2015年11月17日

他人と自分、統計と個人、共感や置き換え

たとえば女性が、
「電車に痴漢が多くて困る、これは社会問題だ」と言うと、
男は「全ての男は痴漢じゃない」と、
「俺個人は悪くないし、俺を犯罪者扱いしないでくれ」
と思う。

たとえば、
「早生まれ(1-3月生まれ)は、同学年の子供たちに対して発育が遅いため、
小学校においては体育など不利で、成功体験を積めず、
人生を切り開く力に乏しい
(実際、プロスポーツ選手には4-8月生まれの人たちが圧倒的に多い。
これは統計的事実)」
という説を聞くと、
「俺は3月生まれだが、そんなことはなかった」と反論する人がいる。

集団の話をしているのに、自分個人に引き付けて考えるのは、
共感の力である。
抽象的な人間を、自分という人間に置き換える理解である。
これが、誤解を生む原因だ。

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posted by おおおかとしひこ at 14:36| Comment(0) | TrackBack(0) | 脚本論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

大まかなプロットが出来たら、登場人物の空気を吸おう

僕は新作を書くとき、
アイデアが出た→どんな話になるかぐねぐね考える
→どにかく魅力的なオープニングとか、具体的な場面を先に考えて核にする
→全体の骨格を作る、プロットに書き出すか、独自のフォーマットでメモする

まで出来て、全体を俯瞰出来るものを作ったあとは、
登場人物の空気を吸うようにしている。

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posted by おおおかとしひこ at 12:36| Comment(0) | TrackBack(0) | 脚本論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする