2016年08月04日

人工知能は脚本家の夢を見るか?

脚本の(ある程度の)専門家であり、
工学的応用人工知能の専門家である
(京大大学院応用人工知能論卒)僕に、
面白げな問いだと思う。

人工知能は脚本を書けるか?
僕は、今脚光を浴びつつあるディープラーニングでは無理だと思う。
次のパラダイムシフトまでは多分大丈夫。

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posted by おおおかとしひこ at 21:22| Comment(0) | TrackBack(0) | 脚本論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

全体主義(シンゴジラ批評10)

どうしてシンゴジラに人間ドラマがないか、言葉になった。
あれは全体主義だ。

僕は行列に並ばないタイプの人間だ。
全社忘年会にも出ない。盆踊りも踊らない。
三割の働いてないほうの蟻かも知れない。
それは、全体主義を認めていないからだ。

全体主義に熱狂しているなんて、この国はやばいのではないか。
(そこまでヒットしていないようだから、
警戒レベルではないだろうが)
サッカー日本代表への熱狂と、同じキナ臭さを感じる。
熱しやすく冷めやすい民族だから、
すぐ戻るかも知れないが。
posted by おおおかとしひこ at 12:04| Comment(10) | TrackBack(0) | 脚本論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

取材に呑まれるな

取材はとても大切だ。
「リアリティーの確保」という一言で表せることではない。

その世界がどういう原理で動いているか、
深い部分でその仕組みそのものを知ったり、
専門用語をどう使っているか、
どういう生活をしているか、
という表面的なことを知るためにも、
取材はしてし過ぎることはない。

その取材に、呑まれさえしなければだ。

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posted by おおおかとしひこ at 11:44| Comment(2) | TrackBack(0) | 脚本論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

そこにドラマはない(シンゴジラ批評9)

コメント返しに書こうと思ったけれど、
大事なことなのでちゃんと議論したい。

シンゴジラに、僕はドラマが何一つなかったと思っている。
災害に立ち向かう集団劇があったではないか?
それは人間たちのドラマではないか?

否だ。
あれは描写であり、ドラマではない。

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posted by おおおかとしひこ at 02:24| Comment(47) | TrackBack(0) | 脚本論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする