2015年11月30日

何も浮かばない?

「シナリオ 何も浮かばない」という検索ワードで来た人がいて、
目を疑った。
そんなバカな、である。

お話の作り方が、なってないぞ。

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posted by おおおかとしひこ at 17:44| Comment(0) | TrackBack(0) | 脚本論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

【追悼】水木大妖怪先生

大往生、というのでしょうか。
遷化、というべきでしょうか。
大先生はニコニコしながら冥界へ帰ってしまわれたようです。
手塚、藤子、石森、やなせ各大先生よりも長生きとは。

「妖怪もの」が今日あるのも、鬼太郎がルーツといえましょう。
勿論、宇治拾遺やら霊異記やら、百鬼夜行が古典なのでしょうが、
映像においては、鬼太郎が中興の祖というより元祖に近い。

水木先生がいなかったら、てんぐ探偵もないと思います。
ゲゲゲの女房がなかったら、
僕が監督した「割れたせんべい」もなかったです。

あまりにも偉大すぎて、
僕には歴史上の事実にしかうつっていませんが、
ひとりの人間が亡くなったことに、哀悼の意を示します。
ここ最近冷え込んだものね。

継げるかどうか分かりませんが、てんぐ探偵が一部継ぐ覚悟です。
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事件による三つのジャンルわけ

ストーリーとは事件と解決だ。その過程だ。
だとすると、
事件によってジャンルわけが出来るのではないかと考えた。

次の三つだ。


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2015年11月29日

無意識と意識の往復

物語を書き終えてしばらく経って、
俯瞰してみると、
自分の無意識がその中に反映されていることに気づくと思う。

全て自分の意識で書いていた、
全て自分がコントロールしていた、
という執筆中の真逆とは違ってだ。

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2015年11月28日

異質なものを混ぜていく

鍋をつくるとしよう。
ラーメンのスープでもいい。

まず水をはり、基礎となる材料を投入だ。
鍋なら昆布。豚骨ラーメンなら豚骨か。
まず水と、
最初の異質なものを火を炊いて混ぜ合わせる。

馴染ませる、といった方がいいかも知れない。
100%均質なものになるまで混ぜなくていい。
水に昆布が馴染んだ頃、
水に豚骨が馴染んだ頃。
次のまた異質なものを投入していく。

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全ての物語は、得る話か失う話である

また極論してみる。

全ての物語は、ふたつにわかれる。
何かを得る話か、
何かを失う話だ。

前者をハッピーエンドといい、
後者を非ハッピーエンドという。
(バッドエンドは、非ハッピーエンドの中でも最悪のもののひとつで、
全てがバッドエンドではないため、非ハッピーエンドと大くくりにする)

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posted by おおおかとしひこ at 14:34| Comment(1) | TrackBack(0) | 脚本論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

調べてから書くか、調べながら書くか

調べものは大事だ。
知っていることなら詳しく書けても、
知らないことは詳しく書けない。

そして人は知らないことを知りたい。

人々が知らないことを知るように書くのは、
ふたつしかない。
あなたが詳しいことを書くか、
あなたが知らないことを詳しく調べて、詳しくなるかである。

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posted by おおおかとしひこ at 11:48| Comment(0) | TrackBack(0) | 脚本論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年11月27日

人生の謎を解く

物語はなんの為にあるのか。
僕は、人生の謎を解く為にあると思っている。

どれだけ「物語の書き方」の謎を解いても、
人生の色々な秘密や謎を解く事をしないのなら、
本末転倒というものだ。
(むしろ、後者が面白ければ、前者なんて破綻してもいいのだ)

この脚本論は、形式について書いている。
内容の部分については、教える事はできない。
なぜなら、
人生をあなたがどう考え、あなたが謎を解く事が、
物語の結論、すなわちオリジナリティーになるからである。

勿論、どこかで見たようなことをやっても意味がないし、
殆どの人が理解出来ない真実を示してもしょうがない。
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ハッピーエンドでない物語

僕は初心者には、
ハッピーエンドでない物語を書くことはオススメしていない。
死ぬ俺カッケーみたいな、中二病になりがちだからだ。
(結局メアリースーに取り憑かれるのなら、
ハッピーエンドだろうがそうでなかろうが同じかもだが)

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posted by おおおかとしひこ at 10:54| Comment(0) | TrackBack(0) | 脚本論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年11月26日

三日坊主

シナリオを書き始めたのだが、すぐに挫折する、
というポピュラーな現象は、
三日坊主のメカニズムと同じでは、という説。

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posted by おおおかとしひこ at 17:22| Comment(0) | TrackBack(0) | 脚本論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

めくるめく世界へつれて行く

よくできたフィクションは、
我々の日常とは、全然違う、
楽しくて、ワンダーランドで、ぞくぞくする、
あるいは痛みを伴う、哀しい、
めくるめく世界へつれてってくれる。

あなたの作るおはなしも、そうでなければならない。
どうすればいいのだろうか。

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posted by おおおかとしひこ at 14:27| Comment(0) | TrackBack(0) | 脚本論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

駄目な宣伝部は、滅びよ

僕は長年広告業界にいるので、
商品の売れ行きと広告の関係についてよく知っている。
商品がよくて広告もいいのが大ヒットして、
商品か広告がどちらかがいいのはヒットする。
商品も広告もよくないのはヒットしない。

つまり、広告によって、よくない商品の時でもヒットが可能だ。
また、そこそこいい商品なのに、広告が駄目なせいで、
そのパイ以上に伝わらず、役目を終えたら消えていくものもある。

どちらも経験している。

また、先日も「十月十日の進化論」の電車広告があまりに酷いので、
抗議批判した。


自分の例で言えば、
ドラマ「風魔の小次郎」、映画「いけちゃんとぼく」の広告には、
不満である。
商品の情報を正しく整理できていないし、
それを無視した広告独自の判断も、魅力的ではないからだ。

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posted by おおおかとしひこ at 11:34| Comment(0) | TrackBack(0) | 脚本論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年11月25日

【壬生】ウインクしてんじゃねえよ!

脱臭炭CM、見れました。
エステーは月9の枠を持ってて、かつては破壊力があったものだが、
今の月9で流行るのか不明。

ていうかウインクしてんじゃねえよ!
そこで笑ったわ。
おめでとう壬生。お前を語り継ぐぜ。
(役名で呼ぶのが風魔ファンのデフォで、
それはやはり作品を愛してくれてる証拠だと思い、
あえて壬生呼びだ!)

風魔後のCMに呼べずにすまん。がんばる。
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共感と分析的思考

「カラパイア」に面白い記事を見つけたので。

なぜ詐欺師にだまされてしまうのか?
脳は他者への共感と分析的思考を同時に処理できない(米研究)
http://karapaia.livedoor.biz/archives/52108365.html

脚本を書くとき、
僕は、ロジックメインのプロットを練り、
(感情的な反応などもロジカルに考え)
その後、執筆時にはロジカルに考えず、
感情移入が赴くままにその人になりきって、
憑依型で書いている。

つまりこの記事で言う、
分析的思考と他者への共感を、
全く別の段取りに(無意識に)分けてやっていることになる。
へえ。

ご参考までに。
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バリア

脚本用語のひとつ。
前記事の逆風を書いていて、まだこれを解説してないなと思って、
書くことにする。

バリアとは、
行動に対して、乗り越えられない壁のこと。
つまり、
ある行動をした結果、何かの壁にぶち当たり、
にっちもさっちも行かなくなることだ。

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posted by おおおかとしひこ at 01:39| Comment(0) | TrackBack(0) | 脚本論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

積極的行動と逆風

前記事のつづき。

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主人公が積極的に行動するのはどこか

厄介な事件が起きる。
主人公は、なるべくそれを避ける。

あるいはずっと続く日常。
主人公は淡々と続けながらも、
いつか別の場所へゆきたいと願っている。

そんな主人公が、積極的な行動をするのはいつか?

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2015年11月24日

映画監督の勉強2

ついでに。こういう教養が必要かな。

物語の勉強。小説、演劇、漫画、小噺、怪談など。当然、古今東西の映画。
芝居の勉強。肉体を使う表現。発声、舞踏、バレエや歌も。武術やスポーツも。
写真の勉強。絵画の勉強。書やデザインの勉強。
立体の勉強。建築、彫刻、雑貨などなど。
音楽の勉強。西洋から東洋からクラシックから現代まで。
技術の勉強。そもそもカメラは何故うつるのか、CGは。理系のこと。
服飾やメイクの勉強。流行と歴史的スタイリング。素材のこと。
生きることの知恵みたいなもの。宗教やTIPS、おばあちゃんの知恵とか世間知。
日本の文化の勉強。自国のことはアイデンティティーの一部だという自覚も。


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詩ということ

前記事のつづき。

詩とは何か。純文学は詩にたとえられる。
じゃあ詩ってなんだろう。
訳の分からないもの?

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2015年11月23日

その純文学へ、全員を連れていけるか

前記事の続き。

こうとしか表現できないような感情。
それが存在するのは分かる。
繊細で、複雑で、入り組んだ、人間を描くとはそういうことだ。

だがしかし。
その感情へ、全員を連れていけるか?
あるいは、全員を連れていくことに意味があるか?

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エンタメ小説と純文学の違い2

この項をさらに深く考えてみる。

純文学は詩だという説。

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2015年11月22日

映画監督の勉強

という検索ワードがあったので、書いてみる。

ホンの勉強、
現場の勉強、
編集の勉強、
政治の勉強、
の四つがいりそうだ。

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ストーリーの骨格をどこで決めるか

作者自身が分からなくなることが、よくある。
ストーリーの骨格を、どの要素で考えるべきかをだ。

そういうときは、「公式行事」で捉えるといい。

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posted by おおおかとしひこ at 03:35| Comment(0) | TrackBack(0) | 脚本論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

激しい感情のぶつかり合いは何か?

こう聞いて答えられないのなら、
あなたの作品には、たいしたコンフリクトがないのかも知れない。
(ツタヤで流れてる映画紹介のなかに、
激しい感情のぶつかり合いが…なんてのがあって、
それどの映画でもそうやろ!と突っ込んでしまい、
はたと気づいた。
明確なコンフリクトなきダメ映画は、
感情のぶつかり合いなんてないのかもだ)

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posted by おおおかとしひこ at 00:49| Comment(0) | TrackBack(0) | 脚本論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年11月21日

エンタメ小説と純文学の違い

小説入門的サイトを今更徘徊してたりするのだが、
どこかで見たこの分類がとても心に残った。

エンタメは、ストーリーに付随する感情や落ちを書く。
純文学は、ストーリーよりも、いかに詩的に書けるかだ。

というものだ。

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お楽しみポイントから考える方法

二幕前半はとかく難しい。

とくに一幕から順に書いたとき、
大抵息切れしてしまうポイントだと思う。
第一ターニングポイント後の二幕前半は鬼門だ。

そう思うのなら、そこから書いてしまえという方法論。

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2015年11月20日

秘密の共有

ラブストーリーには、大抵ある要素。

誰にも言っていなかった過去の秘密を、言い合うこと。
人と人が仲良くなるには、こういう魔法のかけ方がある。

分かりやすい例はディズニー「塔の上のラプンツェル」
のミッドポイントあたりに見ることができる。
かなり唐突だからだ。
分かっていても、なんだか感情移入してしまうものである。
外に向けている面と内に秘めたもののギャップ、
というギャップ効果もある。

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過去の因縁

主人公が○○なのは、
実は過去に△△があったからだった…。

よくあるパターンだ。
この因縁を一幕で描くか、二幕で描くかで、
過去の重みが変わってくる。

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2015年11月19日

プロットは難しい?3

結局、プロットを書くときに物凄く悩むのは、
そのたったひとつの面白ポイントを、
ひとつに決めきれないことではないだろうか。

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プロットは難しい?2

プロットが難しいんじゃない。
面白い部分を思いつくのが難しい。

と前記事で結論づけた。
そうか?

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プロットは難しい?

プロットは難しい、という検索ワードで来た人がいた。

そうかな?難しくないよ。
たとえば「桃太郎」。

川から流れてきた巨大な桃をまっぷたつにすると、
中には赤ん坊が!
彼は桃太郎と名付けられ、成長すると鬼退治に。
イヌサルキジを家来につけ、鬼退治をする。

ぐらいでいいよ。

問題は、「で、どこが面白いの?」
と悩みはじめてからだろう。

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2015年11月18日

誇大妄想

自分は特別なのだと誰もが思いたい。
しかし、だからこそなのか、
他人が自分が特別だなどと自称するのは気分が悪い。

自慢話もいい加減にしろと飲み屋で思うのは、
つまりはそういうことだ。

飲み屋なら酒の席で無礼講だ。
これが創作になると厄介だ。
それはメアリースーに化けて行く。

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語り直すこと

自分が知ってる短い話を、誰かに語ってみよう。
「桃太郎」ぐらいでいい。

それを、もう一度語ってみよう。
それがリライトということだ。

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どうしてCGはよくないのか

どうしてこれCGと言われるとガッカリするのだろう。
なんだ、本物じゃないのか、とガッカリするのだろう。

逆に言うと、本物が写っていると興奮するということだ。
これホントにやったんだ!ということに。

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2015年11月17日

他人と自分、統計と個人、共感や置き換え

たとえば女性が、
「電車に痴漢が多くて困る、これは社会問題だ」と言うと、
男は「全ての男は痴漢じゃない」と、
「俺個人は悪くないし、俺を犯罪者扱いしないでくれ」
と思う。

たとえば、
「早生まれ(1-3月生まれ)は、同学年の子供たちに対して発育が遅いため、
小学校においては体育など不利で、成功体験を積めず、
人生を切り開く力に乏しい
(実際、プロスポーツ選手には4-8月生まれの人たちが圧倒的に多い。
これは統計的事実)」
という説を聞くと、
「俺は3月生まれだが、そんなことはなかった」と反論する人がいる。

集団の話をしているのに、自分個人に引き付けて考えるのは、
共感の力である。
抽象的な人間を、自分という人間に置き換える理解である。
これが、誤解を生む原因だ。

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大まかなプロットが出来たら、登場人物の空気を吸おう

僕は新作を書くとき、
アイデアが出た→どんな話になるかぐねぐね考える
→どにかく魅力的なオープニングとか、具体的な場面を先に考えて核にする
→全体の骨格を作る、プロットに書き出すか、独自のフォーマットでメモする

まで出来て、全体を俯瞰出来るものを作ったあとは、
登場人物の空気を吸うようにしている。

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2015年11月16日

映画企画「UFOライダース」

作品置き場の本来の使い道、没企画を置いておきます。

映画企画です。タイトルを「UFOライダース」。

ツタヤクリエイターズプログラムの公募に落選したので、
誰か拾いませんか、という意味で置いておきます。
まずは映像イメージをご覧下さい。
https://youtu.be/VavDDIugK_U
ストーリーはこうです。
UFO_Riders_story.pdf

以下、解説と資料です。

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posted by おおおかとしひこ at 16:37| Comment(8) | TrackBack(0) | 作品置き場 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

カレンダーを作ってみよう

地図を作ることについて、過去に書いた。
主人公が住んでいるところや、
話が起きる現場の地図を作ることは、
話の中のリアリティーや空気のようなものを、
自分のなかに構築するのにとても有効だ。

関ヶ原合戦を描くのに、現場の関ヶ原に行ってみることは、
行かずに想像で書くより、多くのリアリティーをもたらすだろう。
(たとえ全然今が都会化されていたとしても)

さて、これらは空間に関する方法論。
時間に関してもやってみよう。
つまり、作中のカレンダーを作るのだ。

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疑問に答えていく

話がうまい人と下手な人の差はなにか。

うまい人は、話をまず振ったときに、
人々が疑問に思うことがわかる。
その疑問に答えていくように、話を進める。

面白い話は全てミステリーである、という言い方もある。
疑問を与え、その謎解きこそがストーリーであると。

そこまで極端じゃなくてもいい。
ん、ということはこれはこうなの?とか、
それじゃこういう反例があるんじゃない?という疑問に、
優れたストーリーテラーは素早く反応し、
その疑問を氷解させて行く。
だから「分かる」になり、「面白い」になると思う。

どうすればそういう感覚がつくか?
「観客として自分の話を聞くこと」しかないと思うよ。
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最初に主人公を傷つけよう2

注意すべきことは、
この方法論は、容易にメアリースーを生んでしまうことである。

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最初に主人公を傷つけよう

必ずしもそうしなくてはいいけど、
なんとなくこれをしとくと楽になる。

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2015年11月15日

筋書きのないドラマ

よくスポーツにこれが冠せられる事がある。

そもそもの意味は、
スポーツは台本があるドラマがあるわけではないのに、
時に台本があるドラマ以上にドラマチックになることがある、
ということだと思う。

「筋書きのないドラマ」は、
アドリブだらけのぐだぐだのことではない。
誰か他の人が筋書きを書いてないのに、
まるで筋書きがあるようなドラマチックなことを言う。

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進んで変化する人はいない2

人が内面的に変化するのは、次の二つだ。

環境や外部の事情によって、強制的に変えられた場合。
(彼は変わってしまった)
自ら望んで変わる場合。
(彼は成長した、考えをガラリと変えた)

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進んで変化する人はいない

人間というものは、なるべく現状維持を好むものだ。
環境が多少変化しても、
自分の内面はなるべく同じに保とうと工夫する。
習慣の維持や趣味の維持などによって。

内面を変えようとする誰かまたは何かがいるなら、
激しく抵抗する。それは洗脳だからだ。
出来るだけ、否、どうしても、人間は内面の変化を拒む。


にも関わらず、物語とは人間の変化を描くものである。

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2015年11月14日

カット割入門2

前回はテレホンショッキング配置の基本を解説した。

実は、これは最後まで守るべき原則であり、
カット割に関してこれ以上はないのだ。

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ワードの字下げ

実用上の話。
エディタにワードを使う人は多いだろう。僕もだ。
ところで検索ワードを見ると、
「ワード 三文字下げ」というのがあった。
ト書きの三文字下げを、いちいち全角スペースで埋めていくのは面倒なので、
自動化する方法はないのだろうか、という悩みだろう。

ズバリ答える。
手でやれ。
(台詞の二行目以降の一文字下げもだ)

その程度の手間など、シナリオを書く手間を100とすれば、
1に満たない。
庭掃除だと思ってやりなさい。

リライトの時面倒だよね。
インデントだとワードのバージョンが違ったり、
winとmac行き来したりするとおかしくなるよね。
pdf化したときなんかずれることもあってイライラする。
実用上、おかしなことが起こるから、手でスペースを入れることにしている。


僕は執筆は白紙に手で書き、打ち込んで清書とし、
リライトは紙焼きに手で書き込み、打ち込みファイルを修正する。
つまり、執筆と清書を段取りで分けている。
ワード上で執筆と清書を同時に出来ないと覚悟したからだ。

ということで、スペースを入れる手間は、清書の工程に含むので、
思考を邪魔されない。
誤字脱字探しや表現を練ることは清書工程と割りきるので、
一見無駄手間だけど合理的だと思います。


あ、ワードでもうひとつ。
シーンの頭「○」のあとに場所(と時間)を書いたあと、
リターンを押さないこと。
箇条書きモードが勝手にはじまって、インデントが変わるからだ。
横矢印ボタンでカーソルを移動させるといいよ。


縦中横やら…のことやらあるし、
第一執筆の時は誰の発言か書かずに省略して、
「」「」「」とラリーを書いて清書のときに名前を入れる。
ワードは「写植器」と思い、「執筆道具」扱いしていないです。
執筆道具は紙とペンには敵わない。

効率悪いって?
最も面白いものを書くために、
効率のいいことをやってるだけです。
それは、執筆にノイズを入れないことだと思う。
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2015年11月13日

あなたがストーリーをばんばん書けないのは、人生経験が足りないから(かも)

前記事の続き。

つまり、フィクションの物語というものは、
人間とは、社会とは、こういうものである、
こうあるべきではないか、
という真実を戯画化するために、
フィクション(架空)の設定と構造を利用して描くことである。

真実の設定と構造を使うよりも、
真実がより引き立ち、分かりやすい構造にするために、
架空の設定と構造を利用するのが、
フィクションという物語形式である。

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物語は人類に不要か

人は何故物語を見るのか。
よく言われる論は、
「生活必需品ではない」という根拠である。
飯や寝床や服ではない。
エアコンや洗濯機やテレビやネットのような、
準必需品でもない。
筆記用具や紙のような、ないと困るものでもない。

酒や煙草と同様、嗜好品であると。
いわば贅沢品扱いである。

本当にそうだろうか?

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2015年11月12日

何故正論は嫌われるのか

ロジックということをずっと考えていて、少し分かったこと。

何故正論は嫌われるのか?についての、
僕なりの観察。

殆どの人は、論理的にものを見ていないからである。

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最初の日の朝

僕は27年慣れ親しんだ関西を出て
(7年京大でうだうだした時代を経て)、
東京のCMプロダクションの演出部にやって来た。
アマチュア監督時代に、アマチュア大学生のぬるさや志の低さがとても嫌で、
やっぱり関西だから真剣に映画のプロなんて誰も志してなくて、
プロになりたくて、東京の演出部採用がとても嬉しかった。
大好きな大阪と京都とそこに住む人たちと別れて、
知らない土地に住むことはとても辛くて恐かった。

4月1日。まだ会社研修とか制作部研修とか半年あるけど、
念願の「プロとしての初めての朝」だ、と僕は思い、
最初の第一歩を部屋の外に踏み出した日のことは、
生涯忘れないと思う。

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posted by おおおかとしひこ at 17:09| Comment(0) | TrackBack(0) | 脚本論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする