2016年01月19日

エピソードで語れ

とよく言われる。こういうこと。

A「鬼塚はすぐ切れるヤバい奴なんだ」
B「そうかこええ」

ではなく、

電車で優先席が空いていて座ろうとしたら、
お婆ちゃんが座ろうとして、
それを「どけババア!そこは俺の席だ!」
と蹴り飛ばして座り、
ABがその婆さんに助けを求められ、
鬼塚に睨まれる。

というような場面を作れ、ということ。
どこにもヤバいという形容詞は入っていないが、
ヤバいとしか言いようがないのである。

あとはもっと酷いエピソードを思いついて、
入れ換えていけばいい。
posted by おおおかとしひこ at 15:22| Comment(0) | TrackBack(0) | 脚本論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

全体を眺める方法

リライト論。

梗概を書く方法については以前議論した。
今回のやり方はあんまり聞いたことないので、
僕独自かもしれない。似たようなことはみんなやってるだろうが。

各ブロックにサブタイをつけて、
その尺を横に書いて、一覧表をつくるとよい。

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posted by おおおかとしひこ at 14:51| Comment(0) | TrackBack(0) | 脚本論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

劇的な物語は、劇的な動機から生まれる

前記事に関連して。

劇的な展開や、結果だけが存在するのではない。
派手な場面、たとえば、
爆発とかチェイスとかロボットとか、
雨の中別れようと言ったり雪の東京タワーの前で告白が、
劇的なのではない。

劇的な動機こそが、劇的な物語の必要条件なのだ。

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posted by おおおかとしひこ at 12:50| Comment(0) | TrackBack(0) | 脚本論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

存在を脅かされること(海街ダイアリー批評3)

あの映画で、たとえば、
長女の不倫相手が、あの家に上がってきたら、
どんなに嫌だろう。

そんなの想像するのも嫌だろう。
自分達の聖域、踏み込まれたくない領域を侵犯されるのは。

それが起こるのが、そもそも映画というものである。

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posted by おおおかとしひこ at 12:28| Comment(0) | TrackBack(0) | 脚本論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする