2016年01月31日

魅力的な登場人物の作り方

イケメンとか美人なのが、人気になるわけではない。
カワイイとか個性的なのが、人気になるわけではない。
人間の魅力をそうだと思っているなら、
あなたは見た目でしか他人を判断していないし、
きっと他人を本気で好きになったことがないのだろう。

人間の魅力は、長所と短所のペアで決まる。

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posted by おおおかとしひこ at 15:07| Comment(0) | TrackBack(0) | 脚本論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年01月30日

そもそも、俺が書いた話はなんなのか

リライト論。

必ずこれを、毎度毎度考えること。

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posted by おおおかとしひこ at 13:44| Comment(0) | TrackBack(0) | 脚本論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

リライトでやりがちなこと

第一稿を書き直す。
足りなかった部分を補おうとして。

ついついやってしまう、リライトの誤り。

○序盤に余計な設定を足してしまう
○展開部に、キャラたちのほのぼのな日常を加えてしまう
○クライマックスを長くしてしまう
○後日談を長くしてしまう

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posted by おおおかとしひこ at 08:47| Comment(0) | TrackBack(0) | 脚本論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年01月29日

楽するな、苦労せよ

人生楽勝。なんでもうまいこと行ってラッキー。
そんなものを見て何が面白いんだ。
面白いのは、他人が苦しんだり不幸のどん底に落ちたり、
這い上がってはまた失敗したりする様だ。

ベッキーがうまいこと行ってるより、暴かれる方が見たいのだ。
SMAPが笑顔でいるより、解散のピンチとゴタゴタと、
なんだか不穏な感じを見たいのだ。
絶対安全圏からね。
動物園の鑑も同じ。

人は、平和で幸福なんか見たくない。
人は、不幸を見たい。

あなたは、それを創作しなければならない。

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posted by おおおかとしひこ at 09:18| Comment(0) | TrackBack(0) | 脚本論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年01月28日

CR風魔の小次郎試打動画

あがってますね。

わたしゃパチンコやんないのですが、
コレジャナイ感満載。
今っぽい絵は風魔に合わないし、車田フォントつくってないし、
CGのモデリングはジョジョとか喧嘩家業みたい。

聖剣戦争編の実写化は、これじゃエフェクト合戦にしかならんよね。

パチンコの版権ものって、
エフェクトとモデリングさえあれば何でもいいんですかねえ。
既存の何かを、風魔でも使いまわしできるぞ、ってとこが出発点な気がする。

僕は生粋の原作ファンなので、今回はパス!

(1/31追記:さらに動画が上がった模様。
風魔夢幻陣が超高速で笑う。
そして、漫画モードの書き文字に、
「ザシャア」も「ガカァッ」もないだと…?
ドラマの効果音で作れなくて、俺が諦めたものが…
なんにもこいつら分かってねえぞ…!)
posted by おおおかとしひこ at 20:18| Comment(2) | TrackBack(0) | 実写版「風魔の小次郎」 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

短編を練る利点:省略を覚えること

短編を沢山書くことを、僕は推奨している。
5分(5枚)でも15でも30でもいい。
とにかく長編じゃない、短編だ。
数をこなせばこなすほど、初期の頃は上手くなる。
だから若いうちになるべく数をこなすべきだ。

色々なパターンの、序盤中盤終盤を書いたり、
色々なパターンの、キャラクターや人間関係を書いたり、
色々なパターンの、スタンダードや特殊に触れられるので、
とてもよい。

ところで、短編の豊富な経験でしか積めないものがある。
省略の練りである。

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posted by おおおかとしひこ at 13:30| Comment(0) | TrackBack(0) | 脚本論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年01月27日

映画と小説の違い:三人称以外の描写

映画と小説の違いは、映像のあるなしではない。
地の文が大きな違いだ。
それにより、表現されるストーリーの本質すら異なってくる。

映像は三人称表現であり、
文章は三人称表現と、一人称表現を混在させてよい。
(原則は混在させないが、現代では認めている)
これがストーリーの本質を異ならせている。

短い例を仕入れたので議論してみよう。

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posted by おおおかとしひこ at 23:41| Comment(0) | TrackBack(0) | 脚本論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

二次創作と(一次)創作の違い

表にまとめておく。

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posted by おおおかとしひこ at 17:28| Comment(0) | TrackBack(0) | 脚本論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

著作権印税についてちょっと愚痴る

アマゾンのアフィリエイトを調べていると
(やる気なのか)、
DVDの紹介料、2%なんすよ。

脚本の著作権印税1.75%より大きいんだぜ?

どういうことなんだってばよ。
商売って何?
posted by おおおかとしひこ at 11:03| Comment(0) | TrackBack(0) | 脚本論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

原作レイプに文句を言えるのは、作者とキャストだけかも知れない

土屋アンナ、勝訴おめでとう。

プロデューサーたちの原作レイプ放題に、
一石を投じてくれて。

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posted by おおおかとしひこ at 00:12| Comment(2) | TrackBack(0) | 脚本論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年01月26日

メートル単位のリライト

全ストーリーを、
自分の身長程度とイメージしよう。

リライトをするとき、
メートル単位のリライト、
10センチ単位のリライト、
センチ単位のリライト、
ミリ単位のリライト、
ミクロン単位のリライト、
がある。

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posted by おおおかとしひこ at 19:37| Comment(0) | TrackBack(0) | 脚本論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

誰によって不可逆になるか?

更に続けよう。

不可逆に状況がなってしまうのは、
誰のせいか?

主人公であるべきだ。

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posted by おおおかとしひこ at 13:40| Comment(0) | TrackBack(0) | 脚本論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

ストーリーは、どこで不可逆になるか?

決定的なのは、第一ターニングポイントであるべきだと思う。

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posted by おおおかとしひこ at 01:37| Comment(0) | TrackBack(0) | 脚本論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年01月25日

ストーリーの結節点

さらに続けます。

ストーリーとは、不可逆な変化を追うものである。
キャラクターだけだと、可逆変化を前提としている。
喧嘩しても仲直りが可能だ。

ストーリーとは、可逆だったものが、
不可逆になってしまった以上、
これからどうするかを追うものである。
(だから死ぬというのはよく使われる)

ストーリーの骨格における結節点は、
だから、物事が不可逆になってしまった部分を基準にとるとよい。

逆に言うと、
あなたのストーリーが全て可逆変化しか扱っていないのだとしたら、
それはストーリーでもなんでもない。


死を使うのは、不可逆変化ネタとしてポピュラーである以上、
それ以外で不可逆変化を作っていくと面白いだろう。
もとに戻らない、人や人間関係や環境の変化(自ら/強いられて/やむなく)
などに気をつけて、ストーリーを組んでいこう。
posted by おおおかとしひこ at 15:43| Comment(0) | TrackBack(0) | 脚本論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

キャラクターか、ストーリーか

一連の二次創作の作り方の議論は、
元をただせばここにたどり着く。

我々は何に夢中になるのか?
キャラクターか、ストーリーか?
ということに。

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posted by おおおかとしひこ at 15:35| Comment(0) | TrackBack(0) | 脚本論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

感情より、思考が遅れる

リライト論。

一気読みをしよう。
メモを取らず一気読みして、全体の「感じ」をつかもう。
あそこはもっと掘るべき、削るべき、
といったことは、全体の感じからしか、分からない。

そしてさらに大事なこと。
感想書きと分析をしよう。

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posted by おおおかとしひこ at 12:33| Comment(0) | TrackBack(0) | 脚本論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

むしろ、二次創作は一次創作の敵なのだ

更に続き。
敵に回すつもりはない。
仲良く共存するべきだとは思う。

敵だと思え、というのは、
我々が一次創作をするとき、
頭のなかに二次創作の方法論を忍ばせてはならない、
ということである。

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posted by おおおかとしひこ at 12:01| Comment(0) | TrackBack(0) | 脚本論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年01月24日

萌えとか好きという感情は、変化に弱い

更に続き。

萌えとか好きという感情は、変化に弱いのではないか?
成長や劣化で消える。
心変わりしたら消える。
永遠に変わらないものが好き。

だとすると、二次創作と物語は、
極論すると真逆だ。

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posted by おおおかとしひこ at 23:54| Comment(0) | TrackBack(0) | 脚本論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

二次創作のやり方では、一生オリジナルは書けない

今日のコメント返しに関連して。

色んな人を敵に回しそうだけど、
正直に書いてみる。

二次創作のやり方では、一次創作をすることは出来ない。

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posted by おおおかとしひこ at 23:23| Comment(0) | TrackBack(0) | 脚本論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

文字は媒介

文字は媒介にすぎない。
それで表される、目に見えないが頭の中に構築される、
世界やストーリーこそが、
我々が作るものだ。

ビジュアルや音楽や画面やフォントによらないもの。

動機と行動と変化する人間関係と、
その結末と、最終的にそれが何を意味しているか(落ち)。

目に見えるのは、行動や人間関係(の一部)、
結末ぐらいだ。
動機や変化や意味は、目に見えない。

それを、文字を媒介にして示しているだけである。
文字が大事ではない。
目に見えないそれが、大事なのだ。

目に見えないものだから、馬鹿は見えない。
だから、見えるもので釣る。
posted by おおおかとしひこ at 13:45| Comment(0) | TrackBack(0) | 脚本論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年01月23日

「AゆえにBする」を「PゆえにQする」に変更する

リライトの中規模構造をいじるとき、
要するにこういうことを変更しようとしているのである。
理由と、行動だ。

変更前を「AゆえにBする」、
変更後を「PゆえにQする」、
と定式化して、以下議論してみよう。

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posted by おおおかとしひこ at 16:04| Comment(0) | TrackBack(0) | 脚本論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

リライトは、撮影に対する編集である

監督なら分かるかも、の感覚の話をしてみる。

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posted by おおおかとしひこ at 14:35| Comment(0) | TrackBack(0) | 脚本論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

出落ち落ちの実例

ネットというのは面白い。
「キムタクが何度もタイムリープして、
SMAPの解散を阻止した」という都市伝説が生まれたと思ったら、
その実写映画の予告編までMADで出来上がった。
(面白いので検索してください)

さて、これは、面白い映画になるか?
脚本家として考えてみよう。

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posted by おおおかとしひこ at 13:32| Comment(0) | TrackBack(0) | 脚本論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年01月22日

BLの謎がひとつ解けた

裏と表の話。
我々男より、女の方が、
裏と表に通じている。


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posted by おおおかとしひこ at 15:07| Comment(0) | TrackBack(0) | 脚本論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

ストーリーが浮かばない人へ

「ストーリー」「浮かばない」などの検索ワードが、
一日数件いつもある。
みんなよっぽど浮かばないんだろう。
苦し紛れに検索しても意味ないけど、気持ちは分かる。

そういう人は、ストーリーを研究してるのかな。
ボールを投げられない人は、
ボールを投げる様を研究すると思うんだよな。

好きなストーリーを書き出して、部品に分解したりしないのかな。
前記事に書いた文脈という道具は、
いわばそのひとつひとつの部品だよね。
それらを組み合わせてもなおストーリーが浮かばないなら、
そもそもあなたは才能がないから、
苦労して浮かべなくていいと思うんだよな。

あるいは。
書きたいテーマを見つけない限り、
どんなストーリーも成立しない。
どんな事件に出会っても、
どんな設定に出会っても、
どんな人物に出会っても、ストーリーは浮かばないよ。
テーマからストーリーの概略を作ってから、
事件と人物と設定を「捏造する」のだよ。

ストーリーが浮かぶのは、オリジナルのいいテーマありきだ。
テーマを見つけることが、
僕は創作で一番難しいと思う。
テーマに関しては死ぬほど書いてるので、
過去記事を全部検索してください。
posted by おおおかとしひこ at 14:46| Comment(0) | TrackBack(0) | 脚本論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

創作とは暴力である2

ということで、じゃあそのパンチを確認しよう。

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posted by おおおかとしひこ at 13:44| Comment(0) | TrackBack(0) | 脚本論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

創作とは、暴力である

レイプといってもいい。

だっていきなり殴って、
引きずり込んで、
号泣させたり大爆笑するなどの、
感情を無理矢理コントロールするんだぜ?
あまつさえ終わったあとには、
思想さえ変えてしまうんだ。

思考様式の転向をも引き起こす、
これが暴力でなくてなんだ。

だから初手で思い切りぶん殴って、
息つく暇も与えずにメロメロにするんだ。
わざと休ませたと思ったらまた激しくするんだ。
そんなに誘いやがって、本当はこうされたかったんだろ?
と言うと、そうです、と言わせなきゃならない。

逃がすな。考えさせるな。考え始めたら、殴れ。
創作は、暴力だ。


上の文章で、「殴る」とは、「非常に魅力的な文脈の場面をつくる」
ということである。


事後ですら、また殴ってください、と、リピーターになるんだ。
自分が心酔する作家のことだ。
(僕は誰だろ。スピルバーグかなあ。でも宇宙戦争あたりから微妙だなあ。
車田先生もそうなんだけど、聖闘士星矢の黄金十二宮までなんだよなあ…)
posted by おおおかとしひこ at 13:13| Comment(0) | TrackBack(0) | 脚本論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

裏表が真逆の例

前記事と関連して。

一番簡単なのは、
女「ばか。(大好き)」
だ。()内が裏表記。

同じ表を、
完全なる悪口の文脈(小学生レベル)と、
相手を大好きな文脈(大人レベル)の、
真逆のふたつで使える。

げに女は恐ろしい。
常に表裏を使い分けている。
台詞は女脚本家のほうがうまい、
というのはこういうことかもね。
posted by おおおかとしひこ at 00:51| Comment(0) | TrackBack(0) | 脚本論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

リライトが上手くいかないのは、表裏が乱れるから

リライトがどうしても継ぎ接ぎっぽくなったり、
唐突感が拭えなかったり、
無理があったり矛盾したりするのは、
あとあとの都合で、
その前を変えてしまうことが殆どの原因のような気がする。

それをシミュレーションしてみよう。
文章には、表と裏がある。

表は、文字面上の意味で、
裏は、隠された真意だが言外の意味として明らかなもの。

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posted by おおおかとしひこ at 00:43| Comment(0) | TrackBack(0) | 脚本論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年01月21日

上手なリライトは、「それってこういうことだよね?」

リライトをするとき、
あなたは原稿を見ながらやることだろう。
しかしこれは、うまいこと行くときと、
行かない時がある。

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posted by おおおかとしひこ at 13:25| Comment(0) | TrackBack(0) | 脚本論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

モチーフとテーマの違い

いまだに検索ワードでよくこれがあるので。
過去でも沢山論じているので、
過去記事は検索してください。

ここで書いているモチーフとテーマの違いは、
あくまで僕の、
シナリオ執筆において書き手が意識して分けておくこと、
という意味でだ。

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posted by おおおかとしひこ at 09:43| Comment(0) | TrackBack(0) | 脚本論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年01月20日

各幕を書くのにかかる労力

一幕:二幕前半:二幕後半:三幕
=1:3:1:0.5
ぐらいかな。
僕的には。

昔から二幕前半が苦手で、
間延びしちゃうんだよなあ。
この欠点はまだ克服出来ていません。

一般的な数字も知りたいね。
二幕前半のどこかで大体挫折するんじゃないかなあ。
posted by おおおかとしひこ at 23:40| Comment(0) | TrackBack(0) | 脚本論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

人は、予測が合ってるか確かめたくて、続きを見る

予測が出来ない展開!
というのはよく言われる。
だからついつい、次どうなるんだ!
という「つづく」を用意しようと、
僕らは頭を捻るのである。

しかし、それだけではない、ということも知ろう。
何故人は続きを、興味をもって見るのか?

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posted by おおおかとしひこ at 14:43| Comment(0) | TrackBack(0) | 脚本論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年01月19日

エピソードで語れ

とよく言われる。こういうこと。

A「鬼塚はすぐ切れるヤバい奴なんだ」
B「そうかこええ」

ではなく、

電車で優先席が空いていて座ろうとしたら、
お婆ちゃんが座ろうとして、
それを「どけババア!そこは俺の席だ!」
と蹴り飛ばして座り、
ABがその婆さんに助けを求められ、
鬼塚に睨まれる。

というような場面を作れ、ということ。
どこにもヤバいという形容詞は入っていないが、
ヤバいとしか言いようがないのである。

あとはもっと酷いエピソードを思いついて、
入れ換えていけばいい。
posted by おおおかとしひこ at 15:22| Comment(0) | TrackBack(0) | 脚本論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

全体を眺める方法

リライト論。

梗概を書く方法については以前議論した。
今回のやり方はあんまり聞いたことないので、
僕独自かもしれない。似たようなことはみんなやってるだろうが。

各ブロックにサブタイをつけて、
その尺を横に書いて、一覧表をつくるとよい。

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posted by おおおかとしひこ at 14:51| Comment(0) | TrackBack(0) | 脚本論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

劇的な物語は、劇的な動機から生まれる

前記事に関連して。

劇的な展開や、結果だけが存在するのではない。
派手な場面、たとえば、
爆発とかチェイスとかロボットとか、
雨の中別れようと言ったり雪の東京タワーの前で告白が、
劇的なのではない。

劇的な動機こそが、劇的な物語の必要条件なのだ。

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posted by おおおかとしひこ at 12:50| Comment(0) | TrackBack(0) | 脚本論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

存在を脅かされること(海街ダイアリー批評3)

あの映画で、たとえば、
長女の不倫相手が、あの家に上がってきたら、
どんなに嫌だろう。

そんなの想像するのも嫌だろう。
自分達の聖域、踏み込まれたくない領域を侵犯されるのは。

それが起こるのが、そもそも映画というものである。

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posted by おおおかとしひこ at 12:28| Comment(0) | TrackBack(0) | 脚本論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年01月18日

写真と映画の違い(海街ダイアリー2)

この糞映画を理解することは、
我々がストーリーというものを、
どのように考えればいいかの、
反面教師になる。

さて、写真と映画はどう違うか?

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posted by おおおかとしひこ at 14:42| Comment(0) | TrackBack(0) | 脚本論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

鎌倉は淡々としなければならないルールでもあるのか?(海街ダイアリー批評)

小津が遺した遺産を、継いだかどうかしか、
批評ポイントがないんじゃないのこれ?

ハッキリ言えば駄作である。
広瀬すずという(当時の)逸材と、
鎌倉という場所に乗っかっただけで、
なに一つドラマツルギーを紡ぎだしていない。

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posted by おおおかとしひこ at 12:48| Comment(0) | TrackBack(0) | 脚本論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

その話は、人を引き付け続けているか?

これを客観的に見ることは、とても難しい。

ひとつ指標があるとしたら、
「自分がこう書きたい」と拘っている所ほど、
引き付けが弱く、詰まらなくなっている可能性が高い。

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2016年01月17日

没入感と三人称(クリード批評4)

ミッドポイントにおける、ワンカット撮影の試合シーン
(vsレオ戦)は、凄かった。

が、冷静に考えると、あれは正解だったのか?

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posted by おおおかとしひこ at 14:29| Comment(0) | TrackBack(0) | 脚本論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

字幕の書き方

という検索ワードで来た方がいたので、
まとめておく。

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語りと構造2

面白いのをネットで見つけたので貼っときます。


ディブ – ‏@pddybe

屈強なゴリラが殴り合う漫画と見せかけて中身は繊細かつ真摯に愛を問う物語であるのが北斗の拳、美しい少年達が神話の世界で戦う宿命を背負った物語と見せかけて屈強なゴリラが殴り合う漫画なのが聖闘士星矢。
4:08 - 2016年1月16日
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話作りと語りを分けて考える

なかなか分離して考えられないけれど。

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梗概の効能

長編を書き終えたら、それを少し寝かせて客観的になるために、
梗概を書くといい。

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主人公としての体験(クリード批評3)

いい映画は、「主人公としての体験」を与える。
そしていい映画は、「それが納得のいく、凄い体験」である。

クリードは、そういう映画だった。
(勿論多少の瑕疵はあるけど、
それを補って余りある、図太いストーリーがあった)

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2016年01月16日

物語とは、逆境の克服である(クリード批評2)

物語とは、逆境の克服である。これは僕の説だ。

面白い逆境を創作できれば、物語の半分は出来たようなものだ。
あと半分は、その面白い克服を作ればよい。
(「面白い」は笑いとは限らない。
この映画の場合、号泣やぐっと来る、である)

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名台詞というのは、こういうこと(クリード批評)

この物語は、たった一言を言うために出来ている。

以下ネタバレ。

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理想のリライト

何もかも忘れて、
それでも記憶の片隅には何もかも把握して、
何もみずに白紙にゼロから執筆しなおすこと。

一番新鮮で、一番計画的なリライトだ。

本日、原稿用紙275枚に至る、
小説のそんなリライトを、二ヶ月かけて終えました。
成果はまたここにフィードバックします。
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2016年01月15日

聴覚を封じる、視覚を封じる

映画は視覚と聴覚のメディアだ。
そんなことは百も承知だ。
ほんと?
それぞれの役割を、ほんとに分かってる?

一種の縛りプレイをしてみることで、
それは明らかになる。

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posted by おおおかとしひこ at 10:10| Comment(0) | TrackBack(0) | 脚本論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする