落とす。
posted by おおおかとしひこ at 02:15| Comment(0) | TrackBack(0) | 脚本論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする