20年前、僕は京都の吉田で学生をやっていた。
8ミリフィルムを回して、つないで、アフレコして、
立て看かいて、学園祭で上映していた。
学生時代のおわりに、
「俺は映画監督になる」と宣言して大好きな京都学生街を離れた。
あの場所は僕にとって特別で、
あの場所では今でも映画監督になりたい俺が走っている。
故郷に錦を飾るとき。
僕は、京都に少し恩を返せたかもしれない。
20年前の俺よ、赤くて4:3でビリビリのテレビで、
未来の俺が監督したやつを見るがいい。
そうして、「こんな糞映画より、俺が面白いものをつくってやる」と吠えるといい。
思い通りにいかなくて、後悔ばかりが残る映画だけど、
不格好でも愛してくれる人がいるのは、ありがたい。
ツイッターで、みんなの呟きを追いかけている。
もうすぐクライマックスの時刻だ。