何回か議論しているけど、
今回は、「脚本を読む力」について語ってみようと思う。
脚本を読むのは、小説を読む能力とは違う。
小説を読むように脚本を読むのは間違いだ。
脚本を読むのは、楽譜を読むのに近い。
楽譜を読むときは、頭の中で演奏や編成をする。
同様に、
脚本を読むときは、頭の中で芝居をし、撮影をし、
編集が出来なければならないのである。
(小説を読むときに出るイメージではなく、
映画の上がりとしてイメージするということ。
すなわち四角のフレームの中にカット割りされたモンタージュで、である。
実際のところ、絵を分離して考えられなければ意味がないのだが)
そうじゃなければ、脚本を読む資格はない。
日本語で書いてあるものだから、
五線譜のコードより読めると勘違いしてしまうのが、
脚本の問題点だ。
「絵が想像できないから分かりにくい脚本である」
という感想は、脚本が読めてない人のものである。
脚本は、中身とガワのうち、中身だけを記述したものだ。
絵(ロケーション、アングル、トーン、衣装、特殊効果)や、
音(芝居、音楽、効果音、間)はガワであり、
中身(意味、ストーリーライン、動機、行動、ターニングポイントなどなど)
が脚本の書くべきことである。
「この中身に○○なガワを被せると良さそうだね」
「どんなガワでもこの中身じゃダメだ」
などが、脚本を読める人の感想だ。
脚本力の低下は、
脚本を読める「特殊能力」がある人が減ったことによる、
というのが以下の論旨である。
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