台詞は目の前の相手に言うのではない。
相手に言いながら、観客にも言っている。
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2015年10月01日
昔の人のパクりと今の人のパクり
昔の人のパクりは、記憶からパクった。
元ネタから大分変形し、改変されたいい加減な記憶を元に、
自分の手で一から作っていた。
だから結局その人の個性が出て、
自家薬籠中のものが出来上がっていたのだ。
結果的に、それはオリジナルをつくったことになった。
ビーフシチューを伝聞だけでつくったら、
肉じゃがという新しい料理を作ってしまったのと同じだ。
デジタル時代のパクりは、
ネット検索で出てきた、今目の前にあるものを無劣化でコピペ出来る。
だからばれないようにわざと劣化させて、
さらに組み合わせて、さらに劣化させる。
今のパクりは劣化だ。
昔のパクりは昇華だ。
方向性が、結果的に真逆だ。
あなたがパクりをしたいなら、
資料を一切見ず、記憶からパクり、
なおかつ自分のやり方を使って作品を作ることだ。
それはばれないどころか、称賛される。
だって一点のパクり以外は、
あなたは殆どポジティブ方向に力を使ったからだ。
デジタル時代のパクりは、
劣化隠蔽という、ネガティブ方向にしか力を使っていない。
僕が佐野を非難しているのは、そこだと思う。
デジタルは人を幸せにしない。
人の品性を地に落とす。
元ネタから大分変形し、改変されたいい加減な記憶を元に、
自分の手で一から作っていた。
だから結局その人の個性が出て、
自家薬籠中のものが出来上がっていたのだ。
結果的に、それはオリジナルをつくったことになった。
ビーフシチューを伝聞だけでつくったら、
肉じゃがという新しい料理を作ってしまったのと同じだ。
デジタル時代のパクりは、
ネット検索で出てきた、今目の前にあるものを無劣化でコピペ出来る。
だからばれないようにわざと劣化させて、
さらに組み合わせて、さらに劣化させる。
今のパクりは劣化だ。
昔のパクりは昇華だ。
方向性が、結果的に真逆だ。
あなたがパクりをしたいなら、
資料を一切見ず、記憶からパクり、
なおかつ自分のやり方を使って作品を作ることだ。
それはばれないどころか、称賛される。
だって一点のパクり以外は、
あなたは殆どポジティブ方向に力を使ったからだ。
デジタル時代のパクりは、
劣化隠蔽という、ネガティブ方向にしか力を使っていない。
僕が佐野を非難しているのは、そこだと思う。
デジタルは人を幸せにしない。
人の品性を地に落とす。