以前テヅカチャートを紹介したけれど、
プロット力があるかどうかは、
テヅカチャート的な考え方が出来てるかどうかなんだな、
ということが最近分かってきた。
どういうことかというと、因果関係の訓練にとてもよい。
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2016年10月06日
2016年10月05日
小説と映画は真逆である
小説のもっともいいところは、
文から絵や事情を想像する瞬間にある。
映画のもっともいいところは、
絵から気持ちや事情を想像する瞬間にある。
(最良の台詞は無言である、というハリウッドの格言は、
余計な説明がなくとも、これまでの文脈でこの絵を見れば明らかだ、
という到達点をつくることだ、という意味だと僕は思う)
つまり、結構真逆の本質をもってるんじゃないか?
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文から絵や事情を想像する瞬間にある。
映画のもっともいいところは、
絵から気持ちや事情を想像する瞬間にある。
(最良の台詞は無言である、というハリウッドの格言は、
余計な説明がなくとも、これまでの文脈でこの絵を見れば明らかだ、
という到達点をつくることだ、という意味だと僕は思う)
つまり、結構真逆の本質をもってるんじゃないか?
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2016年10月03日
全ての広告はチートである
チートとは、インチキの俗英語だ。
皆が同じルールでやる前提の社会で、
一人だけズルをしてゲームに勝つようなニュアンスである。
(たとえばラスベガスのギャンブルで、
出目をコントロールできるディーラーはチートである)
そして広告とは、
自分だけチートしている感じを与えるものである。
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皆が同じルールでやる前提の社会で、
一人だけズルをしてゲームに勝つようなニュアンスである。
(たとえばラスベガスのギャンブルで、
出目をコントロールできるディーラーはチートである)
そして広告とは、
自分だけチートしている感じを与えるものである。
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2016年10月02日
【日記】サーフェス3充電は、システムが立ち上がってるときに
サーフェス3の充電は、
システム側で電圧をコントロールするため、
「システムを落としたあとに充電コードを繋いでも、
物理的に結線されてるにも関わらず、充電されない」
そうです。
スマホと違うんだね。そんなん、しらんわ。
コツは、
「システムが生きてるときに充電コードを繋ぎ、
充電状態のままスリープさせる」らしいです。
システムを落としても充電されるらしいけど、
どれくらい充電できたか見るには立ち上げなきゃ意味ないので、
僕はスリープでやってます。
スリープでも電池食うらしいので、電源落とすのが一番効率は良さそうですが。
色々問題があるサーフェス3ですが、
「縦書きのワードを、縦使いする」
ということにかけては今のところ一番いいと思います。
去年の冬に買って以来、そういう使い方してる人見たことないけど、
「縦書きの文字書きクラスタ」には是非オススメ。
デジタル原稿用紙特化マシンとしてはかなり優秀です。
構想や執筆は手書きで、メモはスマホか手書きで、
文字うちはサーフェス3で。
ノーパソなんかカスだぜ(他の用途には優秀だけど)。
もちろんデスクトップのデカイモニタとデカイキーボードには勝てない。
システム側で電圧をコントロールするため、
「システムを落としたあとに充電コードを繋いでも、
物理的に結線されてるにも関わらず、充電されない」
そうです。
スマホと違うんだね。そんなん、しらんわ。
コツは、
「システムが生きてるときに充電コードを繋ぎ、
充電状態のままスリープさせる」らしいです。
システムを落としても充電されるらしいけど、
どれくらい充電できたか見るには立ち上げなきゃ意味ないので、
僕はスリープでやってます。
スリープでも電池食うらしいので、電源落とすのが一番効率は良さそうですが。
色々問題があるサーフェス3ですが、
「縦書きのワードを、縦使いする」
ということにかけては今のところ一番いいと思います。
去年の冬に買って以来、そういう使い方してる人見たことないけど、
「縦書きの文字書きクラスタ」には是非オススメ。
デジタル原稿用紙特化マシンとしてはかなり優秀です。
構想や執筆は手書きで、メモはスマホか手書きで、
文字うちはサーフェス3で。
ノーパソなんかカスだぜ(他の用途には優秀だけど)。
もちろんデスクトップのデカイモニタとデカイキーボードには勝てない。
嘘をつくコツは、本当を混ぜることである
我々は嘘つきである。
フィクションというのは、嘘のことだ。
我々は嘘をつくことで、世の中の真実を描く者である。
真実から真実が表現されるわけではない。
より真実を表現しやすいように、
我々は現実をねじ曲げ、
真実の導出に容易なように変形する。
その意味で、我々は真実を語る者であり、
その為に嘘を捏造する工夫をする者だ。
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フィクションというのは、嘘のことだ。
我々は嘘をつくことで、世の中の真実を描く者である。
真実から真実が表現されるわけではない。
より真実を表現しやすいように、
我々は現実をねじ曲げ、
真実の導出に容易なように変形する。
その意味で、我々は真実を語る者であり、
その為に嘘を捏造する工夫をする者だ。
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2016年10月01日
話の記憶は体に宿る(仮説)
「脳は運動を記憶できない」という仮説に関して、
以前議論した。
だから話や流れというのは記憶しづらく、
場面や絵の記憶になりがちなのだという経験則の裏付けになると。
しかし我々の仕事は流れをつくり、整形し、比較したり、
一部を取り出したり交換したりすることにある。
これは脳でやるより体感覚でやったほうがいいんじゃないか、
という更に進んだ経験則を出してみる。
(運動の記憶は小脳や神経系に刻まれるはずだから、
学術的にもそう間違ってないと思う)
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以前議論した。
だから話や流れというのは記憶しづらく、
場面や絵の記憶になりがちなのだという経験則の裏付けになると。
しかし我々の仕事は流れをつくり、整形し、比較したり、
一部を取り出したり交換したりすることにある。
これは脳でやるより体感覚でやったほうがいいんじゃないか、
という更に進んだ経験則を出してみる。
(運動の記憶は小脳や神経系に刻まれるはずだから、
学術的にもそう間違ってないと思う)
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