2016年02月26日

で、再びオデッセイ批判

これまでの議論の総合。

つまり、人は、内面を晒す勇気とその動機を、見に来る。
そのオープンハートを見に来る。
それが映画である。

「オデッセイ」などという閉じた心の、
カタカナタイトルをつけた馬鹿は、
何も分かってない、無知もいいところだ。
映画のえの字も、今後言ってはならない。
posted by おおおかとしひこ at 15:32| Comment(0) | TrackBack(0) | 脚本論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

恥ずかしさと向き合う

さらにつづき。

つまり、物語を書くという行為は、
半脱ぎという恥ずかしさを、
クリアしなければならない。

続きを読む
posted by おおおかとしひこ at 15:27| Comment(0) | TrackBack(0) | 脚本論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

いい台詞とは

前項までの議論を総合できる。

いい台詞とは、半脱ぎの台詞だ。

続きを読む
posted by おおおかとしひこ at 14:08| Comment(0) | TrackBack(0) | 脚本論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

空気の正体

前記事のつづき。

つまり、物語における空気とは、
半脱ぎである。

心がひらき、他人と心を交わしたあとにある、
目に見えない絆のようなものである。

続きを読む
posted by おおおかとしひこ at 13:27| Comment(0) | TrackBack(0) | 脚本論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

半脱ぎ

普段僕が下ネタを言うのは、人間の本質に迫るからである。
決して下ネタ好きだからではない。
人間の本質が好きなだけである。
人間はエロスとタナトスとリビドーと…まあどうでもいいや。

半脱ぎは、みんな好きだろう。
正確に言うと「異性の」半脱ぎね。
パンチラとか腹チラとか、眼鏡を取った瞬間とか、
ヘルメットや手袋や鎧を取った瞬間とか。
勿論ライダースーツのジッパーを開ける瞬間も。
靴やブーツを脱いで裸足を出した瞬間も。
気を抜いてる瞬間、オフショットが好きなのも、この一種だろう。
美人のすっぴんも俺大好き。

今作ってる作品は、普段前髪が印象的な娘を、
わざとデコだしにした。これも半脱ぎの範疇だろう。
つんくの前髪理論(過去記事参照)を思い出してのことだ。

さて、半脱ぎはビジュアルの話だが、
これは人間の本質に関係がある。
「心の半脱ぎ」の話に関係すると、それは脚本のことになる。

続きを読む
posted by おおおかとしひこ at 12:28| Comment(0) | TrackBack(0) | 脚本論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする